石版!

池澤夏樹 『マシアス・ギリの失脚』


日本人の作家がマジック・リアリズムの「独裁者小説」(アストリアスの『大統領閣下』や、ガルシア=マルケスの『族長の秋』のような)を、ラテン・アメリカのまるパクりでなく、日本人が書く必然性をもって書くとするならば、これが理想形なのかも、と思う。太平洋に浮かぶ小さな島国、ナビダード民主共和国の独裁者、マシアス・ギリの立身出世譚と、ナビダード共和国が近代国家として成立するまでの歴史、そして神話、伝説。様々なストーリーが渾然一体となって、大きな物語を形づくっている。大変スケールが大きい小説、まぁ、若干、最後の方尻窄みがあって(この尻窄み感、なにかに似ているな、と思って思い出したのが古川日出男の『聖家族』)傑作になり損ねている感じはあるのだが、とても面白かった。何と言っても、登場人物が、結構普通の人たち揃いというか。ほら、ガルシア=マルケスの小説なんかはっきり言って異常者ばっかりでてきて、それがストーリーを引っ張っていくじゃないですか。その過剰さがマジック・リアリズムの魅力でもあるんだけれど、マシアス・ギリを取り巻く人間たちは、主人公のマシアス・ギリを含めて、普通に理解可能な人物として描かれているように思われて。その人間臭さがなんとも良いし、普通なのに、魔術的な色合いを持たせているところに作者のテクニックを感じさせるのだった。これは文体の妙、とも言える。池澤夏樹、上手いなぁ……。

ミーシャ・アスター 『第三帝国のオーケストラ: ベルリン・フィルとナチスの影』


ナチス・ドイツ時代のベルリン・フィルがなにをやっていたか、を資料をもとにまとめた本(クラシック音楽に明るくない人向けに補足するならば、ベルリン・フィルは世界、いや地球最高峰の演奏家を集めたクラシック界の銀河系軍団みたいなオーケストラ)。「困難な時代にフルトヴェングラーは何を追い求めていたのか」と帯にはある。この手の本て、強権的な政治権力に芸術家が自由を求めてどんなふうに戦ったのか、的なストーリーを思い浮かべてしまうんだけれど、本書はさにあらず。

フルトヴェングラーはナチス政権と時折対立して、ベルリン・フィルの監督的立ち位置を降りたりするものの、決別、というまでには至らず、結構持ちつ持たれつみたいな関係性を維持していたことが書かれている。芸術家が清廉潔白でさ、悪には反抗する、みたいな、今でいうと原発には反対しなきゃいけねぇ、みたいな、そういうアティテュードがあるじゃん、芸術家、それとは違う、言ってしまえば、彼らも仕事でやってたんだな、と思わなくもない部分がある。っていうか、芸術家の働く環境がどんどん悪くなって、自由も制限されてるのに、権力闘争とかしてたりして、なんかダーティーな感じ。大御所すぎて困ったちゃんになっていたフルトヴェングラーの影響力をなんとかしようとカラヤンが呼ばれた、とか、さ。

まぁ、ぶっちゃけ、そんなに面白い本ではない。ナチスがベルリン・フィルを利用して国のイキフンを盛り上げたり、ユダヤ人の演奏家を排斥したりした、という事実は広く知られているし、そこまで目新しいような驚きがあるわけではないと思う。新ウィーン楽派を黙殺していた、みたいな話は、ほとんど当たり前すぎるのか、本書の中では触れられもしない。

個人的に面白かったのは、フルトヴェングラーが「もう俺、ベルリン・フィルの指揮者やらねぇ!」と啖呵を切ったあとに、ナチス政権におもねって、今ではほとんど名前が知られてない三流指揮者みたいなヤツがでてきて、ポスト・フルトヴェングラーの座に居座るんだけれども、あまりに実力が足らなすぎて、一瞬で追い出される……、みたいな記述であった。

あと、アーベントロートや、ヨッフム、ベーム、シューリヒト(そしてカラヤンも)といった著名な指揮者が、ナチスによるユダヤ人指揮者の排斥によって、ドイツで仕事が増えた、という記述も面白い。言ってしまえば、ナチスがクレンペラーやワルターを追い出さなければ、彼らの活躍もなかったんでは? ぐらいのことが書いてある。

3枚のアルバムについて


すっかり音楽ブログとしては休眠している当ブログだが、最近発表された3枚のアルバムについて言及しておきたい。まずは松尾潔をして「降参です!」と言わしめた Bruno Mars の新譜「24 K Magic」について。新譜はもう Apple Music で良いや、と思っていたけれど、これはアナログで買った。先行で公開された表題作のPVがまず最高で。

冒頭、響き渡る Roger Troutman の亡霊的に響き渡るロボ声から名作の予感がビンビンし、昨年のメガヒット曲「Uptown Funk」の路線上にあるキャッチーなシングル曲という感じなのだが、歌詞の空っぽさ、どチャラさがまた最高。最近、Apple Music で手軽に歌詞が表示できるようになったため、こうして「なにを歌っているのか」をチェックしているのだが、Bruno Mars にはなんというか、空っぽ、という中身しかない。

表題作なんか「俺は金持ってるゼ、おチンチンがおっ立つようなチャンネーが群がってくるんだゼ」とか歌ってるし。こんなに空っぽで良いのかな、と。表題作だけではない。「マンハッタンにマンションを買ったんだ」で始まったり、ヴェルサーチのドレスを脱がして……みたいな「背中まで45分」(井上陽水)かよ、みたいな歌詞が満載で、はっきり言って、この軽さ、にみんなあきれ返ってしまうのではないか、と思う。

ただ、悔しいながら、Bruno Mars の歌唱力、そしてこのプロデュース力には脱帽で、知能ゼロに近い軽さでありながら、極度に陽性のサウンドの魔力に屈服してしまう。80年代・90年代のブラック・コンテポラリー・ミュージックを収奪している、だけ、とも言えるのだけれど、そこに一切のダサさ、カッコ悪さがないのが異常。アルバム後半に収録された「Finesse」など、今が本当に21世紀なのかを疑わせるほど、正真正銘のニュー・ジャック・スウィングであるのに、まったく古さを感じさせずカッコ良い。その印象には、モダンな分厚い音圧のサウンド作りも一役買っている。


内省を一切感じさせないような Bruno Mars に対して、The Weekend はメソメソとしているのが対照的であった。サウンドは流行りのテクニカル・ターム「アンビエントR&B」というか、EDM化されたR&B路線を前作から貫いており、そこに今回は、Daft Punk も参加、良いねえ、本気で売れ線狙ってきているのかねえ、という感じなのだが、如何せん、Bruno Mars の突き抜け具合と比べると、このアルバムの長さ(68分)はダラダラとして聴こえてしまう。

悪くないんだけど、出てきた時期が悪すぎた。「ホントに理解してるコが欲しいだけなんだ」、「名前さえ知らないコの横で目が覚めて……」みたいな、モテてるけど、モテてるが故に孤独、みたいなの、今一番流行んないんじゃないのか。ある意味、かつての Radiohead にも通ずるぐらいのメソメソ、ナヨナヨ楽曲であり、そのへんの薄暗さは、James Blake 的なのだが、James Blake のほうが全然良い。暗いなら、どん底まで暗く行ってくれよ、と。


最後にラッパー、Common の新譜。これまた Robert Glasper が全面参加、とトラックの流行りもの感満載なのだが、リリックのリアルタイム感がすごくて。Bruno Mars のバブリーなPVが仮に「Trump時代のアメリカの未来(良い未来)」の象徴だとしたら、Common はマジでリアルタイムを歌っていた。表題作「Black America Again」、これまた Trump 的なものを彷彿とさせるタイトルであるけれど、The Weekend のナヨナヨなんかバッカじゃねーの、と思わせるぐらい深刻な話が語られる。「黒人の子供たちは子供時代を盗まれてる」とか「「くろんぼ」のかわりに奴らは「犯罪者」って言葉を使う」。そして、Bilal が Prince の亡霊のように歌を歌う。

(The Weekend はカナダ出身の人ですけれども)同時期に、これだけ歌っていることが別世界なブラック・ミュージックのアルバムが出たのが印象的で、思わず記事を書いてしまった。

角山栄 『茶の世界史: 緑茶の文化と紅茶の世界』


経済史の先生が書いた茶をめぐる経済史の本。アジアからヨーロッパに輸出される商品としてのお茶がどのように受容され、その貿易によって輸出元の国にはどんな変化が起きたのか。双方向から結構詳しく描かれている。インドや中国といった茶大国に対して、近代化を進める日本はどんな風に勝負しようとしたか、とかそのあたりは面白い。緑茶を広めようとしたら、みんな砂糖だのミルクだのをいれて飲もうとしちゃって、全然広まらず、由々しき事態だと思った岡倉天心がその頃『茶の本』を書いた、とかある。この本、後世には名著として残ったけど、リアルタイムではそんなに反響がなくて……だとか、クール・ジャパン大失敗の先駆者みたいだと思った。が、全体としては割合退屈な部類に入る本だと思う。あくまで「経済史」なんですね。文化的な側面を掘り下げるものではないし、これで「世界史」を名乗るのはちょっとな……。悪い本ではないんだけど。

ダニエーレ・タマーレ 『サプール ザ ジェントルメン オブ バコンゴ』


昨年、NHKのドキュメンタリー番組で一挙に有名になったコンゴの「傾奇者」たちを写した写真集。働いて稼いだ給与を一生懸命貯めて、超一流ブランドのスーツをエレガントに着こなすサプールたちの、良い感じの顔が収められている。とてもカッコ良い。カッコ良いから近所の人からも大人気で、サプールの男性に握手を求める子供たちの姿なんかも写っている。そういうコミュニケーション、人との繋がりってないよな、って思う。日本で、こういう人が近所にいたら、みんな訝しく思って終わりじゃないですか。堂々とカッコつけてるのが素晴らしいな、って。

求めやすい価格ではあるんだが、値段は倍になっても良いのでもっと大きな版で見たい気もする。

レコードプレイヤーを部屋において

ちょっと前に父親から44年前に発売されたSL-1200の初代モデルを譲り受けて、レコードで音楽を聴くようになった。これが結構楽しくて。Apple Music以降すっかり大人しくなっていた「音楽に金を使う」欲望が爆発してしまっている。タイミングを見つけて中古レコード屋に足を運び「これ、CDで持ってなかったな」とか「これはちょっとレコードで聴いてみたいな」とか「よくわかんないけど面白そうだな、100円だし買うか」みたいなレコードを選ぶ。気がつくと持って帰るのに苦労するほどのレコードの山を抱えていることになるのだが、レジでお金を払うと、とてもスッキリする自分がいる。ああ、これだ、音楽に金を使う、消費する楽しさってこれだよ、と思う。

レコードだと音楽の聴き方も変わって。なんか前よりも真面目に音楽を聴くようになった気がする。アナログレコードは、片面が終わったらひっくり返さなきゃいけないし、ホコリはくっつくし、いろいろ面倒なことも多いのだが「聴き流す」みたいなことがない。めんどくささが、音楽への集中を生むような感じなのかな。「レコードを再生する準備」という儀式(ちなみにSL-1200の初代はクォーツ・シンセサイザーがついてないので、勝手に回転数があったりしない。また、44年も前の機械なので回転数がユレたり、安定しなかったりする)によって、集中的聴取の態度が導かれる、というか。

レコードが再生されると、CDのときだってほとんど読まなかったライナーノーツを読んだりして。レコードのあの大きさが、そういう気持ちにさせている部分も多いと思う。

あと、音質なんですけども。レコードのほうがCDよりも記録できる周波数帯が広い(から、レコードのほうが音が良い)という話のは知ってはいたもののの「ホントかな、最近のデジタルリマスターでやたらと音が太くなってる音源の方が、レコードより良いんじゃないの?」とか思ってたんです。で、やっぱり、細かい音とか小さい音とかは、CDのほうがはっきり聴こえるんだよね。アナログだとそういう細部は、ひとつの「音のまとまり」のなかに収まっている感じして。でも、それが自然な感じだし、まとまってるからこそ、音が迫力あるように聴こえる。その音がとても新鮮(古いのに、新鮮)。

ここ数年、アナログ・ブームみたいになっちゃってますけど、なるほど、こういう楽しさがあるのね、わかるわ、と思う今日この頃なのです。

佐藤亜紀 『小説のストラテジー』


小説家、佐藤亜紀が大学でおこなった講義を元にした小説の読み方・書き方について論ずる本。わかりやすい・易しい文章ではないし、皮肉めいた文体や物言いが著者が批判的に評価している蓮實重彦を思い起こさせるのだが、こういうものを若いうちに読んでおくと小説がより「読める」ようになるハズ、と思った。熱心に読んだら、頭良さそうな感じで、批評めいた感想のひとつやふたつ、ひねり出せるようになりそう。理論的な探求や整合性じゃなくて、著者の経験則から積み上げられてきた体験ベースの読解方法が記されている。

ルイ・パストゥール 『ビールの研究』


以前に紹介した『ビール世界史紀行』(大名著)で言及されていた。「近代細菌学の祖」として知られるルイ・パストゥールが19世紀末に書いたビールの醸造法に関する研究書。わたしもたぶんこういうのを読むのは初めてなんじゃないか、と思うんだけれど、ゴリゴリの理系論文って感じで一般人向けの読み物として読める部分はあんまり多くないのだが、科学史的な視点で読み込むととても面白い。自分の説に反論をかましてきた研究者に対する再反論や、筆者自らがおこなった実験の手続きなどが、かなり詳細に書かれており「当時の科学ってこんな風におこなわれていたのね」ということがわかる。

パストゥールはここで、ビールやワインを製造プロセスにおいて、大麦や葡萄から自然発生的に発酵がおこなわれるという説を退け、大麦や葡萄とは別な酵母菌の働きによっておこなわれるのだ、と主張している。これが本書のメインテーマのひとつ。あとは当時伝統的な職人の勘や、職人の間で伝えられてきたナレッジによって製造されてきた酒造プロセスを改善するためのアイデアを提案している(純粋な酵母菌を使うと、変な雑菌が増えないので良いよ、と)。

職人のナレッジに、近代的な科学の手法でメスをいれていく部分が結構面白くて。というのも、パストゥールの記述から19世紀末にイギリスやフランスでどんな風にビールが飲まれてきたか、作られてきたか、がうかがい知れるのだ。たとえばこんな記述。「ビールの売価と製造原価に大差があるのは、大量のビールを廃棄せざるを得ない事態が常にもたらす損失を、おぎなうためにほかならない」。当時のビール職人たちは、雑菌によってビールが変な味になってしまうリスクを常に抱えていたのだな、ということがここからわかる。ビールが今よりも「ありがたいもの」だった時代と、現代の差異に面白さを感じる。

そうした現代と過去の時代との差異ばかりでなく「これって今と同じじゃん」という部分もあって。たとえば、パストゥールは「(みんな知ってると思うけど)暑い時に飲むビールって旨いよね」とか書いている。そういう感覚は今も昔も変わらないんだ、と思うとまた面白いのだった。