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10月, 2012の投稿を表示しています

平岡隆二 「ゴメス『天球論』の成立と構成: イエズス会日本コレジオの宇宙論教科書とその欧文原典」

ゴメス「天球論」の成立と構成 : イエズス会日本コレジオの宇宙論教科書とその欧文原典 日本が西洋と接触を持ち始め、本格的に西洋の文化が流入しだした頃のインテレクチュアル・ヒストリーを研究しておられる平岡隆二さんの論文を読みました。平岡さんのお仕事については以前にも ご紹介させていただいています 。平岡さんは、今年度から熊本県立大学のほうに移られており、 ブログもそれにともない(?)移転されています (さっき知った。そして、神戸市立博物館での南蛮美術展について書かれているのが目に入って、読み逃してた! とショックを受けていた)。南蛮モノの文化に興味がある方には、目が離せないブログでしょう。 この論文の内容は、西洋の自然科学をまとまった形で日本に伝えた最初の書物であるペドロ・ゴメスの『天球論』がどのように書かれたのか、そしてその特徴とは、を明らかにするものです。この本はイエズス会の宣教師たちが日本で教科書として使っていたものでした。16世紀の後半にやってきたイエズス会宣教師がなぜ、日本に宇宙論や自然科学を教えようとしたのか。この点は 「イエズス会の日本布教戦略と宇宙論 好奇と理性、デウスの存在証明、パライソの場所」 で詳述されていますが、宇宙や自然と言った見える世界を理解することで、見えない世界の領域への認識へ至らせる、という教化戦略があったからです。論文のハードコアな部分である欧文原典から『天球論』に影響を与えたであろう書物を分析している箇所は、私のようなボンクラ好事家には敷居が高い感じですが、西洋の学問の伝統と対比すると、ゴメスは日本向けに本の内容をアレンジしている、という記述はとても面白く読みました。 また、ペドロ・ゴメスのバイオグラフィーの部分では、当時のイエズス会の修道士たちがどのような教育を受けていたかもうかがえる。ゴメスは大変に優秀な先生だったそうで、20代のうちからその界隈でブイブイ言わせていたみたいです。で、彼がイエズス会の学校であるコレジオではどんなことが教えられていたのか、なんですが、これはギリシャのアカデミーのカリキュラムを引き継いだものだったのですね。たまたま、最近アヴィセンナについての本でも アカデミーの伝統について読んでいました から、このあたりはスムーズに読めました。これを押さえておくと、ゴメスの『天球論』の日本仕

「中世の大思想家たち」より『アヴィンセンナ』を読む アヴィセンナの生涯と そのバックグラウンドについて(放浪アヴィセンナ編)

Avicenna (Great Medieval Thinkers) posted with amazlet at 12.10.17 Jon McGinnis Oxford Univ Pr (Txt) 売り上げランキング: 55469 Amazon.co.jp で詳細を見る 『アヴィセンナ』第一章のまとめの続きです( 前回 )。今回はアヴィセンナの生涯の後半部分についてをまとめていきましょう。時の権力の趨勢に煽られるようにして、各地を放浪しはじめたアヴィセンナですが、ここからが彼の本気モードと言えましょう。ジュルジャーン(Jurjan)というカスピ海沿岸の都市にいたのは3年にも満たない期間で、それはあまり大きな出来事がおこらなかったときではありますが、アヴィセンナはとても精力的に著述活動をおこなっていたようです。アブー・ムハンマド・アシュ=シーラージー(Abu Muhammad ash-Shirazi)という学者に家を買ってもらい、そこでアヴィセンナは『Middle Summary on Logic』、『The Origine and Return』、『Complete Astronomical Observations』、『The Summary of the Almagest』のほか、数々の短い書物を書きあげています。彼の業績のうち最も知られたもののひとつである『医学典範(Canon of Medicine)』もこの時期に書き始められているようです。 その後、金持ちのパトロンから誘われたアヴィセンナは1015年頃から現在のイランに向かいます。この後の彼の人生は、レイ(Rayy、現在のテヘラン郊外の都市)や、クィルミーシーン(Qirmisin、現在のケルマーンシャー)、ハマザーン(Hamadhan)、そしてイスファハーンといったカスピ海の南のほうにある山岳地帯の都市をいったりきたり。まず、アヴィセンナは弟子たちとともに、レイの名目上支配者であったブーイド・マジュド・アド=ダウラ(Buyid Majd ad-Dawla)のもとにやってきます。この人はメランコリアに悩まされていたのですが、この都市の実質上の権力は、この人物の母親が握っていたと言われ、アヴィセンナは彼女のお付きのものになった、とのこと。しかし、これと同じ頃に 前回 もアヴィセンナの放浪に

読売日本交響楽団第519回定期演奏会 @サントリーホール 大ホール

指揮=シルヴァン・カンブルラン バリトン=大久保光哉 アルト=藤井美雪 合唱=ひろしまオペラルネッサンス合唱団(合唱指揮=もりてつや) ツェンダー:「般若心経」(創立50周年記念 読響委嘱作品/世界初演) 細川 俊夫:「ヒロシマ・声なき声」-独奏者、朗読、合唱、テープ、オーケストラのための 10月の読響定期は常任指揮者、シルヴァン・カンブルランによる現代音楽プログラム。ドイツの作曲家、ハンス・ツェンダーへの委嘱作品と、ドイツと日本で活動する日本人作曲家、細川俊夫の大作を組み合わせた意欲的なプログラムだったと言えるでしょう。ツェンダーは俳句や禅といった日本の文化から着想を得て作品を書いており、細川もまた西洋音楽の語法で東洋的な音楽を書く作曲家でもあります。どちらもペンタトニックな音階を使ったりして、分かりやすいオリエンタリズム、エキゾチズムを狙った作曲家ではない、けれども、東洋・日本的なものを感じさせる響きの音楽の作り手である、という部分で共通項がある。井筒俊彦的に言うならば、共時的構造化がなされた選曲にも感じました。 ツェンダーへの委嘱作品は《般若心経》をバリトンのテキストに用いたもの。本来、経典は声明という節をつけて読まれるものですから、これは声明の再作曲とも捉えられるかもしれません。プログラム・ノートには「福島での大惨事に関連した作品」であり、「日本人の内なる力は、仏教的伝統によって育まれてきたように私には見える」とあります。多くの日本人は葬儀でしかその伝統に触れることがなく、声明がなにか西洋における鎮魂歌的な位置づけのようにも理解されているかもしれませんが、しかし、その意味合いは呪術的であったり、あるいは仏教哲学の内容をミメーシス的に理解する、などの機能をもった儀式であったはずです。ツェンダーがどこまでそうしたことを意識したかはわかりませんが、あのテキストが地震や原発事故に対しての哀悼のために選択されていたわけではないでしょう。 彼の作品では《5つの俳句》というフルートと弦楽器のための作品を自ら指揮した録音を持っていて、これは渋い響きをもった、乱暴な言い方をすると「音があんまりしない」系の音楽です。どこまでも俗っぽい言い方になりますが、その響きは水墨画的なモノトーンと淡さを持つ。しかし、音楽の境界線は異様にはっきりしていて、そのあたりが非

集英社「ラテンアメリカの文学」シリーズを読む#14 フエンテス 『脱皮』

脱皮 (ラテンアメリカの文学 (14)) posted with amazlet at 12.10.27 フエンテス 集英社 売り上げランキング: 518369 Amazon.co.jp で詳細を見る 集英社「ラテンアメリカの文学」14巻は、今年亡くなったメキシコのカルロス・フエンテスの『脱皮』です。ガルシア=マルケスがもはや新しい作品を書けない状態となり、フエンテスが亡くなり、70年代のラテンアメリカ文学ブームを支えた作家で元気なのは、ペルーのバルガス=リョサだけになってしまった感がありますが、翻訳はかなりいろんな本が出ていますし、ラテンアメリカ文学再ブームの兆しさえ感じられます。最近では、山形浩生さんが 集中的にフエンテスの作品を読まれていて 、ブログに書かれている書評はフエンテスという作家を理解するのにとても役立つ。とくにフエンテスがどういう作品を書いていたかの総まとめとしては 『聖域』への書評 が良いでしょう。少し引用。  さて、文学の多くは、近代化に苦闘する人の話で、だからしがらみの中で自由を求めて苦悶する、というのが常道だ。古い習慣や因習と、新しい自由な世界、というわけ。そして、そこで自由になりきれない自分、社会の進歩を阻害する因習、でもそこにあるノスタルジー、といったものがからむけれど、でも基本的には自由と近代的自我がよい。因習はどっちかといえばネガティブだ。   でも、フエンテスや一部ラテンアメリカ小説の特徴というのは、それが逆の場合がしばしばあることだ。そこに描かれているのは、己の神話的なルーツや関係に苦しむ人々のようでありながら、実はフエンテスはそれにあこがれていて、その閉塞感から逃れたいとは思っていない。フエンテスは、己がずっと外国育ちだったこともあって、「メキシコ人とは何か」という問題にこだわっており、それが当時のメキシコの状況ともうまく呼応したのがその評価の高さをもたらしている。  『脱皮』も基本的には、ここで指摘されている「メキシコ人とは何か」小説です。ストーリーは、国連の職員で文学者でもある初老のメキシコ人(フエンテスが投影されたキャラ)が、倦怠期の妻(ユダヤ系アメリカ人)、若い愛人(新しい世代のメキシコ人)、妻の愛人(プラハ出身)が複雑な四角関係を結びつつ、メキシコを旅する、というお

「中世の大思想家たち」より『アヴィンセンナ』を読む アヴィセンナの生涯と そのバックグラウンドについて(ヤング・アヴィセンナ編)

Avicenna (Great Medieval Thinkers) posted with amazlet at 12.10.17 Jon McGinnis Oxford Univ Pr (Txt) 売り上げランキング: 55469 Amazon.co.jp で詳細を見る 『アヴィセンナ』第一章のまとめの続きです( 前回 )。今回はアヴィセンナの生涯についての部分をまとめていきましょう。歴史に名を残す思想家はとんでもない天才だったりしますが、彼もまた例に漏れず。天才エピソードがいくつも登場し、とても楽しく読みました。アヴィセンナが生まれたのは980年、その50年ほど前からアッバース朝の崩壊がはじまっている……というところからこのセクションは始まっています。945年、シーア派のブワイフ朝がバグダッドを制圧し、当時のカリフ、アル=ムスタクフィー(al-Mustakfi)はその傀儡となり、アッバースの血脈がカリフになるというのは名目上のものになってしまう。これに続いて、さまざまな地方権力者たちによる自治がはじまり、アッバース朝の支配圏だった土地はバラバラになります。フラーサーン(Khurasan)地方を治めたサーマーン朝もこうした経緯で成立したものです。アヴィセンナの父親はこのサーマーン朝の最盛期のアミールであるヌーフ・イブン・マンスール(Nuh ibn Mansur 976 - 997在位)の治世下で、ハルマイサン(Kharmaythan)という村の統治者に任命されています。ここはブハーラー(Bukhara)というオアシス都市周辺の村のうち、重要度の高い村のひとつでした。アヴィセンナの父親についてはどういう人物だったのかよくわかってないそうですが、彼はシターラ(Sitara)という女性と結ばれ、ハルマイサン郊外のアフシャナ(Afshana)という小さな村に家を作り、そこでアヴィセンナこと、アブー・アリー・イブン・スィーナー(Abu Ali l-Husayn ibn Sina)が生まれます。オギャー! 一家はアヴィセンナの5歳年下の弟が生まれるとブハーラーに移り住み、そこでアヴィセンナはクルアーンとアラビア文学の先生をつけてもらいました。ここから彼の天才っぷりが炸裂。10歳までに彼は、クルアーン全文と数々のアラビア文学の名著を丸暗記し、地方の野菜売りのも

永野護 『ファイブスター物語』(5)〜(6)

ファイブスター物語 (5) (ニュータイプ100%コミックス) posted with amazlet at 12.10.21 永野 護 角川書店 Amazon.co.jp で詳細を見る ファイブスター物語 (6) (ニュータイプ100%コミックス) posted with amazlet at 12.10.21 永野 護 角川書店 Amazon.co.jp で詳細を見る ( 第1巻〜第4巻までの感想はこちら )第5巻から話の飛び方がエラいことになっているなあ〜、という印象が。第4巻から突然登場するドラゴンの存在が、物語のファンタジックな要素をより特徴づけているのだが、それと同時にサイバー・パンクな用語系のめちゃくちゃさもスゴくなっているし、時系列も複雑にクロスしながら進行していくので「これ、まともに読んでついていける人いるの? というかよく連載が許されていたな……」と驚かざるを得ないです。途中でセリフが英語になったりするし(別に難しい英文ではないけれども)、90年代のヒップなスラングが日本語の流行語と合成されてセリフ回しに使われているところとかは、いまは時代を感じさせるものになっている。とくに6巻はフルポリゴンで出力されたキャラクターの3DCGも(物語本編にはでてこないけれども)でてきて、その制作裏話も含めてちょっとした時代のドキュメントになっているようにも思いました。6万4500ポリゴンのキャラクター(造詣は『トバルNo.1』みたい)のカメラ移動だけで、5分近くかかったという制作環境……なんかいろいろと早過ぎた感がある。あと、すっごい思うのは重要キャラクターの名前の長さによって、その重要さを演出しようとするのは、FSSに源流があるんでしょうか……と思いました。主人公の名前がフルネームが「アマテラス・ディス・グランド・グリース・エイダスIV」というんだけれど、ラテン語・英語・日本語が合成されて醸し出されるのは、非常に濃厚な中2感なのですね……。なんかいろいろと考えさせる漫画である……。

雲田はるこ 『昭和元禄落語心中』(1)〜(3)

昭和元禄落語心中(1) (KCx ITAN) posted with amazlet at 12.10.21 雲田 はるこ 講談社 (2011-07-07) Amazon.co.jp で詳細を見る 昭和元禄落語心中(2) (KCx(ITAN)) posted with amazlet at 12.10.21 雲田 はるこ 講談社 (2012-01-06) Amazon.co.jp で詳細を見る 昭和元禄落語心中(3) (KCx(ITAN)) posted with amazlet at 12.10.21 雲田 はるこ 講談社 (2012-10-05) Amazon.co.jp で詳細を見る 雲田はるこの話題作『昭和元禄落語心中』の既刊を読む。落語をテーマにした漫画はすでにいろいろとあり、ストーリーの骨格部分もとても既知感があります。「身寄りのない主人公が、○○を生き甲斐と決めて道を歩み始めようとする」という冒頭部分(○○のなかには、落語、が入る)、あるいは2巻から始まる「ラディカルで破天荒な天才」と「クールな秀才」というライヴァル・親友関係の因縁話は、なにかのテンプレートにハマっていると言っても過言ではないのですが、とても面白い! 妻が読んでいたのを借りたのですが「これはベテランの作家さんなのですか?」と訊ねたくなる古い少女漫画ライクな絵柄も魅力的ですし、またその絵柄にはラインの美しさ、というか、手塚マンガに出てる女体にグッとくる感じというか、そういう艶っぽい魅力を感じます。もともとはBLから商業デビューをした作家さん、という前知識を仕込んでしまうと余計に、男同士の絡みにも艶やかさを読み取ってしまいそうになる。 伝統であるとか、風習であるとか、とても落語について勉強されて描かれており、そこには現実の落語界でおこった歴史がモチーフになっているのでは、というのも感じられます。「落語が生き延びるために、伝統を破壊する」というラディカルな登場人物の思想には立川談志が宿っているでしょうし、戦時中古今亭志ん生も満州へ慰問芸人として渡っている。物語における「現代」が昭和のいつなのか明示されていないのですが、推測するに落語教会分裂騒

村治佳織 Classy Selection in 鎌倉芸術館 Vol.4 @鎌倉芸術館

出演 村治佳織(ギター)ゲスト:シモン・ボリバル弦楽四重奏団 曲目 ドヴォルザーク: 弦楽四重奏曲 第12番 ヘ長調 op.96「アメリカ」(**) タレガ:グランホタ(*) ボッケリーニ: ギター五重奏曲 第4番 ニ長調 G.448「ファンダンゴ」(***) マーラー:アダージェット 交響曲 第5番 嬰ハ短調 第4楽章(映画「ベニスに死す」テーマ曲) (*) カステルヌォーヴォ=テデスコ:タランテラ(*) カステルヌォーヴォ=テデスコ:ギターと弦楽のための五重奏曲 op.143(***) *) ギター・ソロ **) 弦楽四重奏 ***) ギター+弦楽四重奏 村治佳織をライヴで観るのは、たぶん2度目。ここ数年、鎌倉芸術館では村治佳織をパーソナリティ役としてさまざまなゲストともにライヴをやる企画を続けていたそうで、今回はその4年目。3年前のプログラム、テノールのヤン・コボウとの《冬の旅》は別な会場で聴いていました。今回はグスターボ・デュダメルが指揮していることで有名なシモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラの首席奏者たちによる弦楽四重奏団と共演。今回は、村治佳織のソロ、弦楽四重奏のみの演奏、そしてギターと弦楽との五重奏と多彩なプログラムで構成されていました。 シモン・ボリバル弦楽四重奏団は、やはり見た目のインパクトがスゴいな、と。かなり微妙な発言ですけれど、クラシックの世界の圧倒的マジョリティは、白人、なんですよね。南米系の人や、あるいは黒人の演奏家を観たときのこのインパクトは、日本人は名誉白人みたいに振る舞っている意識をあぶり出してくれるようにも思いました。もしかしたら日本人が西洋のクラシックをやっていることだって、奇異に思う人だってたくさんいるかもしれないのに。で、そうしたマイノリティである演奏家を観たときに、自然と、なにかエキゾチックな(南米系であれば)ラテンのノリのようなものを期待してしまうのですよね。そうした期待を彼らがちょっと裏切ってくるのが面白いな、と。 具体的には、シモン・ボリバルの4人はめちゃくちゃ濃厚・爆演系のヴィジュアルなのに、キレイに整えられたフレッシュな音楽を聴かせてくれるところが意外でした。若者の音楽、という感じで内容の深さには欠けるんだけれども、これからどうなるんだろうか、という期待を持

「中世の大思想家たち」より『アヴィンセンナ』を読む アヴィセンナの生涯と そのバックグラウンドについて(アラビア編)

Avicenna (Great Medieval Thinkers) posted with amazlet at 12.10.17 Jon McGinnis Oxford Univ Pr (Txt) 売り上げランキング: 55469 Amazon.co.jp で詳細を見る 『アヴィセンナ』第一章のまとめの続きです( 前回 )。予告通り今回はアヴィセンナに影響を与えたアラビア・イスラム世界の思想的背景についてまとめていきます。まず重要なのは、アヴィセンナが生まれる250年ほど前にアッバース朝で翻訳ムーヴメントの勃興したことです。762年、アッバース朝の第2代カリフであるアル=マンスール(al-Mansur)によって新都市、バグダッドが建設されます。ここがアラビア語翻訳ムーヴメントの最前線の都市となり、ギリシャ、ペルシャ、インドの科学が、アラビア語の文学やイスラム法、イスラム的思弁法と一緒に研究され、そこからファルサファ(falsafa)という哲学的伝統ができあがる。アヴィセンナとはこのファルサファの最も重要な代表人物のひとりに位置づけられます。なお、 バグダッドで翻訳文化が栄えたことは三村太郎の『天文学の誕生』にも詳しい 。短いけどすごく良い本なのでそちらも是非。私は異文化が混じって新しいものができる歴史現象が好きなので、こういう記述はとても楽しく読みました。 バグダッドを作ったアル=マンスール自体、たいへん学問好きな権力者だったそうですが、翻訳ムーヴメントとの本格的な展開は、アル=キンディ(al-Kindi)という人が登場がきっかけとなりました。この人は800年ごろに生まれて870年頃に亡くなっていますから、だいたいアヴィセンナの200年ぐらい前の人です。本書ではアル=キンディがファルサファに貢献したポイントは3点、あげられています。まず、ギリシャの科学と哲学のテキストの翻訳を推進したこと。彼自身がギリシャ語の翻訳をしたわけではなかったそうですが、ギリシャ語原典の内容や翻訳の質についてアドヴァイスをする監督役をしていたそうです。つぎに、アル=キンディは外国の学問全般に取り組むムスリムの学者を熱烈に応援したこと。さらに、ギリシャ語の著作から学んだことをイスラム哲学の世界観に織り込んで、形式化したこと。要はアル=キンディがファルサファの礎を築いたのです

「中世の大思想家たち」より『アヴィンセンナ』を読む アヴィセンナの生涯とそのバックグラウンドについて(アカデミー編)

Avicenna (Great Medieval Thinkers) posted with amazlet at 12.10.17 Jon McGinnis Oxford Univ Pr (Txt) 売り上げランキング: 55469 Amazon.co.jp で詳細を見る 先日 巻頭言の翻訳を載せたアヴィセンナの本 の第一章を読みました。ここでは「Avicennna's Intelelectual And Historical Milieu」というタイトルで彼の思想と歴史的環境について詳述されています。現在のアラル海の南東、現在のウズベキスタンで980年にこの大思想家は生まれているのですが、話は彼が生まれる前のイスラム社会での知的伝統として受け入れられることになるギリシャの学問体系についての説明からはじまります。ギリシャの学的巨人といえば、言わずと知れたザ・哲学者ことアリストテレス。6世紀前半ごろまでアテネとアレクサンドリアのアカデミーで教えられてきたカリキュラムは、彼の哲学体系に沿って作られていました。以下、アリストテレスの哲学体系についての教科書的な説明も含みますが、今日はこのはじまりの部分をざっくりとまとめておきましょう。 アテネとアレクサンドリアのアカデミーのカリキュラムはまず論理学にはじまります。ここでアリストテレス哲学のキーとなる概念を学ぶと次に範疇論に進んでいく。これとは別途数学や幾何学は論理的な能力を鍛える基礎として考えられており、アリストテレス哲学とは別にエウクレイデスも学ばれていたそうです。特徴的なのは、すべての基礎がとにかくロジックの能力であり、これは修辞学や詩学においても同様に重要な役割を果たす、と考えられていました。科学にしても哲学にしても、我々が存在する世界について深い理解に達することが目的とされる。この目的にたどり着くための基準というかルールとして、古代、そして中世の人々は次のような考えを共有していたといいます。第一に「現象に対する説明を与えること」、第二に「説明は必然的なものでなくてはならないこと(現象がたまたま起きることなんかありえない、現象にはなんか理由があるはず!)」。ロジックとは、こうしたふたつの基準を満たすために必要不可欠な要素だったわけです。 さてアリストテ

澤井繁男 『魔術と錬金術』

魔術と錬金術 (ちくま学芸文庫) posted with amazlet at 12.10.13 沢井 繁男 筑摩書房 売り上げランキング: 151004 Amazon.co.jp で詳細を見る イタリア・ルネサンスの思想家の本を多く翻訳している澤井繁男による魔術と錬金術に関する概説書を読みました。本書は1989年に出版された『魔術の復権』(人文書院)と、1992年の『錬金術』(講談社現代新書)を合本したものだそう。第一部の魔術編と錬金術編で内容に重複する部分があったりするのですが、初めて「ルネサンス期の思想家ってどんな人がいたんだろうな〜」と知りたい人(どこにいるかはまったくもって不明!)とかには良い本なのかな、と思いました。文庫になったのは2000年で、もうすでにちょっと古い本になりかかってる感じもなきにしもあらず。ここ最近のルネサンス・初期近代の研究については、古典的名著の翻訳や日本人研究者による非常にクオリティの高いモノがかなりでていることもあって、あえてここから入らなくとも良いのかも、という。 例えば「魔術」パートで扱われている人たちは、イエイツの『ジョルダーノ・ブルーノとヘルメス主義の伝統』ともろにメンツがかぶっていますし、記述の内容的にもイエイツの内容のほうが濃くて面白い。イエイツの本は第10章まで、ジョルダーノ・ブルーノという人が登場するまでイタリアでヘルメス文書や新プラトン主義、カバラ数秘術がどんな人によってどんな風に扱われたかを延々とみていくわけですが、それは思想家ごとの線的に辿る発展史的なものでもあるわけです。澤井による記述にもそうした線的スタイルがあるんですけれど、一本の強いストーリーがあるわけではなく、途中で思想家ごとの比較がいろいろと入ったりして縦展開だけじゃなくて横展開もある。○×を使った表や、イメージ図を使ったりして分かりやすい説明をしようという努力がここでは見られるんですが、読んでて「え、こんなに平明に整理できるの?」という部分がそもそもひっかかってしまいますし、えーっと、端的に言ってなんか面白くない!! これをたまたま手に取った人が「魔術、面白い!」と思わないだろ! というのが率直な感想。 これはもしかしたらマーケティングな失敗かもしれず、この手の神秘主義とかルネサンス思

Moebius 『Arzach』

Arzach posted with amazlet at 12.10.13 Moebius Cross Cult 売り上げランキング: 3033 Amazon.co.jp で詳細を見る 9月のパリ旅行の際に「あ、せっかくだからバンド・デシネ(フランスの漫画)買ってかえるか!」と思って、ヴァージン・メガストアにてメビウスことジャン・ジローの代表作のひとつ『Arzach』を購入してたのだった(上記書影はドイツ語版。 フランス語の原書 は今のところAmazonでは買えないみたいだ。ほとんどセリフがない漫画なので、言語はとくに問題ないでしょう。あと 画集 も一冊買ったけど、それは友達にお土産であげた)。宮崎駿が「ナウシカは『Arzach』の強い影響かにある」と発言していたり、大友克洋はメビウスから影響を受けているとかは聞いていたけれど、実際に読んでみたら「え!? こんなにそのまんまなの!?」ととても驚きました。粘菌や王蟲、メーヴェ、ユパ様、ドルクの聖都シュワらしきモノが『Arzach』には描かれている。 この漫画自体は、程度の低い下ネタだったり、ストーリーとも言えない短いエピソードのあつまりなのですが、宮崎駿はここにあるヴィジュアル・モチーフから『ナウシカ』の壮大な物語を組み上げたのだなあ、と思いました。あと大友克洋とメビウスの重力感に通ずるものを感じたり。擬音の書き込みも一切なく、サイレント・コミックという表現に相応しく、翼竜が滑空するコマがとても静かに流れていくのが観ていて気持ちよい。アメリカのヴィジュアル・ノヴェルとも違った漫画言語(とも言うべきもの)がメビウス、というかバンド・デシネにはあるのだなあ、と思いました。 ユーロマンガ 1 posted with amazlet at 12.10.13 ニコラ・ド・クレシー カネパ、バルブッチ、その他 飛鳥新社 売り上げランキング: 203285 Amazon.co.jp で詳細を見る 日本にはこういうバンド・デシネを中心としたヨーロッパの漫画を紹介する雑誌もあり、少しずつチェックをしていきたいところ。ちなみにパリのヴァージン・メガストアの漫画コーナーは「バンド・デシネ」、「コミック(アメコミ)」、「マン

『JOJOmenon』

JOJOmenon (集英社ムック) posted with amazlet at 12.10.13 荒木飛呂彦 集英社 (2012-10-05) 売り上げランキング: 1 Amazon.co.jp で詳細を見る 荒木飛呂彦とGUCCIのコラボレーションを実現させた『SPUR』編集による『ジョジョの奇妙な冒険』連載25周年記念ムック。ほとんどまるごと荒木飛呂彦! という感じで、クリント・イーストウッドとの対談などもあり、ファン垂涎の一冊。 なかでも荒木飛呂彦へのロング・インタビューで語られる漫画観はとても興味深く読みました。19ページとページが毎回決まっているのに、毎回21ページでネームを描いてしまう、とか、絵は無限に描けてしまう、とかイチイチ身体的で、そういう理屈ではない部分からあの物語が生まれているのだなあ、とか思います。第7部「スティール・ボール・ラン」以降が、それまでの『ジョジョ』の語り直しである、という話も良かった。 また、画家である山口晃との対談も面白かったです。ここでは互いの作品へコメントをしあっていて、山口から荒木の絵に対して絵画技法上の解説めいたものや質問が入るんですが、それに対して荒木は感覚的な返答で返していく。山口が描いたスタンドの絵からもわかるんですが、そうしたときにアカデミックな場所で絵の書き方を学んできた人と、漫画を描きながら自分の絵を作ってきた人との違いが浮かび上がっているようにも思われます。同じ人間をデフォルメして描くにしても、その深度が違う、というか。 読んでたら連載をリアルタイムで追いかけていたときの「どうなるの……次は……!?」という次週に気持ちが引っ張られる感覚を思い出してしまったし、胸を熱くさせる内容でした(後半部分の吉本ばななの小説や、各種クリエーターの方々がジョジョをモチーフにした句を読みあうという謎の企画は非常にアレですが……)。

Tokyo Zawinul Bach / Afrodita

AFRODITA posted with amazlet at 12.10.12 東京ザヴィヌルバッハ エアフ゜レーンレーヘ゛ル (2012-10-17) 売り上げランキング: 2669 Amazon.co.jp で詳細を見る 東京ザヴィヌルバッハの新譜は先日の DCPRGの日比谷野音公演で 手に入れていたのだった。本作は坪口昌恭のソロ・プロジェクトとして初めてのアルバムとなる。そこで現れたのはリズム・パターンを自動的に変奏する「M」システムと坪口とが真っ正面に向かい合ったクラブ・ジャズだった、しかもバリバリにアフロ・ポリリズム指向。素晴らしいですよ……これは。DCPRGではシンセサイザー、菊地成孔ダブ・ゼクステットではアコースティック・ピアノ(とKAOSS PAD)と参加バンドごとに坪口が使用する楽器のイメージが違うけれども、ここではフェンダー・ローズがフィーチャーされており、その抜群にセクシーな音色は未来形ジャズのひとつの理想を表現するようです。そして、夜の音楽であり、ダンス・ミュージックであり、呪術的であり……複雑な構造の表面にむちゃくちゃにシャレオツな雰囲気が張り付いたこの音楽は、懐古的あるいはキャンプな目線で聴くことのできない最も新しいフュージョン、とも呼べるでしょう。

マイケル・C・フェザーズ 『レガシーコード改善ガイド』

レガシーコード改善ガイド (Object Oriented SELECTION) posted with amazlet at 12.10.12 マイケル・C・フェザーズ 翔泳社 売り上げランキング: 18244 Amazon.co.jp で詳細を見る 「本書はJava、C、C++でサンプルを記述していますが、記載されているテクニックは言語依存するものではないため、他の言語(Delphi、Visual Basic、COBOL、FORTRAN)でも使えます」と本の紹介にはあるけれど、どうだろう……。書いてあることから言語依存しないテクニックを抽出するなら「依存関係は少なくしろ」とか「既存部分に影響がないような機能追加の仕方を見つけろ」とかになるんだけれど、それって普通のこと、じゃないの……? 機能変更のために方法がいくつかあって、そのなかに「一番簡単だけど、あとで直す必要が出てきたときに影響がデカい方法」があるなら、それは長いスパンでみるとコストがデカいからやめろ、とかも、企業に勤めてチームのなかで開発をする経験が浅い、とかいう人ならまだしも、それなりに経験を積んでたらそっちは選ばないでしょう。 普段私はCOBOLで仕事をしてるんだけれど、テスト自動化をメインフレーム上で支援してくれるツールとかないし、本書の値段分の得られて知見があったか、というと、得られませんでしたね。残念ながら完全にこの本の想定読者からハズれている。たくさんの改善事例が載っているのは良いけど、でもこれ読んで「なるほど、こんな風に改善すれば良かったのか!」と学べる(特にサンプルにはいってない言語を使っている)人は、自分で適切な改善方法を見つけられるような気もするし。「テストを書く」にしても「Javaはこういう書き方ができて良いなあ……」と指をくわえてうらやましく思うしかないですよ、クソCOBOLerとしては……。 ホントに言語依存していない知識としては、16章「変更できるほど十分に私はコードを理解していません」、17章「私のアプリケーションには構造がありません」ぐらいだろうか。16章はコードの読み方をメモの取り方とかから教える記事。17章はチーム・リーダーがプロジェクトやアプリケーションの意味について部下に伝えるというところから解決策が提示さ

オックスフォード大学出版局「中世の大思想家たち」シリーズより『アヴィセンナ』への巻頭言

多くの人々にとって「かつては偉大な中世の思想家がいたんだ」なんて言われたら驚かれると思います。単に「偉大な思想家」だったら今でも学ぶことができる、けれどもそこに「中世の」(ざっくり言って西暦600年から1500年のあいだを指し示す)形容詞がつくと、しばしば「中世の思想家は『偉大だ』と言うことなんかできないのでは?」と言われたりしてしまいますからね。  でも何故なんでしょうか? ひとつの解答例としてあげられるのは、中世の著述家の議論や推論が「権威」を振りかざすような傾向にあるからでしょう。宗教に関するものであれば特に。そのような権威主義的なものって偉大な思想とはいえないのでは……? とか今日ではそんな風に言われてるわけですね。また、近代科学が興る前の人たちの考えになんか偉大なものなんかないよね、近代哲学にも神学にも関係ないし、とか言われたりする。科学系の学生だときょうび17世紀より前の人文学になんか滅多に関わらないですし、12世紀の哲学を勉強している学生はアリストテレスからデカルトまでの思想史についてちっとも教わらないなんてこともあります。現代の神学科の学生なんて「重要な神学的思考とは19世紀に考えられたものだ」と信じるように促されたりもするんです。  近代科学の起源は、世界は理性的な研究によって開かれて、混沌よりも秩序だっているという信念のうちにある。でもその信念は中世のあいだに体系的に探求され、発展したものなんですよね。また、人々の需要に応じて哲学や神学においてもっとも洗練されて厳格な議論が見られるようになったのも中世思想においてなのです。当然のことながら、中世の哲学者や神学者も、現代と同じように、大抵は大学の教師かなにかで、同時進行する世界規模での議論に参加していましたし、17、18、19世紀の哲学者や神学者たちとは違って、教師と学生という大きなコミュニティから離れて仕事をする人ではありませんでした。さて、ここで中世の思想家たちが権威的に見えてしまうという疑問についてはどうでしょうか。中世の思想家の多くが権威、とくに宗教的な権威を信じていたのはたしかです。でも今日の多くの人だってそこから抜け出せないのも事実。中世の思想家と同じように、わたしたちの頭のなかの内容物も権威でいっぱいですし、それは現代の哲学者もそんな印象をだんだんとわたしたちに植え付けていま

DCPRG YAON 2012 @日比谷野外大音楽堂

SECOND REPORT FROM IRON MOUNTAIN USA posted with amazlet at 12.10.09 DCPRG JAZZ DOMMUNISTERS SIMI LAB アミリ・バラカ 兎眠りおん ユニバーサルミュージック (2012-03-28) 売り上げランキング: 6696 Amazon.co.jp で詳細を見る SIMI LAB、toe、DCPRGの3バンドが出演。活動再開後、初のスタジオ・アルバムがでてからライヴを観るのは初めてになりました。このイベントにあわせてDCPRG活動再開時の野音ライヴでの「ジャングルクルーズにうってつけの日」の演奏動画もフル公開されています(監督:冨永昌敬)。 この演奏は私も生で観ていました が、かなり天候的なコンディションが悪くてなんか騒いだりしてないと死ぬのでは、という感じで細部はあまり覚えてないですが。この動画を観て「あ、こういう演奏だったのか」と思いました。動画で分かるポリリズム・ジャングル、というか、生で観るよりもちゃんと観察ができてしまう。音も映像も良く撮れてるな、と。素材があるならソフト化して売って欲しいな、と思います。ドラムの千住宗臣さんが高速でドラムを叩きながらハイハットのネジを締め直す模様や、ロック・スター感全開のTakuyaさんのソロとか良い。 で、話は今年の野音に入るわけですが、この日はとにかくSIMI LABであっただろう、と。MCでは「普段ヒップ・ホップとか聴かないと思うんですけど〜」、「いや〜、こんなことやってますけど、普段は正社員ですよ!」とステージ上からものすごい良いヤツ感を振り撒きまくっており、観ていて「ふむ、なかなか良い青年じゃないか」と娘の彼氏を紹介されたお父さんのような気持ちになってしまいましたよ。私など馴染みのある不良的な文化圏、と言えば、北関東から漏れ出てくるヤンキー文化、つまりはダッシュボードに白いファー & バックウィンドウは黒いフィルム張ったワゴンR(イェア)、若くして授かった子供の襟足は長くて金色に染まってる(ヨォ)、くすんだ色の団地から休日になると灰色のスウェットで出てくる足下はマイメロとかのサンダルだ(チェケラ)……的な感じであって、そのテーマ・ソングといえばBOØWYか、

Otomo Yoshihide's New Jazz Quintet / Live

大友良英ニュー・ジャズ・クインテット・ライヴ posted with amazlet at 12.10.08 大友良英ニュー・ジャズ・クインテット ディスク・ユニオン (2002-07-25) 売り上げランキング: 122485 Amazon.co.jp で詳細を見る 大友良英ニュー・ジャズ・クインテットの2002年、ちょうど10年前のライヴ盤を聴く。音響とジャズによるミクスチュアによる「新しいジャズ」という大友良英のコンセプトは10年の間に、クインテットからオーケストラに編成が大きくなることで色彩感を拡大させ、2010年にトリオになってからハードバップ的なところへと回帰し、その回帰したところのマイルストーンがこの日のライヴだったのでは、とか思ったりした。音響によるハードバップであれば『Live in Lisbon』もスゴい演奏だと思ったけれど(こちらは2004年の音源。菊地成孔脱退後、マッツ・グスタフソンがテナーとバリトンで参加)、この時点でもはやスゴい完成を見せていたんだな、という。 Onjq Live in Lisbon posted with  amazlet  at 12.10.08 Otomo New Jazz Quintet Yoshihide Clean Feed (2011-04-05) 売り上げランキング: 541638 Amazon.co.jp で詳細を見る もちろん、現在の回帰後の姿、ONJT+の演奏は単に10年前の焼き直しではないし、それは現在発売されている2枚のライヴ盤を聴いてもよくわかる。人数は同じ5人での演奏で、どちらも音色の多彩さはオーケストラと比べると多様な感じではない。けれども、そのハードバップ感のあり方は、10年前がメンバー同士のバトル感が色濃いような気がするのに対して、現在ではもっと協和的、というか、リード楽器がいないこともあるのだろうけれど、とてもマイルドに聴こえる。回帰しているけれど、オーケストラでの成果はものすごく良い形で還元されているように思われ、改めてONJT+からONJQに戻ると10年前の音楽がものすごくクリアに見えてきてもくるのだから、不思議だ。 Lonely Woman posted with

ヴァルター・ベンヤミン 『パサージュ論』(3)

パサージュ論 第3巻 (岩波現代文庫) posted with amazlet at 12.10.07 W・ベンヤミン 岩波書店 売り上げランキング: 219116 Amazon.co.jp で詳細を見る ベンヤミンの『パサージュ論』第3巻には以下の項目でまとめられた断片が収録されています。「夢の街と夢の家、未来の夢、人間学的ニヒリズム、ユング」、「夢の家、博物館、噴水のあるホール」、「遊歩者」、「認識論に関して、進歩の理論」、「売春、賭博」、「パリの街路」、「パノラマ」、「鏡」、「絵画、ユーゲントシュティール、新しさ」、「さまざまな照明」……とパッと見て分かるとおり、項目数の多さは全巻最多、とはいえとっ散らかった内容になっているわけではなく、アルファベット順に項目が並べられているにも関わらず不思議とまとまりを感じさせます。個人的には、いくつかの断片からベンヤミンが19世紀という時代を、どのように捉えていたのかが浮かび上がるところを興味深く読みました。 ベンヤミンは言います。「19世紀とは、個人的意識が反省的な態度を取りつつ、そういうものとしてますます保持されるのに対して、集団的意識の方はますます深い眠りに落ちてゆくような時代」である、と(P.7)。そして、集団が見る夢をパサージュを遠して追跡することが、彼の『パサージュ論』における主たる目的だったと言います。ここでベンヤミンが言う、個人的意識の先鋭化と、集団が見る夢の深化、これらは相反するように思われるけれども、パラレルに進行していく。この点は 第2巻を読んだときに書いた 「本人は自由意志に基づいて生活しているつもりなのに、マガジンハウスの雑誌に書かれたライフスタイルなるものをなぞっているだけだった、個性的でシャレオツな生活は、なにかの痕跡でしかない」ということにも繋がるように思われました。個人は個人的な意識で行動している。しかし、その個人も集団を構成する要素でもあり、集団が見る夢とは無関係ではない。集団が見る夢、を「時代の空気」みたいな言葉に置換しても良いかもしれません(ベンヤミンはユングの『集合的無意識』を借用します)。個人の意識によって時代の空気は醸成され、そしてそれが個人を覆っているように見えてくる。 さて、そうした19世紀の集団が見る夢をベンヤミ

エール・フランスの飛行機のなかで聴いた音楽(アラブ編)

先月のフランス旅行の行き帰り、映画観たり音楽聴いたりする機械をいじっていたら、、異様にワールド・ミュージックが充実していることがわかり「さすがエール・フランス……これは良い機会だ」と思っていろいろとザッピング的に聴き、面白かったモノをメモっていました。今回はそのアラブ編をご紹介。冒頭に配したのは、エジプトの伝説的歌手、Abdel Halim Hafez(アブドゥル・ハリム・ハーフェズ)による「Ahwak」という曲のライヴ映像です。 英語版Wikipediaの記事によれば 、彼は「アラブ音楽の王」、「国民の声」、「革命児」として絶大な人気を誇り、1977年に48歳で亡くなって40年以上経過した現在でも毎日のように彼の歌声がテレビやラジオで流れるんですって。ムード音楽っぽい極厚なストリングスが、ねっとりとしたポルタメントを聴かせるところで、ものすごい中東感を煽ってくるんですが、3:10あたりで曲調が舞踏的に変化するところのドライヴ感がヤバいです。オーケストラのなかにはエジプトの伝統楽器もあるし、ギターやオルガンもある。アブドゥル・ハリム・ハーフェズは自分で指揮もやるし、こういうスタイルの芸能はちょっと他の国のなにかに喩えたりして表現するのが難しい。 Abdel Halim "Live" posted with amazlet at 12.10.07 Jasmine Music (2008-08-05) Amazon.co.jp で詳細を見る 次は、レバノン出身のFairuz(ファイルーズ)による「Habaytak belsayf」という曲。この人は 日本語版Wikipediaのページもある 。なんでも「分厚いヴェルヴェット」と称される彼女の美しい歌声はヨーロッパでも人気を得たそうです。ちょっと岸田今日子みたいなヴィジュアルですし、これはおそらく古いテレビ映像だと思うんですが、演出がNHKの歌謡曲番組みたいだし、曲もそんな感じである。けれども時折、節回しにイスラム圏の民族音楽(クルアーンの朗誦みたいな)っぽいところが現れるのが面白かったです。 ワールドミュージック感だとこっちの曲のほうがより濃いですね。 The Legendary Fairuz posted wit

永野護 『ファイブスター物語』(1)〜(4)

ファイブスター物語 (1) (ニュータイプ100%コミックス) posted with amazlet at 12.10.06 永野 護 角川書店 Amazon.co.jp で詳細を見る ファイブスター物語 第2巻 2005EDITION (ニュータイプ100%コミックス) posted with amazlet at 12.10.06 永野 護 角川書店 Amazon.co.jp で詳細を見る ファイブスター物語 (3) (ニュータイプ100%コミックス) posted with amazlet at 12.10.06 永野 護 角川書店 Amazon.co.jp で詳細を見る ファイブスター物語 (4) (ニュータイプ100%コミックス) posted with amazlet at 12.10.06 永野 護 角川書店 売り上げランキング: 95752 Amazon.co.jp で詳細を見る 1986年から断続的に連載が続いている永野護の『ファイブスター物語』を読み始めました(4巻まで到達)。『ファイブスター物語』に登場するロボット兵器、MH(モーター・ヘッド)のガレージ・キットの作例は、中学生の頃に友達の家で読んだ『ホビージャパン』で目にしていて、当時から「なんだ、この腰が細くてなんかワシャワシャと装飾がついているロボットは〜」と思ってたんですけれども、それを考えたら10年以上経ってようやく漫画に手を出したことになります……と、それはさておき、ちょっとビックリしましたね。まず、第1巻の異様に動きの少ない紙芝居みたいな少年漫画とは異質な構成も「デザイナーが漫画を描くとこうなるのか」と驚かされたんですが(それは第2巻以降で気にならなくなりました)とにかく荒唐無稽とさえ評したくなるほどに壮大なスケールの世界観(なんといっても主人公が神)は、連載当時26歳の人間がどうやって考えたのか不思議に思ってしまいます。しかも、そのストーリーは年表によって最初に語られ、漫画は詳細の説明になっている、という。白土三平の忍者マンガと、ロード・ダンセイニのファンタジーと、『風の谷のナウシ