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12月, 2016の投稿を表示しています

2016年に読んだ本を振り返る

毎年恒例の振り返りシリーズ。  山本義隆 『磁力と重力の発見』  中川純男(編) 『哲学の歴史〈第3巻〉神との対話: 中世 信仰と知の調和』  アレクサンドル・プーシキン 『エヴゲーニイ・オネーギン』  谷川健一 『青銅の神の足跡』  ロード・ダンセイニ 『最後の夢の物語』  菊地成孔 『レクイエムの名手: 菊地成孔追悼文集』  平山昇 『初詣の社会史: 鉄道が生んだ娯楽とナショナリズム』  村上春樹 『女のいない男たち』  鈴木宣明 『図説 ローマ教皇』  梅原猛 『梅原猛著作集(4) 地獄の思想』  『集英社ギャラリー「世界の文学」(12) ドイツ3・中央・東欧・イタリア』  金井壽宏 『リーダーシップ入門』  ロベルト・ボラーニョ 『野生の探偵たち』  クリストフ・ポンセ 『ボッティチェリ《プリマヴェラ》の謎: ルネサンスの芸術と知のコスモス、そしてタロット』  沼上幹 『組織デザイン』  ニッコロ・マキアヴェッリ 『君主論』  辻静雄 『フランス料理の手帖』  モーリス・メルロ=ポンティ 『眼と精神』  フィリップ・K・ディック 『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』  土井善晴 『おいしいもののまわり』  レイモン・オリヴェ 『フランス食卓史』  井筒俊彦 『『コーラン』を読む』  蓮實重彦 『映画狂人日記』  村上春樹 『ラオスにいったい何があるというんですか? 紀行文集』  ヨハン・アモス・コメニウス 『世界図絵』  ミランダ・ジュライ 『いちばんここに似合う人』  原武史 『団地の空間政治学』  岸本佐知子 『なんらかの事情』   辻調理師専門学校(編) 『辻調が教えるおいしさの公式 洋菓子』   湯木貞一 『新版 吉兆味ばなし』   ギュスターヴ・フローベール 『ボヴァリー夫人』   田口卓臣 『怪物的思考: 近代思想の転覆者ディドロ』   阿古真里 『小林カツ代と栗原はるみ: 料理研究家とその時代』  シモーヌ・ヴェイユ 『重力と恩寵: シモーヌ・ヴェイユ『カイエ』抄』   ジョン・マンデヴィル 『東方旅行記』   土井善晴 『土井善晴さんちの「名もないおかず」の手帖』   なぎら健壱 『東京酒場漂流記』   内澤旬子 『世界屠畜紀行』   辻静雄 『うまいもの事

ステファン・グラビンスキ 『狂気の巡礼』

ポーランドの作家、というと、スタニスワフ・レム、ヴィトルド・ゴンブローヴィチ、そしてブルーノ・シュルツ、と一癖も二癖もある作家が思い出されるが、ステファン・グラビンスキもまた、その個性が記憶に名前が刻まれるタイプの作家だと思う。「ポーランド文学史上ほぼ唯一の恐怖小説作家」、「ポーランドのポー」、「ポーランドのラヴクラフト」と称される小説家の短編集を読んだ。 「恐怖小説」、といってもゾッとするようなスリルやホラーを感じるわけではない(この作家性に夢野久作を想起する読者もいると言う)。正直、そんなに怖くはない。けれども、どこか不気味であり、本書のタイトルにもあるような「狂気」をじんわりと感じさせる。 たとえば、この作家は、ある場所に怨念じみたもの、地縛霊じみたものが残っていて、それに主人公が影響を受けてヤバくなってしまう、という話をよく描いているのだが、それを単なるファンタジーや超常現象としてでなく、ある種の特殊な心理的作用として、まるで科学的に説明できるもののように説明しながら書いている。この描写がとてもネチネチしていて、危ない雰囲気を余計に煽る。 荒木飛呂彦とか諸星大二郎が描くモダンホラーに通ずる不気味さがあって良いし、あと本書は装丁もとても良い。正直、そこまで好きな作家ではないんだけれど、めちゃくちゃ雰囲気がある本に仕上がっていて、書店で見つけて「ああ、これは面白そうな本だな、買わなきゃいけないんじゃないか」という気持ちにさせられてしまった。

平本久美子 『やってはいけないデザイン』

デザインについて学んだことは一切なくても、センスが皆無でもホワイトカラーな会社員をやっているとチラシだの、資料だの「デザイン」をする機会は必ずやってくる。そんな機会に延々と上司にダメだしされたり、自分が作るものってなんかイケてないな……となんだりした人は多いと思う。わたしもその一人。本書は、素人がやりがちなイケてないデザインの事例をたくさんあげて「どうしたら良い感じになるのか」の知見を授けてくれる大変良い本。難しい理屈は一切なし、仕事の行き帰りでサクッと読めて、明日から「イケてないデザイン」を作れそうな気分にさせてくれる。 正直、インターネットでデザインに関して調べたらでてくるような話しか載ってない、とも言えるのだが、会社員は調べる時間を金で買うべき。会社のデスクにでもしまっておいて、困ったときに開けるようにしておきたい。「社会人1年目に読む本リスト」(そんなものがあるとしたら)のなかにも入れておきたい一冊だ。 これを読んでわたしもイケてるデザインの資料を作って女の子にモテたい! 「紺野さんの作る資料っていつもオシャレですよね!」と言われたい! けれども、会社員人生は複雑で、こういうのを読んでイケてるデザインのものを作っても、上司のセンスが壊滅的でせっかく作ったものをダサくするよう命じられることも多々あるのが悩みどころだ。

アルフレッド・ベスター 『虎よ、虎よ!』

SFのド古典。当ブログでなんども書いているとおり、SFというジャンルにあんまりハマれないわたしであるが本書は、さすがに「すげぇ本だなぁ……」と思った。ガンダムみたいな宇宙戦争時代に 『Watchmen』 をやっている感じ、というか。これが60年前の小説ですか……。

湯木貞一 『吉兆味ばなし 2』

高級日本料亭、吉兆の創始者、湯木貞一による語りを集めた本。『吉兆味ばなし』の1巻については 『新版 吉兆味ばなし』 という形で手に入りやすくなっているが、その続刊については新版が出ていない。「和食」が世界遺産になっているんだから「和食」を文化(そして芸術)にまで高めた第一人者による本ぐらい、もっと手に入りやすくなっていてしかるべきであろう……と難しい顔になってしまうぐらい良い本。季節ごとの食材について語り手があれこれ語る、その繰り返しで、春になれば筍だし、秋になれば松茸、と語ってることが毎年季節ごとに同じなんじゃないか、と思うのだけれども、その繰り返し、季節の循環が、和の時間感覚なのかも、とも思う。読んでいて、ああ、春が、夏が、秋が待ち遠しいなぁ、という気持ちにもなる。

ジャン=リュック・ゴダール 『ゴダール全評論・全発言I 1950-1967』

わたしはゴダールの良い鑑賞者ではないので(観てるけどほとんど内容を覚えていない)、この本の持ち主にはまったくふさわしくないのであるが、ブックオフで1000円で売っているのを見つけて思わず買ってしまった(2巻も同じ値段で売っていた。買った)。『カイエ・デュ・シネマ』に書かれたゴダールによる評論から、映画監督デビュー以降の文章(おもに自作に関するもの)をほとんど年代順に収めている。ゴダールが選んだ毎年のベストもはいっている(これきっかけで、昨日は早稲田松竹にサミュエル・フラーを観に行った)。あとまだ20代だったル・クレジオと全然噛み合ってない対談をしているのとかが面白い。「うわー、ゴダールってインテリだなぁ」と阿呆のような感想しかでてこないのだけれども、ゴダールが批評を書いてた時代って、インターネットなんかないじゃないですか。そういう時代に、こういう文章が書かれた意味、読まれた意味について思いを馳せたくなる。

ジークフリート・クラカウアー 『天国と地獄: ジャック・オッフェンバックと同時代のパリ』

ヴァルター・ベンヤミンの『パサージュ論』 で言及されていた本。オッフェンバックの生涯と当時の音楽文化と政治、そして19世紀末のパリ(を中心としたヨーロッパの都市)の都市の様相を扱った多面的な文化史。時代的には、7月王政、2月革命、第2帝政、第3共和制の頃の話なんだけれども、わりと退屈な本、と思ってしまった(ベンヤミンにどの部分を引用されていたのかも覚えていないのだが、引用で触れたときのほうが面白そう! って思う)。まだ駆け出しの頃のオッフェンバックが、パリのあちこちで開かれてた金持ちのサロン・パーティーにチェロをもって顔を売りに行っていた、だとか、革命で金持ちがパリから逃げてしまって商売がなりたたなくなった、だとかの小ネタ的な部分や、ベンヤミンに通じる当時のパリの消費文化についての記述は面白いのだが。

池澤夏樹 『マシアス・ギリの失脚』

日本人の作家がマジック・リアリズムの「独裁者小説」(アストリアスの 『大統領閣下』 や、ガルシア=マルケスの 『族長の秋』 のような)を、ラテン・アメリカのまるパクりでなく、日本人が書く必然性をもって書くとするならば、これが理想形なのかも、と思う。太平洋に浮かぶ小さな島国、ナビダード民主共和国の独裁者、マシアス・ギリの立身出世譚と、ナビダード共和国が近代国家として成立するまでの歴史、そして神話、伝説。様々なストーリーが渾然一体となって、大きな物語を形づくっている。大変スケールが大きい小説、まぁ、若干、最後の方尻窄みがあって(この尻窄み感、なにかに似ているな、と思って思い出したのが古川日出男の 『聖家族』 )傑作になり損ねている感じはあるのだが、とても面白かった。何と言っても、登場人物が、結構普通の人たち揃いというか。ほら、ガルシア=マルケスの小説なんかはっきり言って異常者ばっかりでてきて、それがストーリーを引っ張っていくじゃないですか。その過剰さがマジック・リアリズムの魅力でもあるんだけれど、マシアス・ギリを取り巻く人間たちは、主人公のマシアス・ギリを含めて、普通に理解可能な人物として描かれているように思われて。その人間臭さがなんとも良いし、普通なのに、魔術的な色合いを持たせているところに作者のテクニックを感じさせるのだった。これは文体の妙、とも言える。池澤夏樹、上手いなぁ……。

ミーシャ・アスター 『第三帝国のオーケストラ: ベルリン・フィルとナチスの影』

ナチス・ドイツ時代のベルリン・フィルがなにをやっていたか、を資料をもとにまとめた本(クラシック音楽に明るくない人向けに補足するならば、ベルリン・フィルは世界、いや地球最高峰の演奏家を集めたクラシック界の銀河系軍団みたいなオーケストラ)。「困難な時代にフルトヴェングラーは何を追い求めていたのか」と帯にはある。この手の本て、強権的な政治権力に芸術家が自由を求めてどんなふうに戦ったのか、的なストーリーを思い浮かべてしまうんだけれど、本書はさにあらず。 フルトヴェングラーはナチス政権と時折対立して、ベルリン・フィルの監督的立ち位置を降りたりするものの、決別、というまでには至らず、結構持ちつ持たれつみたいな関係性を維持していたことが書かれている。芸術家が清廉潔白でさ、悪には反抗する、みたいな、今でいうと原発には反対しなきゃいけねぇ、みたいな、そういうアティテュードがあるじゃん、芸術家、それとは違う、言ってしまえば、彼らも仕事でやってたんだな、と思わなくもない部分がある。っていうか、芸術家の働く環境がどんどん悪くなって、自由も制限されてるのに、権力闘争とかしてたりして、なんかダーティーな感じ。大御所すぎて困ったちゃんになっていたフルトヴェングラーの影響力をなんとかしようとカラヤンが呼ばれた、とか、さ。 まぁ、ぶっちゃけ、そんなに面白い本ではない。ナチスがベルリン・フィルを利用して国のイキフンを盛り上げたり、ユダヤ人の演奏家を排斥したりした、という事実は広く知られているし、そこまで目新しいような驚きがあるわけではないと思う。新ウィーン楽派を黙殺していた、みたいな話は、ほとんど当たり前すぎるのか、本書の中では触れられもしない。 個人的に面白かったのは、フルトヴェングラーが「もう俺、ベルリン・フィルの指揮者やらねぇ!」と啖呵を切ったあとに、ナチス政権におもねって、今ではほとんど名前が知られてない三流指揮者みたいなヤツがでてきて、ポスト・フルトヴェングラーの座に居座るんだけれども、あまりに実力が足らなすぎて、一瞬で追い出される……、みたいな記述であった。 あと、アーベントロートや、ヨッフム、ベーム、シューリヒト(そしてカラヤンも)といった著名な指揮者が、ナチスによるユダヤ人指揮者の排斥によって、ドイツで仕事が増えた、という記述も面白い。言ってしまえば、ナチスがクレンペ

3枚のアルバムについて

すっかり音楽ブログとしては休眠している当ブログだが、最近発表された3枚のアルバムについて言及しておきたい。まずは松尾潔をして 「降参です!」 と言わしめた Bruno Mars の新譜「24 K Magic」について。新譜はもう Apple Music で良いや、と思っていたけれど、これはアナログで買った。先行で公開された表題作のPVがまず最高で。 冒頭、響き渡る Roger Troutman の亡霊的に響き渡るロボ声から名作の予感がビンビンし、昨年のメガヒット曲 「Uptown Funk」 の路線上にあるキャッチーなシングル曲という感じなのだが、歌詞の空っぽさ、どチャラさがまた最高。最近、Apple Music で手軽に歌詞が表示できるようになったため、こうして「なにを歌っているのか」をチェックしているのだが、Bruno Mars にはなんというか、空っぽ、という中身しかない。 表題作なんか「俺は金持ってるゼ、おチンチンがおっ立つようなチャンネーが群がってくるんだゼ」とか歌ってるし。こんなに空っぽで良いのかな、と。表題作だけではない。「マンハッタンにマンションを買ったんだ」で始まったり、ヴェルサーチのドレスを脱がして……みたいな「背中まで45分」(井上陽水)かよ、みたいな歌詞が満載で、はっきり言って、この軽さ、にみんなあきれ返ってしまうのではないか、と思う。 ただ、悔しいながら、Bruno Mars の歌唱力、そしてこのプロデュース力には脱帽で、知能ゼロに近い軽さでありながら、極度に陽性のサウンドの魔力に屈服してしまう。80年代・90年代のブラック・コンテポラリー・ミュージックを収奪している、だけ、とも言えるのだけれど、そこに一切のダサさ、カッコ悪さがないのが異常。アルバム後半に収録された「Finesse」など、今が本当に21世紀なのかを疑わせるほど、正真正銘のニュー・ジャック・スウィングであるのに、まったく古さを感じさせずカッコ良い。その印象には、モダンな分厚い音圧のサウンド作りも一役買っている。 内省を一切感じさせないような Bruno Mars に対して、The Weekend はメソメソとしているのが対照的であった。サウンドは流行りのテクニカル・ターム「アンビエントR&B」というか、EDM化されたR&B路線を前作から