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9月, 2012の投稿を表示しています

山下達郎 / Opus All Time Best 1975 - 2012

OPUS 〜ALL TIME BEST 1975-2012〜(初回限定盤) posted with amazlet at 12.09.30 山下達郎 ワーナーミュージック・ジャパン (2012-09-26) 売り上げランキング: 2 Amazon.co.jp で詳細を見る 山下達郎がほとんど40年近い長いキャリアのなかで、なにをしてきていたのか、なにを考えてきたのかを辿る3枚組。このベスト・アルバムの発売時のインタビューのなかでは HMVのもの が、彼の音楽に関する商品的な考え方、あるいは録音のクオリティへのこだわりについて詳しく、とても面白かった。このインタビューの内容は今月彼がパーソナリティをつとめたNHK-FMの「サウンドクリエーターズファイル」(全3回の構成で、それは今回のベスト盤の枚数構成と一致する)で話されていたことと重複するけれど、番組では毎回違ったゲストとの対話があって、とくに第1回のクリス松村との対話は「同時代のアイドル・ファンが、山下達郎の音楽でなにかに目覚めてしまった」という体験談を熱っぽく語る様子がちょっとすごかったですね。 それは山下達郎(筋金入りの音楽おたく)対クリス松村(筋金入りの音楽おたく)という対決であり、そして信仰や愛の告白でもあったと思う。私はこの番組を聴くまで、クリス松村という人をどういう人かよく知らなかったんだけれども、山下達郎の音楽の射程範囲の広さについても考えさせられる話でもあった。音楽とセクシャリティの関係性、というか……これはとても微妙な話かもしれないが、かつてのゲイディスコ文化を考えれば、初期山下達郎のバッキバキなソウル & ファンク路線はそれととても馴染むような気もする。今更? って話かもしれないけれども。しかし、70年代後半から日本の音楽文化と市場の変化をガッツリ観察してきた人など限られてくるわけで、そうした意味で、バリバリの現役でありながら(収録されている最新曲『愛を教えて』はオザケンの『麝香』みたいだった)生きた化石みたいなミュージシャンである……。 告白すると、これまで私が親しく聴いていたのは、山下達郎が独立してレコード会社を立ち上げてからのアルバムで(このベスト盤でいうと2枚目以降)、初期達郎の音楽はこれで初めて聴いたと言って良い。で、これで「

ランニング再開、そして、走るときに便利なアイテムについて

昨年の6月に結婚披露宴をやったのを境に、急激に体重が増え始め、原因はといえば酒量が増加しているのと運動を止めてしまったこととで明らかなのに、現実を見てみぬ振りをしていたんですけれども、高度成長期の日本のごとき神武以来の体重上昇は「お尻に妊娠線的なものが発生する(肉割れ、というらしい)」、「パンツのゴムのうえに柔らかいなにかがのっている」、「気がついたら語尾が『ブヒ〜』になっていた」などの醜悪な弊害を発生させていたため、フランス旅行から帰国した日からランニングを再開していたのだブヒよ。 それから2週間、やりはじめるとハマってしまう性格だし、かつて習慣的にやっていたことはすぐに身体が思い出してくれることもあって、今日で6回目、大体1度に9km弱を走るので走行距離が50kmを超えた。体重はすでに2kgほど落ちた(もちろん走った直後、水分が身体から出ているときに計測した数字ではない)。1度に消費されるカロリーは、550kcal〜600kcalぐらい。体重1kgを減らすのに必要な消費カロリーは7000kcal弱と言われており、少なく見積もっても本日で3300kcalほどしか消費していないのに2kg減っているのは、一日のスケジュールのなかに、ランニング、という習慣が入り込んだおかげで、家での飲酒量が激減したことによるのだろう。 平日はランニングがしたいという理由により、なるべく残業をしないようにガーッと仕事をやって定時ちょい過ぎに帰り、夕食を食べたり、軽く家事をしたりする。で、お腹がこなれるまでラテン語なり数学なりを勉強してると22時過ぎてるので、それから1時間弱走る。帰ってきたら即風呂、即就寝。ビールのプルタブをプシュッとやる時間的余裕がどこにもないのである。結構禁欲的だが、ビールを買わない、飲みにもいかないとお金も減らないし、とても良い(とっても良いブヒ〜)。 あと今はランニングの実績管理にiPhoneアプリの「 RunKeeper 」というのを使っていて、これがとても良い。GPSでコースと距離と高低差、1kmごとの平均速度や全体の平均速度とか消費カロリーとかを記録してくれる。似たようなアプリはいくらでもあるので、ぶっちゃけなんでも良いのだけれど、こういうのがあると「自分がどれぐらい頑張ると、どれぐらいの速度で走れる」という風に肉体感覚と数字が結びついていく感じ

くるり / 坩堝の電圧(るつぼのぼるつ)

坩堝の電圧(るつぼのぼるつ)(初回限定盤B:DVD付き) posted with amazlet at 12.09.29 くるり ビクターエンタテインメント (2012-09-19) 売り上げランキング: 32 Amazon.co.jp で詳細を見る かつて「97年世代」という言葉が在りし頃、日本にはスーパーカー、Number Girl、くるり、という3つのバンドが存在し、それぞれがそれぞれの思い出、当時の若者たちの心を掻きむしっていた、という……その後、00年代という時代のなかで、かつての3バンドのうち、あるバンドはiLLな状態になり、あるバンドは「法被を着たLed Zeppelin」としてカルト化し、くるりだけが様々な変容を重ねながら生き延びているけれど、その生存が可能となったのは、くるりがリスナーから背負わされていたサムシングを、ASIAN KUNG-FU GENERATIONや、チャットモンチーといったバンドへとアウトソーシングすることによって、その身を軽やかにできたからではないか……などというほとんど妄想に近い日本ロック・ミュージック史の一部を冒頭に置く。 で、くるりの新譜である。毎度、日本の音楽批評誌ではくるりが新譜を出すたびに「最高傑作」と特集され、その空回りぶりは「そりゃあ『Snoozer』も無くなるわ」というリスナーと業界との距離を感じさせるものであり、でも、それはくるりというバンドがなにかを背負ってきてしまっている証跡でもあるような気がする。しかしながら、その背負わせている当事者と、バンドが対象にしているリスナーの実像は少しずつズレていっており、もはや俺はこのバンドが相手にしているお客さんではないのは、とか、今回のアルバムでは決定的に感じさせられた。山下達郎が最近のインタビューで「自分の音楽は自分の世代のためのもの。リスナーとともに変化させていく」と語っていたのとは、対照的でくるりはずっと心の柔らかい部分を剥き出しにしている感じの若者相手のロック・バンドなのだな、とか。メンバーが増えたり、佐藤マ社長が金髪になったりしてるけど、根幹みたいなものは変わってない(でも、自分は変化している)。 ただ、こうしてバンドから振り落とされてしまっても、アルバム自体が悪かった、わけではなく、19曲収録された楽

宮腰忠 『高校数学+α:基礎と論理の物語』

高校数学+α:基礎と論理の物語 posted with amazlet at 12.09.26 宮腰 忠 共立出版 売り上げランキング: 168615 Amazon.co.jp で詳細を見る わたしはガチガチの文系野郎であって、高校時代もあまりに数学が不得意だったので一年生の段階で早々と「あ、私立文系にしよう……」と匙を勢い良く投げ(同時に、他の理系科目も不要なものとして処理してしまった)、気がついたら黒板に知らない記号がたくさん並んでいた、という体たらくで高校を卒業し、その後、大学時代も統計学(必修)などで数学が必要になった場合も「先生と仲良くなる(そして、分からないなりに授業には真面目に出る)」などの処世術で乗り切って現在に至っているのだが、半年ほど前に天啓がおとずれたかのように、数学、やってみようかしら、といきなり思いたち、そこからコツコツとノートをとったりしながら上記のテキストを読んでいたのだった。 この『高校数学+α:基礎と論理の物語』はかなり評価が高いテキストではあるのだが、いろいろとわたしは勘違いをしていた。この本は「高校数学の基礎」を物語的に教えてくれる本、ではなく「高校数学で出てくる数学の理論を、その成り立ちから解説する」という本だったのである。演習問題なしに基礎が身に付いたりするマジカルな本、じゃなかったのか……と気づいたのは、中盤に差しかかってからで、その後もなんとなく勿体ないから「う、う、難しいよ……わかんないよ……」としょんぼりしながら読みました。かなり抽象度も高いし、公理の証明の部分とか、読んでもぽかーん、という感じ。 とはいえ、学ぶところがゼロだったわけではなくて。このテキストの解説は「そもそも数ってなんだ!?」という根本的なところから話が始まったりするので、普段生活しているうえでの当たり前となってるモノが覆されるような、まるで社会学的な体験を与えてくれる内容だったりして、理解できる部分だけ拾っていってもソコソコ面白く読める。三平方の定理の頻出具合に、うお、これ考えた人、スゴくない!? とバカみたいに感心したし、なにより、高校時代みたいに定期テストのために数学をやっているわけではない、という気楽さが良かった。赤点を取ってはいけない、というプレッシャーから解放されて望む数学

読売日本交響楽団第518回定期演奏会 @サントリーホール 大ホール

指揮=スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ クラリネット=リチャード・ストルツマン ウェーバー:歌劇「魔弾の射手」序曲 スクロヴァチェフスキ:クラリネット協奏曲(日本初演) ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」(デ・フリーヘル編) 夏休みを明けて下期シーズンに入っての読響定期、1発目でスクロヴァチェフスキ御歳88歳(米寿)の登場である。今回はブルックナーやベートーヴェンといった肝となるレパートリーからちょっと外して、メインにヴァーグナー、前プロにヴェーバー、中プロに自作のクラリネット協奏曲、といろいろ並んでいたけれど、なんというか、スゴい老人力、というか、好き放題やっている感じが充実した演奏に結びついていたのでは、という演奏会だったと思います。 特にヴェーバーはなにか鬼気迫るモノ、というか、老人性の癇癪がいつ爆発するのだろうか、という緊張感と爆発が凄まじいことになっており、これはヤリ過ぎのレベルであって、コンサート・ピースとして切り出された楽曲ならではの無茶苦茶な怪演だったと思います(開幕前の序曲では、あり得ないだろう、という)。それだけに冒頭のホルンが「ウッ」という出来だったのは残念ですが、今日の演奏はライヴでなければそのスゴさが伝わらなかったのでは、とも感じます。短いなかにスクロヴァチェフスキの音楽の鋭さであったり、大きさであったりが詰め込まれていたと思う。 日本初演の中プロは、何と言うべきか、老い先短いおじいちゃんに好きなことさせてあげよう、と見守る家族みたいな気分にサントリーホール全体がなった、と言って良いでしょう。ストルツマンと読響の初競演がまさかこんな何とも言えない曲とは……。曲調としては、20世紀のポーランドの人、という感じもちょいちょい感じさせるのですが……わからなかったですね。自分が楽しむには勉強不足。 メインのヴァーグナーはもう大満腹でしょう。今回はヘンク・デ・フリーヘルという人の編曲版ですが冒頭からブルックナーの交響曲の第3楽章か、という壮大な雰囲気で攻めていました。純器楽を中心に音楽を聴いていたため《トリスタンとイゾルデ》自体あまり聴いてこなかったのですが、ブルックナーやリヒャルト・シュトラウスなど、ヴァーグナーが与えた後世の影響を考えたりもし、おー、楽劇聴いてみようか、などとも。

Lorraine Daston, Katharine Park 『Wonders and the Order of Nature 1150-1750』

Wonders and the Order of Nature, 1150--1750 posted with amazlet at 12.09.23 Lorraine J. Daston Katharine Park Zone Books 売り上げランキング: 143578 Amazon.co.jp で詳細を見る このへんのエントリーで「読んでます」報告しているのを見る と、およそ9ヶ月ぐらいかかったみたいですが、ようやくロレイン・ダストンとキャサリン・パークの大著『Wonders and the Order of Nature 1150-1750(驚異と自然の秩序)』を読み終えました。これはなかなか大変な本でした。まず、大昔のラップトップ・コンピューターぐらいのサイズと重量があり、持ち運ぶのがツラい。「なんで、こんな大きな本持ち歩いてるの……」と呆れられること多数。ペーパーバックもあるのでそっちを買えば良かったんですが、日本のAmazonではマーケットプレイスでしか取り扱いなし。それから、日本語で言えば、ものすごい画数が多い感じで表現されそうな使用頻度が少ない英単語や医学用語など辞書を引くのが大変でしたね。これは「オシテオサレテ」の坂本さんも「あの本は難しいよ〜、むちゃくちゃ辞書引いたもん」とおっしゃってましたね。でも、面白かった! 一本足人、一つ目人間、二つの顔を持つ人、無頭人、犬人間 本書は中世から啓蒙主義の時代に「Wonder(驚異)」が西欧においてどのように取り扱われていたのかを巡る歴史書です。当時の思想家、科学者、あるいは権力者や民衆たちが、驚くべきものに対してどんなリアクションをしてきたのかが1150年から1750年という長いスパンで精査されていきます。時間の経過とともに、何が驚異として取り扱われるかも時代によって変わってくる。例えば、中世においてはヨーロッパの外部にたくさんの驚異が想像されていたりするわけです。アフリカやアジア、といったヨーロッパの外部に、一本足の人間や一つ目人間や、犬人間とかがいる! とか。これらの想像上の驚異は、プリニウスの『博物誌』の時代からヨーロッパで伝えられてきたものでした。 教皇ロバの図像 活版印刷もなく、情報の流通システムがおどろくほど貧弱だ

荒木飛呂彦 『ジョジョリオン』(3)

ジョジョリオン 3 (ジャンプコミックス) posted with amazlet at 12.09.21 荒木 飛呂彦 集英社 (2012-09-19) Amazon.co.jp で詳細を見る 書店で見かけて手にとったとき「なんか薄くねえ……?」と思ったが、なかみは激アツな展開。第2巻で示唆された『スティール・ボール・ラン』との連続性がここではっきりと明らかになり、まるで2周目のジョジョの系譜がはじまったかのよう。これはもしかして……、第6部にでてきて唯一1周目の世界からの越境者であるあの少年が登場したりするのでは……? まさか、記憶がない主人公の記憶がないのはあのディスクが……? などと妄想も爆発してしまうではないか。細かいところをよく見たら、第4部にでてきたあんなものやあんなマークもあるし。そして、荒木先生は、目が大きくてちょっと離れている女性の顔が好きになってきたのだろうか……。

『論語』

論語 (岩波文庫) posted with amazlet at 12.09.19 岩波書店 売り上げランキング: 1381 Amazon.co.jp で詳細を見る なぜかパリに向かう飛行機と、その帰りの飛行機のなかで『論語』を読んでいた。言わずとしれた孔子一門の言行録、というかありがたい発言集であり、およそ2000年ほど前に成立したザ・ベスト・オブ・自己啓発本、そして内容の抽象度が高いため、現代においてもいかようにも解釈できるため汎用性が非常に高い書物……というのが第一印象であり、なんというかこんな偉そうなことばかり言っている孔子と言う人間が「この人の下で政治をするのはなあ」と色々面倒くさがって諸国を遊説しながらアレコレし、途中で官僚として迎え入れようとする人もいるのに「や、アナタ、私よりも下の人間でしょ」と言わんばかりに話を断って、遂には政治の実権を執らないまま亡くなり、それはまるで様々な優良企業から内定をもらっているのに全部蹴って、仕舞に起業したあげく、鳴かず飛ばずで自死! あるいは、一生童貞のまま死亡! みたいな感じであるのに……それなのに後世に絶大な影響を及ぼした、というのがあまりに謎なのだが、逆にそうであるからこそ、君子の政治は難しい、不可能であるからこそロマンティック! みたいな話なのかもしれない。 岩波文庫に収録されているのは、漢文、読み下し文、それから現代語訳、という構成で大変読みやすいのだが、現代語訳の読みやすさはそれだけ致死量を増す。特に第7巻憲問第14 37章における わたくしのことを分かってくれるものは、まあ天だね。 という発言たるや、ナルシシズムの極地と言えよう。しかも孔子にとっては妖術・仙術の類いは君子の道から外れるものであり、天とは不可知、つまり認識ができない絶対的な知である。にも関わらず、天だけが私のことを理解してくれる、とはいかなるものか。妖術・仙術、こうした神秘主義はまとめて「鬼」という一文字で括られ、孔子においては顧みられることがない。孔子が重要視するのは、現実的な「仁」であり、あるいは「礼」であり、あくまでリアリスティックな方法論を体得することによって、実践される政治である。それはアレやコレやと認識の梯子をのぼることによって、イデアに到達せんというプラトン流の哲

パリでパサージュを撮ってきた(2)

こちらのエントリー のつづき。パリで撮影したパサージュの写真を掲載します。 パサージュ論 第2巻 (岩波現代文庫) posted with amazlet at 12.09.17 W・ベンヤミン 岩波書店 売り上げランキング: 216302 Amazon.co.jp で詳細を見る

Zazen Boys / すとーりーず

すとーりーず posted with amazlet at 12.09.17 ZAZEN BOYS MATSURI STUDIO (2012-09-05) 売り上げランキング: 150 Amazon.co.jp で詳細を見る うおお、ナンバーガール解散から今年で10年目なのかい! ということはZazen Boysも活動からほとんど10年近く経過しているのだなあ……現在のメンバーになってもう5年経ってるのかあ……(ぽわわん)と思わず追憶モードに入ってしまったが、新譜である。丸4年越しの。今回のアルバムでの新しい試みなどについては、 各種インタビューを参照していただくとして 、このバンド、アルバムを出すごとに、嘘っぽいアーバンな感じを深化させていった、という印象があるのだが、今回は「なんか一周しちゃったな」という感じで、途轍もなかった。 全楽器がユニゾンでガン鳴らされる瞬間の鉄壁のアンサンブルなどは、エルメート・パスコアールか…… と思ったが全然違うし、サン・ラか…… とも思ったが全然違う。とはいえ、バンドが高いレベルで統御されている様子には、上記にあげたジャズの人たちが放つ強烈なカルト臭と同じものを感じるのだった。これは70年代のマイルス・デイヴィスのバンドにも同じことが言えるが、こちらは4人なのにカルト。そして、ガチガチにキマッてるけどクール、熱いけど素面、みたいな相反する要素を音楽から感じ、なんというか平熱で人を殺してしまいそうな恐ろしさがある音楽であるな、と思った。 歌詞もアレだ。最後の「天狗」など極めつけにおかしく、たった一言「あれはもう遠い昔の記憶」というフレーズだけで、なにか、存在しないはずの郷愁のようなものを掻きたてつつ、その後はひたすら天狗の話をする、という異次元レヴェルのセンチメントなのだから、こちらとしては笑いながら怒る人みたいになるしかないのではないか。 あと「天狗」の元には黒田硫黄があるか? 新装版 大日本天狗党絵詞(1) (アフタヌーンKC) posted with amazlet at 12.09.17 黒田 硫黄 講談社 Amazon.co.jp で詳細を見る

パリでパサージュを撮ってきた(1)

9月11日から15日までパリに滞在していました。2年連続2度目のパリ旅行、今回は前回旅行時にリサーチ不足で見られなかったパサージュを見学し、ヴァルター・ベンヤミンが見た景色について思いを馳せてみよう、というのが個人的な目的のひとつでした。たまたま取ったホテルの近くにパサージュがいくつもあり、到着したその日からミッションを進められたので良かった。以下、撮影した写真を掲載します(各パサージュの場所については こちら のサイトを参照のこと)。 パサージュ論 (岩波現代文庫) posted with amazlet at 12.09.16 W・ベンヤミン 今村 仁司 三島 憲一 岩波書店 売り上げランキング: 130167 Amazon.co.jp で詳細を見る

芦原義信 『街並みの美学』

街並みの美学 (岩波現代文庫) posted with amazlet at 12.09.11 芦原 義信 岩波書店 売り上げランキング: 126653 Amazon.co.jp で詳細を見る 著名な建築家による都市景観論を読みました。本書は、日本と諸外国における家の観念の違いにはじまり、生活様式や利便性を確保しながらどのような街並みがあるべきか、そして街並みの美しさとはそもそも何なのかを検討する内容となっています。建築様式の発展は機能主義的に説明され、哲学をもって人々の暮らしを捉えつつ、美しさをゲシュタルト心理学によって規定しようとするなど説明が簡潔で読みやすい。その一方で「ゲシュタルト心理学的に街並みを考察すると、人間はその街並みの構成を『図』として認識できると美しいと思えるらしい」(大意)というところから、雑然とした日本の都市は「『図』として認識がしにくい、ゴミゴミしていてダメ」とバッサリ切り捨てていく展開は、素直に飲み込むことができませんでした。 本書の基本的論調として、西欧の諸都市にあるような昔からあった街並みを保護した景観は賞賛され、戦後日本の街づくりはことごとく批判の対象となるというのがあります。そのなかで京都の町家だけが何度も素晴らしい伝統として持ち上げられているため、高度成長最低、伝統万歳、みたいにも読めてしまう。書かれたのが70年代末ですから、オイル・ショック以降ですから戦後日本の経済発展を反省するのが一種の知的なブームだったのかもしれません。しかし、日本人には雑然として見える景観でも、外国人にとってはエキゾチックに見えて良い、ということだってあるでしょうし(ソフィア・コッポラが撮影した新宿の夜景を見れば、外国人旅行者が東京のなにを見ているのか、を想像することができます)、東京のインフラの新しさ・清潔さはヨーロッパと比べたら好ましいと思えます。 また、ル・コルビュジエの設計を形式美学に拘泥するあまり人間性を失っている、と批判する一方で、機能ばかりではなく、余裕をもった歩道作ったり、街路樹植えたりして、もうちょいキレイで人にやさしげな都市を作れたら良いよね! と曖昧な価値観の提示しかできていないのは、なんとも。利便性や経済的合理性、あるいは環境への配慮などなど都市の形成にはさまざまな

ヴァルター・ベンヤミン 『パサージュ論』(2)

パサージュ論 第2巻 (岩波現代文庫) posted with amazlet at 12.09.10 W・ベンヤミン 岩波書店 売り上げランキング: 194119 Amazon.co.jp で詳細を見る 『パサージュ論』第2巻は「蒐集家」、「室内、痕跡」、「ボードレール」の項目を収録、大部分が「ボードレール」のページで、私はこの詩人についてよく知りませんので、その辺はキツかったです。でも、その他の項目は面白く読みました。とくに「蒐集家」について。これはベンヤミンのほかのエッセイでも取り扱われている内容だと思うんですが(例えば 『ベンヤミン・コレクション2』 に収録されている「蔵書の荷解きをする」とか)、ひとつの断片におけるまとまりが他よりもしっかりしていて読みやすいです。ここでベンヤミンが語る蒐集行為とは、そのモノが持つ機能のために集められているのではなくフェティッシュ(物神的な)な行為です。お金は使わないと単に紙切れなのにそれ自体に価値があるように貯えているヤツがいる、そうした現象をマルクスは物神化作用と呼びましたが、読みもしない本や聞き返さないレコードを抱え込んでいる人などもこの類いに入ってしまうわけです。 しかし、蒐集されたモノは単に集められるわけではない。蒐集家によってモノは秩序づけられ、意味付けられ、そこには世界が構築され、ベンヤミンによれば、パリのパサージュはこのような「一人の蒐集家の手のうちにある所有物であるかのように考察され」(P.12)ます。ガラスと鉄骨の屋根の下に立ち並んだ小さな商店は、蒐集家に意味付けられたモノのアレゴリーになるのですね。 建築物を秩序づけられた世界と読み解くのは、なにもベンヤミンが初めてではなく、 フランセス・イェイツ や ライナルド・ペルジーニの著作 を紐解けば、ルネサンス期のイタリアで大きな盛り上がりを見せていることが分かります。古代記憶術の伝統から生まれたジュリオ・カミッロの記憶劇場では、通常の劇場であれば、観客が座って舞台を眺めるであろうところに同心円上に秩序体系化された知識が配置され、宇宙を形成します。 このようにカミッロの記憶劇場とベンヤミンのパサージュは、仕組みとしてよく似ているように思われるのですが、決定的な違いは、前者が利用者が舞台か

Billy Bragg & Wilco / Mermaid Avenue: The Complete Sessions

Mermaid Avenue: the Complete Sessions posted with amazlet at 12.09.10 Billy Bragg & Wilco Nonesuch (2012-05-14) 売り上げランキング: 64630 Amazon.co.jp で詳細を見る 今年はウディ・ガスリー生誕100周年だそう。このフォーク歌手についてはすみません、ほとんど何も存じ上げませんが、これにあわせてイギリスのミュージシャン、ビリー・ブラッグとアメリカのバンド、Wilcoによるウディ・ガスリーの死後未発表となっていた詩を用いて曲作りをおこなうプロジェクト『Mermaid Avenue』のコンプリート・セッションズというアイテムがリリースされています。収録内容は1998年の『Mermaid Avenue』、2000年の『Mermaid Avenue Vol.2』に、未発表音源の『Mermaid Avenue Vol.3』、さらにレコーディン最中のドキュメンタリーDVDまでついてくる、というマッシヴなもの(大抵こういう特典DVDって観ずにいるんですが…… Orange Juiceのボックス・セットについてきたDVDも観てないし )。先日、Dirty Projectorsのアルバムを聴いて「俺が求めているロックは、こういうのじゃない!」とまるで枯れきったオッサンのごとき悟りを開いてしまったところに、この骨太なルーツ・ロックは沁みました。Wilcoにこういうことをやらせると、ますますBlack Crowsとキャラがかぶってきてしまいますが、良いんです! フォーク・ミュージックのなかでも特に、プロテスト・シンガーの書く歌詞って時代と切り離せないものであったりしますから、聴いても分からない、だから敬遠してしまう、ということがあると思うのです(そもそも英語もよく聞き取れないし)。このアルバムのなかで使用されているウディ・ガスリーの詩も、人権運動で有名な人物の名前がでてきたりして例に漏れず、といった感はある。けれども、こうスピーカーの前に座って、歌詞を読みながら聞いてると、シンプルな言葉で綴られた労働や失恋についての歌が、妙にハマったりするんですよね。ウディ・ガスリーが生きた時代の労働や、男女の関

安達哲 『さくらの唄』

さくらの唄(上) (講談社漫画文庫) posted with amazlet at 12.09.09 安達 哲 講談社 売り上げランキング: 24080 Amazon.co.jp で詳細を見る さくらの唄(下) (講談社漫画文庫) posted with amazlet at 12.09.09 安達 哲 講談社 売り上げランキング: 17505 Amazon.co.jp で詳細を見る 10代の頃にありもしなかった、そして今後ありえるはずのない心の痛みらしきものを、こうした漫画を読むことで仮に受けて、グッと来たりしてます。

MacBook Proに赤ワインこぼしちゃったよ、泣きたいです、の記録

昨年の7月に購入してからさまざまに使いまくっていたMacBook Proに、赤ワインをBUKKAKEてしまったのが、9月6日のできごと。そのとき「まず布巾をもってこなくては……」ともたもたしていたら画面とボディをつないでるヒンジの部分からワインが染み込んでしまい、ディスプレイの接続部分を損傷させてしまったらしく「ドゥゥーン」とカッコ良い村上ショージのような起動音とともに立ち上がりはするものの、ディスプレイには何も表示されない、という状態に陥りました。飲酒 with インターネットの恐怖!  みなさんも気をつけて! 一瞬先は闇です! しかも、その夜から私の夏休みがはじまっており、のっけから最悪な幕開けだったわけで……。 MacBook Proが不在になった机(きたない) とはいえ夏休みだったからこそ、次の日即座にアップル・ストアへと持ち込んで修理の見積もりとかを出してもらえる、というタイミングではあったのですが。アップル・ストアのジーニアス・バー(修理窓口)は予約制ですが、iPhoneからスムーズに予約がとれました(平日だったせいか、当日でも予約可能だった)。ただし、予約してても混雑しているとちょっと待たされます。でも、アップル・ストアの店員さんはみんな意識が高そうなので、不快な対応はありません。時間より少し遅れて対応をはじめてくれた黒田勇樹みたいなスタッフさんは「実は飲み物をこぼしてしまいまして(……ペラペラとオタクっぽく状況と、損傷してそうな部品について伝える)」と言ってる間、つねにまるで悲劇でも聞くかのような悲痛な面持ちでおり、親身に相談乗ってます感がものすごかった。 ワインをこぼした後に、自分でも裏蓋を外して内部の基盤の様子をチェックしてはいたのですが、ここでも同じことをされて「お客様の予想通り、正常に起動はしているようなのですが、ディスプレイの接続部分が損傷を受けてるみたいで〜」とのこと。そうか〜、と思ってたらスタッフの方から出た次の言葉が胸に突き刺さりました。 「この部分、一番高いパーツでして、修理すると11万円になるんですよ……」 思わず「11万円っすか……」と絶句。アップルの規定で修理代は一律5万円、みたいなプランもあるのだけれど、この部分はもうなんともならん、11万円です、ということだそう。うう……中古で別なマシン買えるじゃな

村上春樹 『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集1997-2011』

夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集1997-2011 (文春文庫) posted with amazlet at 12.09.09 村上 春樹 文藝春秋 (2012-09-04) 売り上げランキング: 499 Amazon.co.jp で詳細を見る 村上春樹が『アンダーグラウンド』から『1Q84』を出版するまでに受けたインタビュー集(文庫版へのボーナス・トラックでは2011年の地震以降のインタビューも含む)を読みました。創作のプロセスや、日々の生活、小説家になるまでの経緯など、長いあいだこの作家のファンを続けてきた人であれば、どこかで知っていた話、繰り返し聞く話になる本かもしれません。でも、繰り返し語られることで高まる確証のようなもの、信頼感みたいなものがあるとも思われ、一言で言えば、こうして自作や自分についての発言がまとまって読める形になっているのはありがたいことだな、と感じました。もちろん、「あの作品」がどのように書かれたか、という話や、国内の賞は受けないのに外国の賞は受ける理由など、この本で初めて読んだものも多かったですけれど。 本書に収録されたインタビューも、インタビュアーの多くが外国のメディア関係者、あるいは外国で村上春樹の本を訳している人物になっています。そして、日本の外から村上春樹を訊ねてきた人物たちが聞く話のほうが面白く読みました。日本人によるインタビューはどうしても内輪感が出てしまっている、というか、文壇感があるというか、というか、わかっていますよ感、というか、妙な居心地の悪さを感じます。その極端なものが古川日出男が聞き手となっているもので、これには居心地の悪さを超えて「うん、うん、わかるよ、わかるよ」と解答を常に受け入れてしまうことの気持ち悪さを感じてしまいます。 「個人的な」小説を、ほとんどひとりで書き続けている孤独感(しんどさ)とその居心地の良さのアンビヴァレントな感覚が、複数のインタビューのなかで繰り返される言葉から伝わってきます。個人的には、そうした地点に立てるうらやましさもありました(チーム・プレイや組織のルールを守ることが苦手なので)。読んでて、自分にもそういう風にモノを書いたり、研究したりする機会が訪れないか、って夢見てしまう。

今敏 / PERFECT BLUE

パーフェクトブルー 【通常版】 [DVD] posted with amazlet at 12.09.08 ジェネオン エンタテインメント (2008-02-29) 売り上げランキング: 10569 Amazon.co.jp で詳細を見る 一昨年、急逝された今敏監督の初監督作品を観ました。ストーカーモノのサスペンス、と思わせておいて、予想を何度も裏切ってくるループ & ネストなサイコ・サスペンスでドキドキとさせられました。98年の時点で、インターネットが重要なアイテムとして劇中に登場する早さもやはり注目されるところなのですが、ちょうど『PERFECT BLUE』の公開時と同時期に放映されていた『カウボーイビバップ』を見直したりしていて、両者のネットワークの描かれ方の違いを考えたりもしました。後者で描かれるネットワークは、ウィリアム・ギブソン原作の映画『JM』や、押井守の『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』(どちらも95年)で描かれたような空間的な広がりをもつモノで、その描写は細田守の『サマーウォーズ』(2009年)にも引き継がれていく。その空間は広大で自由であり、そのイメージは現実のインターネットにも重なるものです。しかし『PERFECT BLUE』のインターネットはもっと夢がない。ネットワークを介して誰とでも繋がる自由がある、その一方で「誰か」と繋がってしまう、というリアリティがある、と思いました。ネットワークの世界へ霊魂的なものを解き放ち、どこにでも偏在しえる自由を獲得する『攻殻機動隊』や、ネットワークによって集合的な善意と接続される『サマーウォーズ』と違って、『PERFECT BLUE』では特定の誰かとの接続が、主人公の自我を蝕むきっかけを作っていく。言うなれば標的型の攻撃性がここでは描かれているのでは、と思われるのでした。 そのほか、15年近く前の映画に登場するオタクの姿が今と全然変わってなかったり、大友克洋的な重力を強く感じさせる描写があったり、面白かったです。

ベルリン国立美術館展 学べるヨーロッパ美術の400年 @国立西洋美術館

ベルリン国立美術館展 学べるヨーロッパ美術の400年(公式) 同じく上野で開催中の『マウリッツハイス美術館展』と同様、フェルメールをメインに据えた展覧会にいってきました(『学べるヨーロッパ美術の400年』なんですけどね)。東京文化会館の前には「マウリッツハイス美術館展 60分待ち」という看板がでていましたが、ベルリン国立美術館のほうはかなり混雑しているものの入場制限なしで入れました。チケット売り場は、年配の方向けに「こちらにあるのはフェルメールの『真珠の耳飾りの少女』だけですが、よろしいですか?」と確認していて、それでちょっと流れが悪かったかも。「15世紀から18世紀までのヨーロッパ美術を、イタリアと北方の美術を比較しながら観ることのできる展覧会」、「学べるヨーロッパ美術」というコンセプトも、ちょっとイマイチわからなかったですね。結局メインは17世紀絵画であり、そのなかでもフェルメールじゃん、という感じがしましたし、回廊を歩きながら美術史を辿る感じは、常設展のほうが強く伝わってくる気がする。とはいえ、暗い絵が連続するなかで、フェルメールが現れ、柔らかい光が目に入ってくる感じは、グッとくるものがあり、これが人気なのも納得かもなあ、と思いました。

1年以上かけてWheelock's Latinを一周終えました

Wheelock's Latin 7th Edition (The Wheelock's Latin Series) posted with amazlet at 12.09.04 Richard A. LaFleur Collins Reference 売り上げランキング: 5649 Amazon.co.jp で詳細を見る はじめたのが昨年の7月とありますから 、およそ1年2ヶ月のすえ、Wheelock's Latinの40章まで終えました(いま、おめでとう自分と思いながらワインを飲みつつこのエントリを書いています)。後半は例文も結構難しくてツラく、暗記しなくてはいけない文法事項や変化もひとまずおいてどんどん文章を読むようにしていきましたが、Sententiae Antiquaeのコーナー(キケロやホラティウスなどの名言めいた文章が載っている)が面白かったから続けられました。この古典からの引用は教材用にちょっと易しくなっているところもありますが、箴言・金言がラテン語の響きで読めるようになる、というのはありがたみが増す感じがある。現代でも有名な経営者やスポーツ選手の本には人気がありますが、ライフハック風の箴言・金言が好きなのは古代ローマ人も同じだったっぽいです。 この教材、問題の解答がないのがひとつのネックなんですが、ネットをさがすと英訳の解答例が載っています。たとえば日本の方による40章分の解答例が こちらにある 。ただし、こちらは第6版の解答のため、最新の第7版で追加された問題の解答はありません(でも、そんなに追加・変更部分はないのであまり問題になりませんでした)。まあとにかくこの教材は安いし分量もあるし、丁寧だし、なので説明がすべて英語でも、インターネットがあればラテン語を独学で勉強するのも怖くないですよ!

グスタフ・ルネ・ホッケ 『迷宮としての世界 マニエリスム美術』

迷宮としての世界(上)――マニエリスム美術 (岩波文庫) posted with amazlet at 12.09.03 グスタフ・ルネ・ホッケ 岩波書店 売り上げランキング: 58397 Amazon.co.jp で詳細を見る 迷宮としての世界(下)――マニエリスム美術 (岩波文庫) posted with amazlet at 12.09.03 グスタフ・ルネ・ホッケ 岩波書店 売り上げランキング: 58365 Amazon.co.jp で詳細を見る 「マニエリスム絵画には、迷宮としての世界が広がっている!」的な本かと思って読み進めたら、見事に裏切られました。本書は「美術史の名著」などと紹介されているのだと思いますが、通常我々が「歴史」という言葉から連想する線的にストーリーをたどるものではございません。これはルネサンスと現代絵画(とくにシュールレアリスム)、そして文学・哲学、ときおり音楽を交えながら、グスタフ・ルネ・ホッケによる博覧強記が炸裂する奇怪な批評の連続であり、読み手にも様々な教養が必要とされるため、何も知らない門外漢が読んでも「なんですか、コレは……」と目が点になるばかりでございましょう。それではまさにホッケが読み解いた世界の迷宮を彷徨うだけで無為な時間を過ごすだけですし、あまつさえAmazonに「意味不明!」などとクソみたいなレビューを書き、人に迷惑をかけることになるためお気をつけください。 絵画については、250以上の図版がついてくるのでまだ良し(ただし白黒。しかし、我々にはインターネットという強い味方がある!)。それ以外については、少なくともマルシリオ・フィチーノ、ピコ・デラ・ミランドーラ、ジェロラモ・カルダーノ、ジョルダーノ・ブルーノ、アタナシウス・キルヒャー、バルタザール・グラシアンなどの15世紀から17世紀の思想史を語るうえで欠かせない人物のことを知っていなければ分からない。さらにホッケがエグいのは同時代の絵画と思想を結びつけるだけではなく、過去と現代を結びつけてる四次元殺法でしょう。これについていける人物だけが、迷宮に迎え入れられたものなのです。ときにはホントに突拍子もない「言ってみるテスト」でしかない文章もある。たとえば、ダリを