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とくに光源氏のライヴァルであるところの頭中将の娘、玉鬘をめぐる「玉鬘十帖」と呼ばれる部分は、全編のなかで最も印象的である。いろいろあってこの玉鬘、田舎に引っ込んでおり、いろいろあって光源氏の娘、というテイで上京してくる。で、まぁ、美人の娘が光源氏のところにいるらしいゾ、という噂が広まって、光源氏の息子世代の若い貴公子たちが彼女とつながろうと頑張る。光源氏は、そういう若者たちの気持ちを弄ぶような行動を取るんだよね。蛍を集めて、その光で遠目に玉鬘の姿を見せたり(このシーン、全編のなかでも最も映像を喚起する力が強い)。で、光源氏は光源氏で玉鬘に「父娘ってことになってるけど、実は俺もすごいお前とつながりたいんだよね……」と言い寄るゲスぶりを発揮する。光源氏にとっては、玉鬘はライヴァルである頭中将を牽制するためのカギであり、愛欲の対象、という重要人物、という描かれ方がなんともスリリングで良い。
ここでわたしがもう一つ気に入っているのは、近江の君の存在で。彼女は、頭中将が「思い出のあの人(夕顔のこと。光源氏とも付き合ってたが六条御息所の生霊に取り憑かれて死亡)の娘(玉鬘のこと)が、どっかにいるらしいぞ」という噂を聞いて、方々を探させたときに見つかった娘なんだけれど、同じ頭中将の娘でありながら、玉鬘とは対照的に、粗野で教養もなくて、完全にギャグ・キャラとして扱われているのである。たくさん登場するわけでもないし、本筋に乗っかる人物でもないのだが、近江の君の存在は、物語をドライヴさせる良いスパイスになっているように思われて、大好きになってしまった。
もっともこういう対比って、源氏物語のなかには他にもたくさんあって。それは紫の上と、明石の君の関係においてもハッキリとしている。前者は「近く」にいて、「一番大事な人」。後者は「遠く」にいて、「政治的に重要なものをもたらす人」、みたいな、コントラストの効いたキャラクターの描きわけが認められる。こういう描き方に「すげえ巧いなぁ」と感心してしまった。1000年ぐらい前の小説だけど、すげえ、これ、世界に通じるよ、世界文学だわ、と思う。
なお、谷崎訳は原文で書かれていない主語を補填せずに、原文のリズムを現代の日本語のリズムに移築するようなもの、らしい。ほかの訳を参照したわけではないけれど「これ、誰の行動なの?」というところがややつかみにくい。ただし、文章のスムースな流れは素晴らしい。素晴らしすぎて、すげえ文字の上を目を滑ってしまって、中身が全然頭にはいってこない感じもある。読みやすいのに、わかんない、という困った状態陥ったら、Wikipediaで各巻のあらすじを確認して、わかった気になった状態にして物語に復帰する。いい加減な読み方かもしれないけれども、このぐらいのテキトー加減で、とりあえず「読みぬく」のも大事だ。
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