原 武史
NHK出版
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当初の団地には自治会なんかなかったんだけれども、まぁ、たくさん人が集まれば問題が起きるに決まっており、その問題を解決するために、自治会が形成される。たまさか60年代の団地って意識が高い(左寄りの)人たちが住んでいたこともあり、その自治会のなかで共産党だとかが勢力を拡大していく。自発的に生まれたグループのなかから、政治的グループが形成されていく様子は面白いし、政治的になかなか熱い時期ではないですか、60年代って。私鉄や家賃の値上げだとかに反対運動を起こしたり、かなり活発だったようである。同じ団地に住むもの同士として、自分たちの生活を守ろう、というのが運動の基礎になっているわけだから、シリアスになるのも理解できる。
面白いのは、本書の語り口が、そうした団地の住民側の動きとともに、団地を開発する側、そして団地住民が利用する鉄道会社の視点によって、下からも上からも描かれているところだ(鉄道会社の思惑がアレコレ描かれている本としては、平山昇の『初詣の社会史』も面白い)。
たしか、この著者、鉄道ファンとしても有名だったと思うんだけれども、かなり細かく当時の団地住民の鉄道利用状況などのデータを集めていて、結構読んでいてゾッとしてしまう部分もあった。ある鉄道では、沿線の団地が入居開始するとともに通勤ラッシュが深刻化し、乗車率が300%を超えた、とかいうデータが紹介されている。首都圏の相当混雑がヒドいと評される路線のラッシュ時の乗車率が200%前後というから、300%超となるとちょっと想像もしがたい。
残念なのは70年代入ってからの記述。60年代の記述は大変面白いんだけれども、終盤の「70年代にはいって団地の政治空間が変質してきたよ(つまり、政治的じゃない団地が増えてきた)」と論じる部分は、ダメな社会学っぽい感じがして読んでいて、うーん……と渋い顔になってしまう。
70年代に入って、より巨大な団地が増えると各家庭を隔てるコンクリートの壁が「当たり前」と化して、団地の集団意識を解体し、それに代わって各家庭・各個人の欲望がひたすら肥大したのだ……とか。急に話からリアリティが飛んでいってしまい、ロジックもカッスカスになっている。
団地がタダの容れ物になって、共通の場が失われた、という部分もそう。共通の場が失われたから、集団意識が希薄になる、そういうのはあるでしょう。でも、多摩ニュータウンでは、その反映が駅名にもあらわれているのだという。
事実上同一の駅であるにもかかわらず、会社名をかぶせて区別する「京王多摩センター」「小田急多摩センター」という二つの駅名は、多摩ニュータウンに「共通の場」がないことの端的な反映であった。(P.250)いくらなんでもちょっとこじつけだろう、これは……。どうせこじつけるのであれば、そういう土地に作られたサンリオピューロランドという施設は、「共通の場がない多摩センター」だからこそ可能になった夢のモニュメントだったのである……云々ぐらいカマして欲しいものである。
団地住まい経験者以外にはちっとも面白くないかもしれないし、前述の通り、後半の尻すぼみ感(というか社会学的なお花畑感)が残念であるのだが、中盤までは良い本です。序盤のそもそも団地ってなんなのよ、的な部分なんかもイチイチ面白くて。戦後の日本で理想とされた家庭像ってアメリカを露骨に意識していた、んだけれども、団地みたいな集合住宅ってアメリカにはなくて、むしろ、東ドイツとかソ連とか共産圏で見られるものだった、とか、へー、と思ったし、そういう風に「ソ連みたいな建物に住んでいながら、アメリカ志向」みたいなチグハグ感って面白いと思う。
なお、1960年代には皇族が庶民の団地暮らしを視察にくることが結構あったらしく、当時の皇太子ご夫妻(つまりは今上天皇・皇后ご夫妻である)が「お風呂とかゴミ出しとかどうしてるんですか?」なんて住民に質問してたりする。新しい庶民の生活スタイルを勉強しにきた、って感じだったんだろうけど、今の皇太子ご夫妻がシェアハウスとか、ウォーターフロントのタワマンとか視察したりしねーじゃん、だから、皇室と社会のつながりが全然今と違うんだな、って思った。
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