とても当たり前のことだけれど、テクニックだけが音楽ではないし、楽譜だけが音楽なわけでも、録音だけが音楽なわけでもない。しかし、さまざまな音楽の形式や様相があるなかで、今この瞬間にここでしか聴けないものに触れたのだという直観が訪れることはたしかに存在する。私が本当に大切にしたいと思う音楽は、そうした瞬間の「この音楽」、「あの音楽」であり、そうしたものどもを愛おしく、慈しみたい、と考える。この日聴いた渋谷毅オーケストラのコンサートもそのような幸福な一晩だった。
日本のジャズ黎明期を支え、児童歌謡をたくさん書き、今なお第一線で活躍するジャズ・ピアニスト、渋谷毅の功績は振り返ろうにも振り返えきれないものだろう。柔らかく、穏やかな彼のピアノの音が空間に広がったとき、ハッとするのはその軽やかなトーンについてだ。魔術的な和音の錬金術ではない、息がスッと通るような音の選び方に思わず気持ち良くなってしまう。この音にブラスが重なることで生まれるハーモニーは、もはや天国的とさえ言えるのだが、それはアッパーかつゴージャスな天国ではなく、平穏で牧歌的な天国、もうとにかく良い塩梅なので椅子のなかで溶けるのでは、と思った。
ステージにあがっているミュージャンの半分以上が60代を超えた超ベテラン。そうした光景だけだって日本のジャズの円熟なりなんなりを感じさせ趣深い気持ちになってしまう。演奏者の体力の衰えを感じさせない、というわけではない。むしろ、そうしたものが聴き手に丸わかりになってしまい、極度のユルさが発生していたのも印象的だった。しかし、それすらも良い。ソロで吹き続けられないこと、演奏が終わると座り込んでしまうこと。若いミュージシャンのコンサートならあり得ない様子で、素晴らしい音を響かせているのだから油断がならないのである。
ホントに良い気持ちになりましたよ。また聴きたい。
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