イェイツの『ジョルダーノ・ブルーノとヘルメス主義の伝統』を読む(原書で) #7

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Giordano Bruno and the Hermetic Tradition (Routledge Classics)
Frances Yates
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今回は第4章「フィチーノの自然魔術(Ficino's Natural Magic)」を見ていきます。中世において占星術などは悪魔の力を利用したものである、などとされ禁じられていたことはこれまでにも何度か言及されてきたことかと思います。ルネサンス期の魔術リバイバルは、禁止されてきた性格を教会世界でもOKなように再解釈することで可能になった、とイェイツは言います。この章は、魔術リバイバルの立役者であったフィチーノがどのように魔術を扱い、そしてタブーを侵さない魔術を構築したのか、についてまとめたものです。





医学におけるパイオニアでもあったフィチーノは『生命についての書(Libri de Vita)』という3巻組の本を書いています。中世・ルネサンス期の医学では、体の部分にそれぞれ対応する惑星があり、その影響によって病気の症状が起こる、という考えが主流であり、フィチーノもこれを「標準の医学」としてみなします。もともと医学自体が占星術と深く関連していたのですね。そこにフィチーノは護符を利用する方法などを盛り込もうとしていました。このあたりが魔術とみなされる可能性があったため、彼は注意深く「もし占星術的図像に同意できない場合」、これらの方法は無視されてよい、と書いていたそうです。





土星がメランコリーを引き起こす惑星とみなされていたことは一般的にも知られている事柄でしょう(『土星 メランコリー』でググってみれば、パノフスキーの著作やデューラーの版画がでてくると思います)。フィチーノは前述の医学書において、メランコリーの気質を持つ人は学業に向いてるが、年をとると精力がなくなってくるので力が衰えてしまう、だから土星の影響力を避けなくてはいけませんよ、ということを書いています。土星の性質を持つ食べ物だとか石だとか動物だとかいろいろあるわけです。で、その代わりに太陽、木星、金星の性質のものを使いなさい、そうすると健康と良い精神も保たれる!(まるで健康雑誌のようですが)とレコメンドしているそうです。イェイツは、具体的にフィチーノがどんなことを推奨していたかもいくつか紹介しているんですが、この例も面白いです。「緑は健康と生命を与える色」だとか「野原を散歩してバラだのクロッカスだの摘むと良いですよ」とか言ってる。





護符については『生命についての書』の第3巻にならないと言及がなされないそうです。この最初の章にはフィチーノの哲学が披露されている。そこでは世界は知性、霊魂、身体の3要素でできあがっている、というよく知られた区分が登場します。世界の知性と身体のあいだに霊魂が媒介する、というこのモデル。これをフィチーノはプロティヌスに代表される新プラトン主義の著作から学んだであろう、とイェイツは言います。プロティヌスの著作には、古代の賢人は寺院のなかで儀式をおこない、霊魂を通して世界の霊魂へ接近する方法を知っていた、という記述があったそうです。フィチーノにおいてその方法は、より高次の世界の図像をもちいることによって神的な力を得、魔術師は半ば神のような役割を担うこととして描かれる。イェイツはここでゴンブリッチのシンボリック・イメージ論を引いています。ゴンブリッチ曰く、ルネサンス期の新プラトン主義者たちは古代の図像にイデアが反映されている、と信じていたそうです。例えば「正義の図像」は写真のようではないけれど、響きや味や存在感といった正義のイデアが含まれている、と考えていたんだとか。フィチーノが古代の図像を用いようとしたのも、こうしたメンタリティによるものだった、とイェイツは言うのですね。





また、フィチーノによるプロティノスへの注釈は護符や魔術を使うための正当化にもなっていた、とイェイツは言います。つまり、古代の賢人や同時代の人たちは悪魔を呼び出して護符を使うんじゃないですよ~、そのかわり全ての自然を理解して、神のイデアを下位の世界へ反映させる行為なんですよ~、怖くないよ~、という説明になっていた、ということです。さて、ヘルメス・トリスメギストスの話がご無沙汰ですがここでまたヘルメス登場。フィチーノは『生命についての書』の第3巻のおわりで「実はプロティノスなんか、ヘルメス・トリスメギストスの焼き直し・繰り返しに過ぎないんだよ」的なことを書いているそう。ヘルメスも悪魔的な魔術じゃないんだよ~、ということが主張されているわけです。これはトマス・アクィナスへの反駁でもありました。トマスは『アスクレピウス』を「悪魔の魔術だ!」と批難しているそうですが、実はそうじゃない、ナチュラル系なんだよ、ということですね。こうして『アスクレピウス』はプロティノス経由でルネサンスの新プラトン主義哲学のなかに再解釈されました。





さて、今度は護符と魔術の実践についてのお話。イェイツはフィチーノがこれらの知識を前章で取り上げている『ピカトリクス』から見いだした、と言います。彼女は、フィチーノの本にある図像の記載と『ピカトリクス』にある図像の記載を比較することによって、その証拠を提出するのですね。もちろん彼が『ピカトリクス』だけを参照していたわけではないのですが、興味深いのはフィチーノが選ぶ図像は惑星のものだけで、悪魔的であるとされていたデカン(黄道帯に10度ずつ、36個割り振られた)の図像は省かれている、ということです。これは彼が批判を恐れて講じた策だったと考えられます。こうしてどんどん魔術はナチュラルなものへと置換されていき、ルネサンス期の魔術リバイバルはキリスト教社会に調和していくのでした。この章の後半では、ゴンブリッチによる「フィチーノがボッティチェリの『春』に助言をおこなったのではないか(図像が健康に及ぼす影響などについて)」という魅力的な説が紹介されています。本日はここまで。おつかれさまでした。





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