ウラジーミル・ナボコフ
河出書房新社
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曇っているのに明るい午後、四月一日のもうすぐ四時になろうとする頃、年は一九二…年(ある外国の批評家がかつて指摘したように、たいていの長編小説は、例えばドイツのものはすべてそうだが、正確な日付から始まっているのに、ロシアの作家だけは—わが国の文学特有の正直さのせいで—最後の桁までは言わないのである)、ベルリンの西部、タンネンベルク通り七番地にある家の前に家具運搬用の有蓋貨物自動車が停まった。人によって好みが分かれるところだと思うが、いきなりこのめんどうくさそうな感じ、スッと進まない感じ、わたしはこれだけで「ああ、なんだか面白そうな小説だな」と思った。解説で訳者の沼野充義が、この作品をジョイスとプルーストの作品に並ぶ、モダニズム小説として扱っているが、確かにそうした息吹は感じられるだろう。ダブリンの市民は、ベルリンの市民に、失われた時間は、失われた主人公の父に。また、ロシア語やドイツ語、英語、フランス語を駆使した言葉遊びは、音楽的にも読める(もちろん翻訳では、その音楽性が完全には聴き取れないけれども)。
個人的にもっともグッときたのは、第2章。これは主人公が亡命前に過ごしたロシアでの少年時代の回想であり、また、調査旅行にでかけたまま消息を絶った蝶類学者の父親の記録である。若い作家である主人公は父親の伝記を書こうとしていて、小説にはチベットの奥地をめぐる冒険小説的なものが挿入されている。この挿入も面白いのだけれども、少年時代の父親との交流の記憶がとても美しい。「回想」は、コンピューターがデータベースのなかにある情報を探しだすように自由には思い出すことができず、思いがけないときに、沸き上がってくる。プルーストもそうだけれど、その不自由な記憶の吹き上がりにもにた現象を書き留めたような「過去」の描写は、わたしの琴線に触れるのだ。
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