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ホメロス 『オデュッセイア』

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読んだことのないクラシックを読んでみるシリーズ。ホメロスは夏に『イリアス』を読み終えていたが、『オデュッセイア』のほうが面白かった。一応続編ということになっているのだが、『オデュッセイア』単独でも全然問題なく読めると思う(トロイア戦争の重要なことは大抵、『オデュッセイア』のなかで振り返られている。親切)。やはり歴史のなかで読み継がれているもののクオリティってスゴいな、と感心させられる。松平千秋の翻訳も大変に素晴らしい。

『オデュッセイア』というと有名なのは、20年にもわたる漂流生活のすえに祖国に帰還するオデュッセウス、だと思うのだが、読んでみたら実はこれは全体の半分のエピソードに過ぎないのだった。漂流生活のオデュッセウスは、怪物なんかに襲われたりして次々に部下を失い、最後はひとりになってようやく帰国するんだけれども、なんせ神様の血が入っている超人的な男なので、あちこちでモテる。仙女に見初められて、ベッドイン……とかまるでジェイムズ・ボンドかよ、的なモテ方をしていると思った。しかし、仙女に不老不死にしてあげるよ、と言われても、それを断り、毎日家に帰りたくて泣いている、という人間的な部分もある。超人性と人間性がうまく同居するオデュッセウスの人物はとても面白い。

オデュッセウスが不在のあいだ、彼の国では、帰国を待っている美貌の妻、ペネロペイアに求婚する男たちがオデュッセウスの家に毎日詰めかけて、どんちゃん騒ぎをしている。ペネロペイアは(夫は仙女と子供を作ったりしてるのだが)あれこれして求婚者たちの申し出を避けるのだが、彼らは主人がいないことを良いことにやりたい放題で、彼の財産を食い潰そうと言う勢い。それを息子であるテレマコス(オデュッセウスが戦争にでかけるときはまだ乳飲み子だったが、成長してようやく一人前にならんという年頃)は、当然面白く思っていないのだが、求婚者たちはテレマコスの暗殺も計画している。

で、帰国したオデュッセウスは息子と忠臣である豚飼いの老人と結託して、求婚者たちを殲滅せんと画策する。これがまるまる後半部分に使われる。物乞いに化けて油断させておいたところを一気に殺す、という単純な作戦なのだが、オデュッセウスの怒りが爆発するまでが結構長くて。なにに時間をかけてるかというと、物乞いがオデュッセウスだと気づいていない求婚者たちは、挑発や愚弄などあれこれヒドいことをするのである。格闘ゲームでいうなら、長い時間かけてオデュッセウスの怒りメーターが溜まっていく感じ。これが実に面白くてサイコーなのだった。

現在、ハリウッドで映画化の話が進んでるらしいんだけども、読んでると映像で観たいな、と思わされる本でもあった。怒りメーターMAX状態で、初めてオデュッセウスが復讐の矢を放つシーンとか、絶対映像で観たらもっとサイコーと興奮するだろう。

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