Cambridge University Press
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本の大量生産が可能になったことは同時に、出版業者が大量の売れない在庫を抱えるリスクを生んだ。当然、出版業者としても売れない本をわざわざ印刷したくない。ルネサンス期にギリシアやローマの古典が見直されたのは、出版業者が「古典なら売れる数が大体予測できるし、売れ行きも良いだろう(なにせ、クラシックなんだから)」ということで次々に印刷していったことも要因としてある、という。歴史の見方の転換を促すような記述だろう。
著者と出版業者の関係についての記述も大変面白く読んだ。新刊なんか売れるかどうかわからないんだから、出版業者としてはものすごく有名な先生やベストセラー作家でない限りは出したくない。だから、当時の著者が自分の本を出すときは、基本的には自費出版で、原稿料も出ないケースが多かったし、印税契約などを結べたのもエラスムスのような人物だけだったらしい。自分で自費出版するお金がない人は、パトロンになってくれそうな人にその本を捧げて援助を申し出て、なんとか本を出していた。そんな負担を背負っても、当時は自分の本を出すことが大変な名誉だった。
コンテンツを広めるマスメディアである出版業者の特権性がこのときすでに認められると思うのだが、出版業者も美味しい思いばかりしていたわけではない。当時は、著作権の概念もなかったので、ちょっと売れる本があるとすぐに海賊本がでてしまうことが出版業者の大きな悩みだったらしい。海賊本を出す業者としては、最初に本を出すときの諸々のコストを払わずに売れるコンテンツが手に入るわけだから、大変に美味しい商売だったにちがいない。
海賊本は著者の利益にも結びつかないわけだが、著者としては自分の本が広まるほうが大事だったし、著作権のユルさによってバンバン海賊本がでたからこそ、ルターの思想は広まった、という。そのうち、独占出版契約みたいな考え方もできてきて、取り締まれる限りは海賊本も規制されるようになったらしいけれど、国際法なんかないからそのコントロールも限定的だった。エラスムスのようなしたたかな人は、ほとんど内容を変えないのに自著の「改訂版」を毎回違う印刷業者と出版契約を結んでいて「そりゃあ、ないっすよ〜」と抗議されていた、というのも面白いエピソードである。
論考の後半が、検閲の話。前章では「マニュスクリプトは、検閲のコントロールがほとんど不可能だったので、尖った思想を伝えるメディアとして重要だった」とされているのだが、ここでの論調は「宗教改革以降、カトリック圏では検閲システムがどんどん強化されていったけれども、実は思想の自由やかなりあったんだよ」というものだ。ガリレオやジョルダーノ・ブルーノの事例はあくまで例外で「言いたいことも言えないこんな世の中じゃ(ポイズン)」じゃなかったそう。たとえばローマ教会が本を発禁にしても、別な国で印刷したモノが発禁エリアに密輸されていて、厳しいようでいて全然ユルかったんだって。
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