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細田守 / おおかみこどもの雨と雪



劇場公開映画「おおかみこどもの雨と雪」オリジナル・サウンドトラック
高木正勝
バップ (2012-07-18)
売り上げランキング: 198

細田守新作。面白く観ました。たまたま最近『北の国から』のDVDを借りてきて観ているところで、『おおかみこども……』を観る前にもちょうどDVDを一巻消化しており、都会から田舎に移住し、そこで一から生活を作り上げていく、という部分は『北の国から』とおどろくほど重なって見えました。菅原文太演じる無骨で頑固な田舎の老人 = 笠松のとっつぁん、という安直な構図……ではあるのですが……。とはいえ、公開直前の『サマーウォーズ』テレビ放映の際に巻き起こった、細田守が描く「家庭」への批判にもあるように、ここでの「田舎」は「人が助け合っていて、最初は外部からやってきたストレンジャーに対しては厳しいけれど、打ち解けてしまえばとっても優しくしてくれる良いところである」という単純な描き方(本当に絵に描いたような!)があり、田舎の兼業農家に生まれた私にとってはちょっとウッとくるものはありました。

ただ「田舎のリアリティ追求」は映画の主題ではないところであり、むしろ、なんかいろいろ面倒くさい社会のしきたりを描かないことで「人がつながっていくこと(の気持ち良さ)」が物語の主題として提示されているようにも思われるのでした。これは『サマーウォーズ』でも共通しているところ(こいこい! のシーンの気持ち良さ)であって『おおかみこども……』では「秘密の共有」がつながりを生むところでダイナミクスが生まれているようにも思われる……のですが、それが今回は安易につながりすぎてしまっているのでは、とも感じます。

子育て部分については、うーん、これも批判されそうな描かれ方、ではある。愛する人のこどもであれば、経済的に困窮していても産むのが正解(というか産まなければ、ならない)、という不文律があるようにも思われ、ちょっと牧歌的ですらある。こどもふたりを連れて、父親もいないのに田舎暮らしを始めようとする若い女性なんか田舎だったら狂気の沙汰だと思われるに違いないですし、「こどもがかわいそう」という声が絶対聞こえるハズなのだ。
主人公たちは純粋な地球人ではなく、ガイゾックの攻撃から逃れて地球に来た異星人・ビアル星人の末裔である。この主人公たちが敵・ガイゾックと戦闘し、住宅や無関係な人への被害が出るため、主人公たちは地球にガイゾックを「連れてきた」と誤解され、一般の地球人から激しく非難される、という描写が物語前半では繰返し行われている。(Wikipedia - 無敵超人ザンボット3より)
こんな(ひどい)物語を監督している富野由悠季が『おおかみこども……』を絶賛したのはにわかに信じがたいのだった。

サントラは高木正勝。スタッフロールで流れる主題歌はアン・サリー、劇中でバンドリンの音が……まさか、と思って調べたら、ショーロクラブ、とツボを付かれる感じで良かった。

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