スラヴォイ・ジジェク 『ポストモダンの共産主義: はじめは悲劇として、二度めは笑劇として』

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ポストモダンの共産主義 はじめは悲劇として、二度めは笑劇として (ちくま新書)
スラヴォイ・ジジェク
筑摩書房
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昨年『生き延びるためのラカン』についてこのブログに書いたら、複数の人から「スラヴォイ・ジジェクが面白いですよ」と薦められたので読む。こちらは2009年にジジェクが書いたアメリカとヨーロッパを中心とする社会批評。「ラカン派マルクス主義者」という面白すぎる肩書きで有名な批評家・思想家であり、顔がメチャクチャに怖く、英語のスラヴ訛りがすごすぎることは知っていたが予想を超えた面白さだった。改めて「ラカン派精神分析を使ったときのなんでも言えてる感」に恐れ戦いてしまうと同時に、ここでジジェクが取り上げるポストモダン資本主義社会の様々な事象とその分析は、2014年の日本においても数々当てはまるものも感じる。ただ、ラカン派のテクニカル・タームの解説などは一切ないため、それらを全く知らないと1/4ぐらいは意味不明だと思うので注意。

秀逸だな、と思ったのは、アメリカの急進的右派ポピュリストたちが、どうして自らの利益になる政策を支持できないのか? その不合理な選択について分析しているところ。これを単にポピュリストたちが愚かだからだ、とか、彼らを支配する階級がイデオロギーをすり替えて洗脳しているからだ、とかいうだけでは不十分である、とジジェクは言う。これはイデオロギーへのフェティシズムである、と切って捨てているのは気持ち良ささえある。あと、ベルルスコーニへの評価とかすごく笑った(人間らしさの道化の下に隠された冷徹さ、そしてそれはプーチンと似てる、とか)。

批判理論とラカン派が悪魔合体したら、キレキレができちゃいました、的なそんな感じで読んでいたが、まあ、これも「伝わらない本」「届かない本」であるのだろう。ジジェクがどんなに人間的な社会を標榜してプロレタリア独裁によるコミュニズムの実現を夢想していても、それは彼が批判する人々(例えば、ポピュリスト)は見向きもしない。ゆえに、彼の批判や批評を、社会への精神分析だとするならば、治療は見事に失敗するだろう。じゃあ、一体誰がジジェクを読んでいるのか。ジジェクの声は誰に届いているのか、と考えてしまうのだが、やっぱり、こういう本を読んで「(政治活動とかするわけじゃないけど)面白い」と思う人なんだろうな、と思う。ポル=ポトとかに真っ先に虐殺されちゃうような層、というか。

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