Introduction to the Philosophy of Science: Cutting Nature at Its Seams
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Robert Klee
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ここ数年、東京大学の科学史・科学哲学研究室の関係者には色々教えてもらうことが多くお世話になっているのだが、科学史はなんとなく「科学の歴史だよね」ということは分かっていても、科学哲学のことはよくわからないのだった。それもこの本を手に取ったキッカケのひとつである。ただ、この本を読んでそれがバッチリわかったか、というと、そんなこともなく……(終盤の実在論と反実在論の論争のあたりは疲れてしまってかなり読み飛ばしました)。
英語が特別難しいわけではないのだけれど「科学哲学での○○というトピックは、実際の科学の現場だと〜」と例をあげるときに、免疫学から話を持ってくるですよ、この本。で、免疫学での英単語なんか馴染みないじゃないですか。イチイチ調べるとダルいし、必然的にいい加減に読むクセがついてきてどんどんテンションが落ちていくのがツラい。最終的には「科学的な記述ってこれで良いの?」だとか「科学的なモノの見方ってなんなの?」だとか、そういうことを考えていらっしゃるのが科学哲学の人らしいゾ、と阿呆のような理解に留まってしまった感がある。
以下、散漫にいくつか思ったことを書き残しておこう。
「科学的な記述はこういう風にするべきであーる」的な議論の紹介(本書は基本的にさまざまな論争を参照しながら、科学哲学を紹介していく)を読んでいたら「科学哲学って『科学の哲学』っていうか『科学の倫理』っぽいな」とも思った。ある人は論理学を援用しながら、科学的記述の「正しい」手続きはこうだろー、的なことを言っている。こういう、正しい/正しくない、という基準でなされる議論は「哲学」っぽくない気がしたんすよ。
なんか哲学って「○○とは!?」と思わずフォントを大きくしてしまいたくなる問いの投げかけ感があるじゃないですか(無理矢理な同意の求め方)。文字通り「科学とは!?」みたいな(なんか妻夫木聡のビールのCMみたいになってきたな……)。それが「科学的なモノの見方ってなんなの?」というか、科学にとって世界はどう見えているのか、みたいな議論になってくると「おお『哲学』っぽいな」と思う。
本書ではトーマス・クーンについても結構分量を割いていて、そこは科学史がどうして盛り上がったのか、みたいな話だったのでさすがに読めました。「科学は常々前に向かって進歩しているだ!」的な進歩史観の見直しから歴史研究が……という風に本書は説明しているのだけれども、これは東大の「科学史・科学哲学研究室」がなぜ、科学史と科学哲学がセットになった研究室なのか(歴史と哲学ってジャンルちがくない?)、という疑問を解いてくれる気がする。
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