中央公論新社
売り上げランキング: 444,407
総論としては、中世という時代は、神学とアリストテレスに代表されるギリシャ哲学をうまいこと総合しようとした人がいろいろといたんだよ、という感じ。どの論考もこの大きなテーマを共有していると言えよう。これは西洋のキリスト教徒に限った話ではなく、イスラームの世界でも同じ。本書で大きくフィーチャーされているのは、アヴィセンナ(イブン・シーナー)とアヴェロエス(イブン・ルシュド)だけだが、彼らもまたイスラーム教神学とギリシャ哲学のマッシュアップをやろうとしていたのである(そして彼らが一生懸命ギリシャ哲学の注解をおこなったおかげで、ヨーロッパでもギリシャ哲学の受容が促された)。
このあたりのポイントをつかんでおかないと、扱っている時代のスパンが1400年ぐらいあり「どこが歴史なのか」と迷ってしまいそうである。あと、アリストテレスの形而上学・自然学の基本的な部分がわかっていないと普遍論争あたりの議論って全然意味わかんないよな、という風に改めて思った(なお、本書のオッカムの章では、オッカムとドゥンス・スコトゥスとの論争が極めてコンパクトにまとめられていて、すごくわかった気になった)。
昨年までルネサンス・初期近代の関連の本を読んできたけれども、今年はちょっと中世強化期間といきたい。
今回、中世まで遡ってみて「西洋哲学って結局、ずっとアリストテレスのターンなんじゃん」と思ったが、ふと、中世とルネサンスとでアリストテレスの運用局面が全然違うんだな、と気がつく。この本のテーマが神学や認識論に偏っているからそう思えただけなのかもしれないが、中世では遠い神のこと、あるいは、人間自身についてアリストテレスを使っていたのに対して、ルネサンス以降は、神と人間のあいだにある自然においてアリストテレスが使われているような気がするのだった。
コメント
コメントを投稿