プラトン『ゴルギアス――弁論術について』

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プラトン
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 プラトン強化月間の一環として読む。こうして集中的にプラトンを読んでいると、自然と仕事中などに、魂であるとか、徳であるとかについて思いを馳せるようになってしまう。そうして「ああ、私も徳の高い生活を送りたいものだ」、「私の魂も高貴なものにしたいなぁ」などと自然とつぶやいてしまいそうになるのだが、ふと我に返って考えると「こんな発言をしてしまえば、かなりスピリチュアルな人間だと思われるのがオチであろう」と思う。危険だ。しかしながら現実に、私はそのように考え始めているのであって、だからこそ、このブログを読んでいる方にお願いしたいのだが、それこそ本格的に私がスピリチュアルな世界へと旅立ちそうになっていたら、コメント欄など開放しておりますので「君ィ! 極真空手をはじめなさい!」などの適切なアドバイスをしていただけたら、と思うのである。本当に、よろしくお願いしますね。




 いきなり話が脱線しているのであるが、この『ゴルギアス』も面白く読む。副題に「弁論術について」とあるが、これはあまり適切なものとは思われない。というのは、この作品において語られることの大部分は、弁論術について、というよりも、いわゆる「哲人政治」についてに割かれるからである。ここでのソクラテスには、三人の論敵がいる。まず、本のタイトルにもあるゴルギアス(彼は当時大変に有名な弁論家であり、プロタゴラス*1と同様に、教師として活躍していた)がいる。そして、ゴルギアスと一緒にアテナイに滞在している、ポロスがゴルギアスを擁護しようと、ソクラテスに立ち向かう。そして最後に、ソクラテスの友人であったカルリクレスがソクラテスと激論を交わすようになる。「哲人政治」は最後のカルリクレスとの対話において主に語られるのであるが、この対話が一番ボリュームがある。





 最初のゴルギアスとの対話は、プロタゴラスのときと同様、ソクラテスが「一体、あなたはどのようなことを教えているのですか?」と相手に問いかけることから始まる。あなたの教えている弁論術とは、どのような効用を人に与えるものなのですか? と。これに対して、ゴルギアスは弁論術を「人を言葉によって、思い通りに動かすことができる、素晴らしい技術である」と答えるのだが、ソクラテスは「へぇ、あなたはそんなものを『素晴らしい技術』なんて呼ぶんですか……。へぇ……」という具合に反駁をおこなう。「ワスは、そんなものを『素晴らしい技術』なんては呼ばないね! そんなものは、迎合だと思うんだよなぁ! なぁ!」。





 ここで割って入ってくるのが、ポロスである。「なんだって! 人を思い通りに動かせたら、最高じゃん! それって最高に幸福なことじゃんか! じゃあ、一体キミはどういうことがらを『素晴らしい技術』と呼ぶのかね?」と。これに対してソクラテスは以下のように答える。「いやいや、ワスは、人を思い通りに動かせることなんか、ちっとも幸福だと思わないんだよねぇ……だって、そんな風にして、自分の欲望のままに動いたって、自分の魂のためにはならないじゃんか……」。





 そしてカルリクレスである。ソクラテスと前述の二人との対話を聞いていた彼ははじめに「ソクラテス、君ってヤツは、いい歳して哲学なんかにのめりこんじゃって……そんなものは、若者がやることだよ。大人になったら、まっとうな実学をやらないと。弁論術とか役に立つことをやっておかないと、バカにされちゃうよ?」と批判を始めるのだが、この批判もソクラテスには暖簾に腕押し。ソクラテスの方では「いやいや、実学なんかやるよりも、ワスはひとつの真理を得たほうがずっと幸せだし、魂も救われると思うんだよねぇ……」と意に介さない。そこでカルリクレスは、ポロスの言葉を引き継ぎながら「人を思い通りに動かすこと(自分の欲望)が、どれだけ素晴らしい技術であるのか」を一生懸命に説明する。このとき、ギリシャの政治家の名前が登場し、彼らの独裁的な政治と、ソクラテス(プラトン)が理想とする哲人政治との対比がおこなわれる。





 ソクラテスが語る、政治のあるべき姿とは以下のようなものであろう――まず、為政者は、自分のためでなく、市民がより良いものになるために政治をおこなうこと。それが為政者のためにも、良いことなのだ(逆に、自分のやりたいことをするために、政治をおこなうことは悪いことである)。なぜなら、自分のやりたことをするために、不正なことをするならば、それは自分の魂の穢れにつながってしまう。その穢れは幸福の妨げである。最終的な幸福を目指すのであれば、不正をおこなわず、市民のために政治をおこなうべきなのである。より良い魂の姿が、幸福に繋がる、という前提に基づき、ソクラテスは以上のようなことを言っている、と思う。これらを茂木健一郎風なフレーズでまとめると「魂に良いことだけをやりなさい」とでも言えるだろうか。





 そういうわけで「人を思い通りに動かす方法」である弁論術は、素晴らしい技術ではない、迎合である、という風にソクラテスは結論付けるのであるが、そのような迎合を批判し、身に付けていなかったばかりに、ソクラテスは裁判にかけられた際、被告の言うがまま死罪になったことがここでは暗示されている。なんとも皮肉な結果である。






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