ハンナ・アレント『イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告』

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イェルサレムのアイヒマン―悪の陳腐さについての報告
ハンナ アーレント
みすず書房
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 読了。前回この本について書いたときは*1前半ぐらいまでしか読んでなかったのですが、後半もみっちり面白かったです。アイヒマンに対してのアレントによる評価とは、おおよそエピローグにあるこのセンテンスに集約されているでしょう。「アイヒマンという人物の厄介なところはまさに、実に多くの人々が彼に似ていたし、しかもその多くの者が倒錯してもいずサディストでもなく、恐ろしいほどノーマルだったし、今でもノーマルであるということなのだ(P.213)」。これに、どこまでも愚鈍な男、というのがくっつく感じです。この本のなかで、アレントはイェルサレムの法廷の正義を厳しく追及しているのですが、それは彼女の評価と、法廷の評価が大きく乖離していることも理由のひとつなのでしょう。





 ドイツが敗戦したのち、いろいろ上手いことやってアルゼンチンに逃げ失せたアイヒマン。彼が行方不明になってる間に、なんだかアイヒマンはすっごいナチの大物ってことになってたみたいなんですね。「アイヒマンはむちゃくちゃ悪いヤツだったんだ!」みたいに話が膨らんでた。この原因のひとつに、当時のドイツの官僚制度が複雑過ぎて、ほとんど全貌が明らかになってなかったことがあるらしいんですが(アイヒマンの上司も複数いた時期があったりして、命令系統も複雑)、とにかくその評判にイスラエル政府は騙されちゃってたわけ。アルゼンチンから拉致までして捕まえてみたら、アイヒマンは愚鈍で、しかも仕事ができない中間管理職みたいな小人物だった。そこでイスラエル政府は引っ込みがつかなくなっちゃって、無理矢理アイヒマンを悪者に仕立てようとしたんじゃねーのか? なんて話も出てきます。えらそーに正義者ぶってるけどさ、それって胸を張ってできたことなの? 正義ってそういうことじゃなくねーか? って分析したりする。この辺はすごく面白い。とくに「結局、アイヒマンは何が悪くて処刑されたっつーのよ」っていうくだりね。そこではアイヒマンの責任問題も厳しく問われることになる。





 あと、第一二章ではハンガリーのユダヤ人社会に触れられてるんですが、ここも面白かったです。一九四四年の三月(戦争は末期)にアイヒマンがブダペストにやってくる。このとき、彼はこの国のユダヤ人社会の偉い人たちを集めて「評議会」を作らせます。これがどういう組織かっつーと「どこどこのだれそれってヤツは殺しても良いです!」とか言うリストを作ったり「お金払いますから、見逃してくださいよ」とか交渉したりする組織ね。ひどい言い方をすると自分の身が可愛くて仕方が無い売国(民族)奴の集まりです。アレントは、このときのアイヒマンとユダヤ人評議会のやりとりに奇妙な関係を見出しています。





 当時すでに「移送」という言葉で表されていた行為が、何を意味するのか、ヨーロッパ中に知れ渡っていた。アウシュヴィッツで何が起こっているかみんな知っていた。そんな状況でですよ、「殺しても良いヤツリスト」を作る会の人たちは協力的な態度をアイヒマンに見せるだろうか? 普通なら「見せないだろ」って思うよね。でも、実際はユダヤ人評議会の人たちはアイヒマンに協力的だった。求められたら賄賂をスルスルと渡しちゃうし、何でもかんでもあげちゃう。ユダヤ人評議会がアイヒマンたちに提供したもののリストのなかには、ピアノが八台も含まれていた。でも、どうして彼らはそんなに協力的だったのだろうか? いくら売国奴でもそりゃないよね……って話になる。





 アレントのお見立てによれば、当時のハンガリーのユダヤ人指導者たちは「この国でユダヤ人が『移送』されることなんか起きるはずがない!」って自己欺瞞を抱いてたんじゃないか、ということになる。「しかも現実が毎日この信念を打消しているにも関わらず(P.153)」。そういう風に自分で自分を騙すみたいにして、現実から目を背けることができたから、ユダヤ人評議会の人たちはアイヒマンたちに協力的な態度をとることができたんじゃないの? っていう。で、アレントが厳しいのは「コイツらもさ、正直悪いじゃん。アイヒマンは裁くけど、コイツらは裁かなくていいの?」と言ってみたりするんだな。なんだか読んでいると、公正さ、っていうのがよく分からなくなってきたりもしました。






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