『イェルサレムのアイヒマン』を読んでいる

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イェルサレムのアイヒマン―悪の陳腐さについての報告
ハンナ アーレント
みすず書房
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 積読してあったハンナ・アレントの『イェルサレムのアイヒマン』を読んでいます。これは二〇世紀の思想家が書いた著作のなかでも、特別に面白く、また切実な問題を取り上げられた名著であるなぁ……と読みながら漠然と考えてしまいますが、ホントに面白い。訳は結構硬いし(アレントの翻訳はいくつか読んでいますが、そのなかでもかなり硬い部類に感じられます。題材がアレントの専門である政治哲学よりもずっと現実的なのに……というギャップが問題なのかもしれませんが)、それなりに高価な本なんだけど「読んだほうが良いよ(面白いから)」とオススメしたいですね。悪とはなにか、正義とはなにか、良心とはなにか……をめぐる分析と問いかけは読んでいてヒリヒリしてきます。冒頭から、第二次世界大戦中、ユダヤ人を収容所に移送する仕事の責任者だったアイヒマン(世界史上最も合理的で大規模な殺人国家事業に一役買っていた男)を裁く側の正義までもが問われるのですが、ここはとてもグッとくる。





 アイヒマンという人物が「悪の陳腐さについての報告」という副題にもあるように実に陳腐な人物、っていうか、何をやっても大したことができないのに「俺はこんなもんじゃない」とか「俺はまだ本気出してない」とか言ってそうなボンクラ、にも関わらず、なぜかカントの『実践理性批判』を読んでたりする……という不可解さがとても興味深いのですが、強制収容所の「処理能力」が殺さなきゃいけないユダヤ人の数に追いつかなくなってきた頃のアイヒマンの仕事っぷりも面白いです。これはドイツが大きな敗退を繰り返し始めた頃と時期が重なっている。





 もともとアイヒマンは、傷跡なんかを見るのも気が引けてしまうような気弱な男で、上司から「お前、ちょっと収容所でどんな風にユダ公が殺されてるか見てこいや」と出張を命じられれば超絶ブルーになってしまうようなオッサンなのです。で、ユダヤ人がバンバン殺され始めてた初期は、そういった行為に対して良心の呵責を覚えたりしたこともある。その男が徐々に自分の仕事が殺人の手助けであることを忘れているかのように振舞い始め、どんどん仕事に一生懸命になっていく。この傾向は戦争が劣勢になればなるほど強まっているように思われました。ホント、マジメに仕事をやろうとするんですよね。やってることは殺人幇助みたいな仕事なんだけど。





 こういった彼の位置は、どう考えてもうまく行きそうにないプロジェクトをまかせられてしまったプロジェクト・マネージャーにも似ています。問題は山積み、っていうか、どんどん増えてきてる。でも予算はない。それなのに上は「今まで以上にやれ!」とか言ってくる。アイヒマンが精神を煩わなかったのは、ひとえに彼がちょっとニブいタイプの人間だったからでしょうか。繊細な人なら確実に休職するね……。





 あと、この本を読んでいてヒシヒシと感じられるのは「ユダヤ人ってホントに色んな人から嫌われていたんだなぁ」という点。露骨に反ユダヤ主義を掲げている人は、ナチス・ドイツが台頭していたときですらそんなに多くはなかった、とこの本には書かれています。実はアイヒマンも、そんなに嫌いじゃなかった。むしろ、アイヒマンは「俺はそんなに嫌いじゃないけど、みんなが結構嫌ってるみたいだから、やっぱり社会問題なんだよね。なんとかしないとね」と考えているタイプで、シオニズムの本を読んで「そうか! ユダヤ人がみんなヨーロッパから出て行けば良いんじゃん!」と感動してしまい、積極的にユダヤ人の国外脱出を手伝ったりしてたんです。挙句の果てに四百万人のユダヤ人をマダガスカルに移住させる、というピンチョンの小説に出てくるマッド・サイエンティストみたいな計画を練ったりしている(でも、マダガスカルとウガンダの違いがわからない)。





 私がハッとしてしまうのは、ナチス・ドイツという強大な悪の象徴みたいなものによって、「俺はそんなに嫌いじゃないけど、みんなが結構嫌ってるみたいだから、やっぱり社会問題なんだよね。なんとかしないとね」というような問題意識や、軽微な嫌悪感みたいなものが隠蔽されてしまう、ということです。当時のドイツ人が全員、ユダヤ人を殺したいほど嫌っていたというわけではないし、ユダヤ人を殺したいほど嫌っていた人はドイツだけじゃなくてヨーロッパ各地にいた。そういうことをちゃんと認識しなきゃいけないんじゃないかな、って思います。世の中はそれほど単純じゃない、っても思うし。





 繰り返しますがとても面白い本なので、読み終えたらまたエントリを書くかもしれません。



D





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