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細川俊夫/ヒロシマ・レイクイエム(細川俊夫作品集 音宇宙4)




ヒロシマ・レクイエム~音宇宙4/細川俊夫作品集
(オムニバス)
フォンテック (1997-01-25)
売り上げランキング: 289922


 細川俊夫(1955-)の作品集を聴く。フォンテックから出ている細川俊夫の作品集(現在10枚目まで発売されている)は、以前に「1」を聴いていた*1 。この作品集では作曲者のキャリアのなかでも最初期の作品である弦楽四重奏曲第2番《原像》(1980)と、原爆をテーマとした《ヒロシマ・レクイエム》(1989)を収録している。両曲ともにまったく色合いが異なったものであったため、聴いていて大変興味深かった。





 《原像》はアルディッティ弦楽四重奏団の演奏。作曲者自身による解説によれば「私がまだベルリンでユン・イサン先生に作曲を学んでいた頃に書いた作品です」「その当時熱中していたユンや、ヴェーベルンの音楽の影響を受けています」とあるが、その言葉が納得できるような作風である。音の密度の濃淡/伸縮、は極めてヴェーベルン的であるように感じられるし、不協和のなかに時折ぞっとするような協和をもたらすところはユン・イサン的である。派手な超絶技法や特殊奏法はほとんど存在せず、全編にわたってモノトーンのアンサンブルが続く幾分地味な作品かもしれない。しかし、4つの楽器が同じ音形を弾くときに、それが層のように重なったり、ズレたりしていく様が面白かった。「層」や「線」といった言葉は、この後の細川俊夫作品を語る上で、重要なキーワードとなっていることを考えれば見逃せない楽曲であろう。





 《ヒロシマ・レクイエム》は芥川也寸志によって創設されたアマチュア・オーケストラ、新交響楽団(新響)による委嘱作品であり、この録音も新響が演奏をおこなった初演時のライヴである。私は実際にこのオーケストラの演奏を聴いたことはないが、優れた技術を持つオーケストラであることを噂で聞いている。とはいえ、アマチュア。プロの技術とは比べようがない。弦楽器のソロ・パートでは演奏者の技量が透けて見え(もちろん平凡なアマチュア演奏家と比べたら、とても上手いのだが)「プロならこのような演奏になるだろう」という補完しながら聴くしかない。





 作品は2部に分かれており、第1部は器楽のみによる前奏曲「夜」、第2部は語り、独唱、混声合唱、児童合唱付の「死と再生」という構成となっている。特筆すべきなのは、第2部でここで扱われているテキストはラテン語による「死者んためのミサ」からの引用(合唱と独唱)と長田新の編集による原爆体験記『原爆の子』からの引用(語り)から編まれており、楽曲の題名とテキストとの関係が極めて直接的に結び付いているところだろう。また第2部ではテープによる日米開戦のニュース、「ヒットラーや東条の演説」が再生され、これらも題名と結び付いていると言えるだろう。また軍隊行進を思わせるスネアや鎖の音、突撃ラッパを模したようなトランペット(これは音形は第1部でも登場する)、サイレンなども登場し、具体的である。





 作曲者は後にこの作品を大幅に改訂したというが、その理由にこれらの具体性があったのでは、というのは容易に考えつく。80年代中期の細川俊夫の作品を聴く限り、彼が目指していたものは「東洋的なイディオムによらない、東洋的な音楽」というひねりが効いたものであり、直接性は希薄である。彼の《線》Iや《断層》といった作品に触れたあとに、《ヒロシマ・レクイエム》を聴くと「まるで別な作曲家」のようにも思われる。それほどまでに《ヒロシマ・レクイエム》の第2部は、直接的で、具体的なのである。黛敏郎の《ミュージックコンクレートのための作品X・Y・Z》を想起させるほどに。



僕が、そとであそんでいると、ひかった。もんと僕のいえは、いつのまにか、まるやけに、なっていた。僕は、あのときには、かなしかった。それから、僕たちは、すぐに、はしのしたに、いった。はしのしたに、いったときには、人たちはみんあ、やけどして、しにそうなかった。僕は、かなしかった。それから、僕たちは、向こうぎしにいった。そのひとばんは、そこでねた。



 しかし、ここでのテキストは、軽々とそういった問題を乗り越えてゆく。日本語で、少年の声で読み上げられるそれは、オーケストラをかき消すほどに強烈だ。朴訥とした素朴な言葉のなかに、すさまじい凄惨さが含まれるこの衝撃は聴いてもらうしかない。



夜明けの黒いミルクぼくらはそれを晩にのむ


ぼくらはそれを昼にのむ朝にのむぼくらはそれを夜にのむ


ぼくらはのむそしてのむ


ぼくらは宙に墓をほるそこは寝るのにせまくない



 この作品を聴きながら思い起こしたのがこの詩であった(パウル・ツェラン『死のフーガ』)。そして、その直感を裏付けるようにして「原爆の子」たちのテキストは、互いを打ち消しあうようにしながら少年・成人女性・成人男性(英語訳)によって読み上げられていく。次第にそれぞれのテキストが聴取不能となったとき、生々しい混沌のなかから「死」という主題が浮かび上がってくるのかもしれない。「ヒロシマ」に捧げられた作品はいくつもある。おそらく、そのなかには既に忘れられてしまった作品も多くあるだろう。細川俊夫の《ヒロシマ・レクイエム》が忘れられないものになるのだとしたら、もしかしたら作曲者が否定した(かもしれない)直接性に起因するように思われる。






コメント

  1. 20年以上前になりますが、《ヒロシマ・レクイエム》の初演を聴きに行ったことがあります。
    《ヒロシマ・レクイエム》の第2部は当時、細川さんたちがレクチャーシリーズを開くなどして研究していた、ベルント・アロイス・ツィンマーマンの《若き詩人のためのレクイエム》の最終部の影響をモロに受けてしまっていると思いました。
    そして、当時存命だった武満徹さんは、第1部については褒めていたものの、第2部はやんわりと批判しているのを読んだことがあります。
    改訂版の《ヒロシマ・声なき声》は聴いたことが無いのですが、第2部を大幅に改訂したのだとすれば、この辺の事情があるのかも知れません。

    返信削除
  2. コメントありがとうございます。すごいですね。このCDの演奏ですか……? 《ヒロシマ・声なき声》は私も詳しく知らないのですが、楽章が増えて、こどもの語りなどに変更がある、とのことでした。なんとなく武満が批判する理由も分かる気がします。嫌な表現ですが、ちょっと「わかりやすすぎ」というか……。

    返信削除

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