「宗教改革」といえばマルティン・ルターですが、フィリップ・メランヒトン(1497 - 1560)はその同僚、というか同志であった人文主義者・神学者です。この人物についてはまずこの「ルターの右腕」というプロフィールが有名で、ともすれば「Wham!のジョージ・マイケルじゃない方」とか「Winkの相田翔子じゃない方」的な扱いを受けているかと思うのですが、宗教改革を先導するなかで終末論的な思想をもち、当時において「裁きの日は近い!」と物々しいことを考えていたという点を個人的に興味深い、と思っていたのでした(参考:メランヒトンにおける摂理と天文学・占星術 Kusukawa, Transformation of Natural Philosophy, ch. 4, #1(オシテオサレテ))。で、参考ブログ記事でも取り上げられている楠川幸子の『The Transformation of Natural Philosophy: The Case of Philip Melanchthon』を読もうと思ってたんですが、間違えて「楠川幸子編集によるメランヒトンの演説集」を買っていた……。
こちらにはタイトルの通り「哲学と教育」についての演説が収録。「気が進まないけど、勿体ないから読むか……」と思いながら読んでいましたが、イントロダクションが素晴らしくて、この間違った買い物は大正解だったかもしれません。彼がどういった時代の、どういう文化的背景に生まれ、どんな業績を残したのか。ルターの影に隠れていたメランヒトンの知られざる業績が詳らかにされていく……と言ったところでしょうか(雑な煽り文)。特に彼のアリストテレス解釈と、その神学的な結び付き、そしてその後の影響に関する記述が興味をそそります。
ルターがスコラ学が依拠していたアリストテレスの哲学を激しく批判していたことは有名です。その影響の下、メランヒトンも当初はアリストテレスの哲学に否定的でした。しかし、彼はその後、アリストテレスの哲学をルターの思想を支える理論として利用しているのですね。当初批判していたのに、どうしてそんな正反対の使い方ができるのか……このあたりの絡み方が非常に刺激的でした。
メランヒトンはアリストテレスの哲学を、世界の理を知るための道具であり、知識体系としています。その世界を作ったのは誰なのか。言うまでもなく、そこには神の存在がある。神によってデザインされた世界の知識を、アリストテレスの自然哲学によって近づく、という構図がメランヒトンのなかに描かれているのです。
また神によってデザインされた世界の知識は、間接的に「神に関する知識」と考えられる。この「神に関する知識」において重要なのは、メランヒトンが神に関する知識を「直感的に把握可能な知識」とそうでないものとの2種類に分けていることです。「直感的に把握可能な知識」は言わば、神が目の前にいるような、神の存在を悟ったような状態、とかイメージしておくと良いかもしれません。しかし、この直感的に把握可能な神に関する知識とは、楽園を追われた罪深い人間にはもはや到達不可能なものとされています。生きているあいだは、神を直感的に理解することは不可能なのです。
この考え方は、ルターの人間理性への不信とも繋がっている。「神学や論理によっては、神的な真理には到達できない」というルターの思想は、脱神学的な神学とでも呼べるかもしれません。そこでルターは「もう信仰するしかない! 神を信じろ! 聖書読め!」とスポ根的なことを言うわけですが、メランヒトンはそこに「直接的には神を理解できないが、間接的に近づくことはできるのでは!?」と考えます。なので、間接的ではあるけれど「神に関する知識」を得られる自然哲学が重要視され、メランヒトンのなかでアリストテレスとルターが共存することになるのでした。
メランヒトンによる「神に近づくための自然哲学の利用」と言うアイデアは、ライプニッツに繋がる思想的な土壌を作るのにあたって強い影響力があった、とこのイントロダクションでは評価されています(また、コペルニクスや解剖学者のヴェサリウスも、メランヒトンによる自然哲学の注釈書に言及している)。個人的にこれを読んでいて、強く意識させられたのは、このような哲学的プログラムが、16世紀の後半に日本で布教活動をおこなっていたイエズス会の布教戦略と重なるのでは、という点です(関連:平岡隆二 「イエズス会の日本布教戦略と宇宙論 好奇と理性、デウスの存在証明、パライソの場所」、平岡隆二 『南蛮系宇宙論の原典的研究』)。
イエズス会の宣教師たちは「可視世界の深い理解から、不可視的創造主への認識へと至らしめるため」に自然哲学を利用していました。もちろんイエズス会でもアリストテレスの影響は非常に強くあり、日本人向けの教科書を書いていたイエズス会の宣教師たちが受けていた教育とは、中世から続くアリストテレス主義アカデミーの伝統にのっとったものです。こうした似たような自然哲学の利用法を見るにつけ、どこかにその源流があるのでは、だとしたらどこに……と言ったところが気になってくる。
(この本については、読み終えたときに改めて書きます)
Melanchthon: Orations on Philosophy and Education (Cambridge Texts in the History of Philosophy)
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Melanchthon
Cambridge University Press
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ルターがスコラ学が依拠していたアリストテレスの哲学を激しく批判していたことは有名です。その影響の下、メランヒトンも当初はアリストテレスの哲学に否定的でした。しかし、彼はその後、アリストテレスの哲学をルターの思想を支える理論として利用しているのですね。当初批判していたのに、どうしてそんな正反対の使い方ができるのか……このあたりの絡み方が非常に刺激的でした。
メランヒトンはアリストテレスの哲学を、世界の理を知るための道具であり、知識体系としています。その世界を作ったのは誰なのか。言うまでもなく、そこには神の存在がある。神によってデザインされた世界の知識を、アリストテレスの自然哲学によって近づく、という構図がメランヒトンのなかに描かれているのです。
また神によってデザインされた世界の知識は、間接的に「神に関する知識」と考えられる。この「神に関する知識」において重要なのは、メランヒトンが神に関する知識を「直感的に把握可能な知識」とそうでないものとの2種類に分けていることです。「直感的に把握可能な知識」は言わば、神が目の前にいるような、神の存在を悟ったような状態、とかイメージしておくと良いかもしれません。しかし、この直感的に把握可能な神に関する知識とは、楽園を追われた罪深い人間にはもはや到達不可能なものとされています。生きているあいだは、神を直感的に理解することは不可能なのです。
この考え方は、ルターの人間理性への不信とも繋がっている。「神学や論理によっては、神的な真理には到達できない」というルターの思想は、脱神学的な神学とでも呼べるかもしれません。そこでルターは「もう信仰するしかない! 神を信じろ! 聖書読め!」とスポ根的なことを言うわけですが、メランヒトンはそこに「直接的には神を理解できないが、間接的に近づくことはできるのでは!?」と考えます。なので、間接的ではあるけれど「神に関する知識」を得られる自然哲学が重要視され、メランヒトンのなかでアリストテレスとルターが共存することになるのでした。
メランヒトンによる「神に近づくための自然哲学の利用」と言うアイデアは、ライプニッツに繋がる思想的な土壌を作るのにあたって強い影響力があった、とこのイントロダクションでは評価されています(また、コペルニクスや解剖学者のヴェサリウスも、メランヒトンによる自然哲学の注釈書に言及している)。個人的にこれを読んでいて、強く意識させられたのは、このような哲学的プログラムが、16世紀の後半に日本で布教活動をおこなっていたイエズス会の布教戦略と重なるのでは、という点です(関連:平岡隆二 「イエズス会の日本布教戦略と宇宙論 好奇と理性、デウスの存在証明、パライソの場所」、平岡隆二 『南蛮系宇宙論の原典的研究』)。
イエズス会の宣教師たちは「可視世界の深い理解から、不可視的創造主への認識へと至らしめるため」に自然哲学を利用していました。もちろんイエズス会でもアリストテレスの影響は非常に強くあり、日本人向けの教科書を書いていたイエズス会の宣教師たちが受けていた教育とは、中世から続くアリストテレス主義アカデミーの伝統にのっとったものです。こうした似たような自然哲学の利用法を見るにつけ、どこかにその源流があるのでは、だとしたらどこに……と言ったところが気になってくる。
(この本については、読み終えたときに改めて書きます)
- さらに関連
- アブストラクト:メランヒトンにおける社会秩序: プラトン、農民戦争、そしてアリストテレス(THEOLOGIA ET PHILOSOPHIA)
- 加藤喜之さんのブログより。加藤さんは修論がメランヒトン、博論がスピノザ。メランヒトンの自然哲学の捉え方に触れるとその関心領域の移行がすごく自然に理解できる。
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