「3年連続でパリにいく」と言うと「他のところには興味ないの?」と訊ねられる。パリ以外の都市、フランス以外の国にももちろん興味はある。ただ、パリに繰り返し旅行したい気持ちはなかなか説明しにくいものがあった。「街並みがキレイで」、「ルーヴルやポンピドゥーがあるから」、「ご飯が美味しい」。こうして街の魅力を並べられるけれど、その魅力の核心を説明できない感じが残る。そうした「説明しきれなさ」の濃度を鹿島茂による『パリ時間旅行』は少し薄めてくれるような気がした。
文学者によって描かれた都市の風景や、パリの文化史・生活史に関するエッセイ集である本書は、この都市の上に、まるでミルフィーユ状に重なったオーラを一枚一枚解きほぐして見せてくれるような本である。この都市は、19世紀半ばにナポレオン3世の構想の下、ジョルジュ・オスマンの主導によって大改造された「作られたマチ」だ(本書では『作られる前のパリ』にもフォーカスが当てられている)。その点の意識をするなれば、重層的なイメージ・記憶・記録を含めて、都市自体を「読み解く」ことが可能だろう。
もちろん、読解可能な都市はパリに限らない。そもそも都市に歴史がある以上、どの都市も読み解くことが可能であろう。では、なぜ、パリなのか。
「ヴェネチアのように過去がそのまま手つかずの状態で残っているわけでもなく、かといって東京のように過去が痕跡もとどめていないというのでもなく、いわば過去と現在が幸福に絡み合って、過去再構築の欲望を喚起してやまない時間のモザイク都市であるから」。
筆者があとがきに記したこの一節ほど、パリの「読者」を惹き付ける所以を適切に言い表したものはない。ヴェネチアの保存された過去が、あまりにフィクショナルであり(そしてディズニーランドを想起せずにはいられない)、東京はいくらに華やかであろうとも近さすぎて普段着で接するようにしか見れないのに対して、パリへの距離や過去と現在との混合度は、絶妙なのだ。
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