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大江健三郎 『大江健三郎自選短編』

大江健三郎自選短篇 (岩波文庫)
大江 健三郎
岩波書店
売り上げランキング: 17,000
大江健三郎という作家について、わたしはまったくの誤解をしていたことに気づく。これまでひとつも読んだことがなかったんだけれども、ノーベル文学賞の受賞者だったり、反戦・反核運動で喋っていたり、という活動は知っていたので、そうした立派な業績や活動から、作品もヒューマニズムにあふれた(ノーベル文学賞に相応しい・ノーベル文学賞が好みそうな)ものなんだろう、それはちょっと苦手そうだな、と勝手に想像していたのだ。今回作家自身が編纂した800ページを超えるヴォリュームの短編集を、初期作品から順に読んでいったのだが、わたしが勝手に抱いていた想像上の大江健三郎は最初の「奇妙な仕事」という作品から姿を消してしまった。読んでいてちょっと胸がつかえる感覚がやってくるようなグロテスクな描写や、生々しい性的な描写にわたしはびっくりしちゃったのである。こんなもん書いてて、ノーベル文学賞取れるのか、とかね。

その驚愕の初期短編は「もっと若い頃に読んでいた方がしっくり来ただろうなあ」という感じであったのだけれども、中期(80年代)の作品群にはすごく惹かれるものがあった。多くが作家自身の視点で語られていて、その語り口は「これ、小説っていうか、エッセイみたいだな」という印象を受ける。家族や親交のあった人物(たとえば三島や武満)がかなり直接に登場し、長男である大江光を中心に据えた日常を描くものもある。それがいきなりフィクションらしい落とし穴にズドンと落ちてしまうような瞬間があって、そうした落ちていく感覚がとても面白いと思った。どこからが実際にあったことなのか、どこからがフィクションなのかの境目は、わからない。気がつくと「あ、落ちちゃっているな!」と思って、うわっ、と驚いてしまうのである。それはマジックリアリズム的だと思ったし、「私小説2.0」的な手法のようにも思った。

そういえば、集英社の「ラテンアメリカの文学」のシリーズについてきた月報のなかで、だれかが「大江健三郎にガルシア=マルケスを激烈に薦められた」と書いていた気がする。とにかく、面白かったですよ。「おもしれぇじゃねえか、健三郎」……ってDMMのCMのビートたけしみたいになってしまった。

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