鈴木透『性と暴力のアメリカ――理念先行国家の矛盾と苦悶』

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性と暴力のアメリカ―理念先行国家の矛盾と苦悶
鈴木 透
中央公論新社 (2006/09)
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 「完全なる統合の実現」と「自由と平等という崇高な理念の実現」という目標をもって出発したアメリカという“実験国家”が、どうして今「性と暴力の特異国」になってしまったのか?――こんな素朴な疑問から筆者はアメリカという国を精神分析にかける。そのような方法の妥当性はさておき、筆者が語るアメリカのライフヒストリーには些細だが驚きに満ちた事実が多くあり、とても興味深い本だった。


 この本のなかでアメリカの矛盾した姿は、近代が生み出した畸形児、という風にも読める。例えば初期のアメリカ移入者たちのなかに存在したピューリタンにおける厳格な性道徳――性を抑圧するのではなく、性と対峙し、それを克服するための禁欲主義――などは、マックス・ヴェーバーが言う“プロテスタンティズムの倫理”を髣髴とさせるものだ。

 ここで非常に面白いのが、後にピューリタンたちが信じる予定説(救われるかどうかはあらかじめ神によって決定されており、もし神に選ばれていなかったら救いは無い*1)と啓蒙思想が融和していくところである。


 筆者が指摘するとおり、「理性の力によって努力を重ねていけば、誰しもが幸福になれる」とする啓蒙思想とピューリタニズムは水と油の関係だ。しかし、それは非常に合理的な理屈によって見事に統合されてしまう。その体現者としてベンジャミン・フランクリンが本書では紹介されているのだが、彼の「どの宗教も究極の目標に大差はないのだから、特定の宗派にこだわるのをやめて、むしろ、良き市民となるにはどうすればよいか考えるべきだ」という教説はとてもシニカル(どの宗教も大差がない、なんて原理主義者の激怒を買いそうな話である)で面白い。合理主義的な見地から、性道徳は守られるべきだ、と彼は言う。


 しかし、そのフランクリンでさえ、合理的に導き出された“純潔”という徳を守ることは難しく、どうしても達成できなかった、というのがさらに面白い(フランクリンには私生児がいたそうな)。



抑えがたい情欲を解決する最善の道は結婚だが、それが不可能な場合には、年上の女性を愛人にするのがよい(中略)妊娠の可能性が少ないし、情欲を満たすことが目的なら、どうせ暗い場所で行為に及ぶのだから、あまり若さにこだわる必要は無い



 などともフランクリンは言っており、合理的過ぎて涙が出そうになる――と歴史的人物の面白エピソードばかり紹介してしまうのだが(面白すぎるから)、こういった事実からもアメリカという国の根幹にある精神が浮かび上がってくる。その一つは(ピューリタン的な)「苦難を遠ざけるのではなく、それと対峙し、克服しよう」という態度。そしてもう一つは「その対峙を合理的に行っていこうではないか」という姿勢だ。この二つの根本から導き出される“手段”が「暴力」、それも「白人によって振りかざされる圧倒的な暴力」というのは実に分かりやすい(そして分かりやすい故に、なおさら深刻である)。


 その暴力の事例として「リンチの伝統」が挙げられ、現代もなお、その伝統は脈々と受け継がれている、と筆者は分析する。9.11以降におこった戦争なども全てこのリンチの伝統と対して布置されているところは、少し言いすぎな感じもするが納得がいってしまうような話だ。「俺を脅かすのはインディアンでも黒人でもイラクでも全部ぶっ潰す!!」と田舎のヤンキーが言いそうな理屈を振りかざしているところには「アメリカのいうリベラリズムのどこにリベラルがあるのか」という問いが導き出されるようにも思う。


 本書では最後に「今後、このような特異国であるアメリカとどのように付き合えばよいのか」という問いに答えるため、筆者からささやかな“処方箋”が出されている――アメリカが持つ矛盾を逐一指摘しているのでは全く効果はない。そのような態度は逆にアメリカを頑なにさせてしまうだけだ、と著者は言う。単純な対立構造の代わりに筆者は、アメリカという国が自発的に自らが持つ異常性に気付くよう、ある種教育的なコミュニケーションによって促していくことが提示する。模範的な回答だが、個人的には「うーん……それによって更正できないからいつまでたってもアメリカはバカなままなんじゃないの?」と思ってしまった。




*1:自らが救われるべき人であることを証明するために禁欲的な労働に打ち込むのだが、しかし沈黙する神は永遠に免罪符を受け渡すことは無く、ある意味では救いの無い労働意欲の循環が駆動するのである





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