ダンス、ダンス、ダンス

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ロックの未来!バトルズ!!! - スキルズ・トゥ・ペイ・ザ・¥


 BATTLESの素晴らしく強烈なグルーヴを聴きながら「これも畸形的なダンス・ミュージックだ」と思った。このような単純に身体へと組み込んでダンスすることの出来ない複雑、かつギクシャクとしたリズムはフロアにおいて、おそらく“単純な縦ノリの運動”として消化される(というかそのようにしか消化することができない)のではないか――と勝手に考えてしまうのだが、日本でもZAZEN BOYSやDCPRGのような“踊りにくいダンス・ミュージック”が支持されているのを見ると、こういった矛盾した音楽(複雑なリズムゆえに単純に消化される)が流行している、ということができるのかもしれない。


 一方でビートが存在しない所謂“音響派”と呼ばれる音楽にも一定の支持があることからは、ミメーシスしようとするのか、それとも理性的に理解しようとするのか、という聴衆の音楽に接する態度の類型を見ることも出来る。もちろん、音響派の弱音で体を激しく揺らしていても、DCPRGのステージの前で腕を組み棒立ちで難しい顔をしていても間違いではないのだが、現実に果たしてそのような人がいるだろうか。



イゴール・ストラヴィンスキー《カルタ遊び》
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 さて、話はイゴール・ストラヴィンスキー、クラシックの話へと大幅にジャンプする。ストラヴィンスキーと言えば《春の祭典》が「ロック・リスナーのための音楽」とか「現代音楽入門曲として最適」と言われ、20世紀の作曲家のなかで特異的なポピュラリティを得ている人だが、私は彼の音楽の中にBATTLESやZAZEN BOYS、そしてDCPRGといった「踊りにくいダンス・ミュージック」に通ずるもの、あるいはその先駆者としての性格を感じている。彼は「シリアスな作曲家」というよりも、「変態的なダンス・ミュージック作家」として理解されるべきではないか、とさえ思うほどに。


 というのも、単純にストラヴィンスキーが多くのバレエ音楽を書いた、というだけの理由なのだが――しかし、彼のバレエ音楽作品は天才の仕業としか呼べない充実っぷりを示していることは充分な理由として挙げられる、と私は思う。《火の鳥》、《ペトルーシュカ》、《春の祭典》といった初期の3作品だけではない。彼の残した全てのバレエ音楽が傑作であるとともに、踊りにくいのだ。


 そのなかで1936年の《カルタ遊び》を重要なものとして挙げたい。原始主義と呼ばれる時代を終え、新古典主義に向かったころのストラヴィンスキーの作品はぐっと人気が落ちる。《カルタ遊び》はその新古典主義時代のものだが、これは聴かないでいるのは勿体無いものであると思う。これはポリリズムが現れや頻繁に入れ替わる強拍の運動がとても面白い。しかし、何よりすごいのは、これが複雑さがほとんど前面に出ず、まるで「穏やかなライト・ミュージック」の装いをしているところである。特に第3曲で人を食ったように差し込まれるシュトラウス、ドリーブ、ロッシーニの引用(シュトラウスは言わずとしれたワルツ作家だし、ドリーブはフランスのバレエ音楽の大家である)は、もうふざけているとしか思えないが、こういう脱臼を呼ぶ戯れをさらっと書いてくるところがあり、だからこそ恐ろしいと思う。





3 件のコメント :

  1. mkさんはご関心がないと思いますが『20世紀文化の臨界』という本のなかの一節で、浅田さんも後期のストラヴィンスキーこそ凄いと言っていたことを思い出しました。

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  2. おー。まぁストラヴィンスキーはピカソばりに作風を変えているので、評価が難しい作曲家でもありますね。

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  3. ��ポリリズムが現れや頻繁に入れ替わる強拍の運動がとても面白い

    同感です。「ピアノと管弦楽のためのカプリッチオ」や「三楽章の交響曲」も、その複雑さが、さりげなくライトで好きです。

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