スキップしてメイン コンテンツに移動

ジーン・ウルフ『警士の剣』(新しい太陽の書 3)




警士の剣(新装版 新しい太陽の書3) (ハヤカワ文庫SF)
ジーン・ウルフ
早川書房
売り上げランキング: 175600



 セヴェリアンとドルカスは目的地であるスラックスという地方都市にたどり着く。そこが「城塞」を追われたセヴェリアンが死刑執行人として、また監獄の管理者としての任務地だった。ここでセヴェリアンは人々に恐れられつつも、それなりに高い地位と権力を約束された生活を送るはずだった。しかし、安住は長く続かない。セヴェリアンの愛人であったドルカスは、セヴェリアンの生業と根本から結びついている「死」を目撃することによって、自分がどこからやってきたものなのかについての記憶を取り戻し彼の元を去ってしまうし、セヴェリアンは自分が殺すはずだった人物を逃してしまうことによってその安定した地位からの失墜を余儀なくされる。ここから再びセヴェリアンの遍歴がはじまるのだ。行くあてを失った彼は「北」で長いあいだ続けられているという戦争に参加しようと目論んで旅を続ける。 訂正 続巻を読んでいたらセヴェリアンが「ペルリーヌ尼僧団」を探して北へ向かうよう「独裁者」に命ぜられていたことを思い出す。それでもそれが忘れさられるぐらいだから、動機がよくわかんないんだよな……。





 しかし、この旅の動機がはっきりとしない。ドルカスがスラックスを離れたのは、自分がやってきた場所(帰るべき土地)へと帰還する、という明確な目的があった。これとは対照的にセヴェリアンの旅を続ける理由は見えてこない。「なんとしてでも生きつづけたい」だとか「最愛の人を守るために……」とかいった強い意志が感じられないのだ(なんといってもセヴェリアンの最愛の女性は、記憶のなかにしか存在しない、という理由もあるのだろうが)。にも関わらず、セヴェリアンのもとには世界の謎を知る人物が次々と現れ、そして、セヴェリアン(と読者)にウールスという世界の秘密を授けて去っていく。こうした行き当たりばったりにさえ感じられるセヴェリアンの性格には、「すべてを記憶している」にも関わらず、自分の出自については一切知らない、という要素の影響が強く感じられた。





 また、セヴェリアンの性格描写に関して言えば読者の理解を拒むように書かれているのでは? と感じられる箇所も少なくない。旅の途中でセヴェリアンは、自分と同じ名前をもつ少年と一緒に旅を続けることになるのだが、この少年があまりにもあっけなく死んでしまうと、セヴェリアンもまたあまりにもあっけなく少年を忘れてしまったように振舞ったりする(すべてを記憶しているのにも関わらず!)。セヴェリアンは少年の父親を名乗り、少年はセヴェリアンを父親と呼ぶ。ふたりの旅路の過程は、とても美しく心温まるものとして描かれているのにも関わらず……。




  • 関連


ジーン・ウルフ『拷問者の影』(新しい太陽の書 1) - 「石版!」


ジーン・ウルフ『調停者の鉤爪』(新しい太陽の書 2) - 「石版!」





コメント

  1. いつも楽しく観ております。
    また遊びにきます。
    ありがとうございます。

    返信削除

コメントを投稿

このブログの人気の投稿

石野卓球・野田努 『テクノボン』

テクノボン posted with amazlet at 11.05.05 石野 卓球 野田 努 JICC出版局 売り上げランキング: 100028 Amazon.co.jp で詳細を見る 石野卓球と野田努による対談形式で編まれたテクノ史。石野卓球の名前を見た瞬間、「あ、ふざけた本ですか」と勘ぐったのだが意外や意外、これが大名著であって驚いた。部分的にはまるでギリシャ哲学の対話篇のごとき深さ。出版年は1993年とかなり古い本ではあるが未だに読む価値を感じる本だった。といっても私はクラブ・ミュージックに対してほとんど門外漢と言っても良い。それだけにテクノについて語られた時に、ゴッド・ファーザー的な存在としてカールハインツ・シュトックハウゼンや、クラフトワークが置かれるのに違和感を感じていた。シュトックハウゼンもクラフトワークも「テクノ」として紹介されて聴いた音楽とまるで違ったものだったから。 本書はこうした疑問にも応えてくれるものだし、また、テクノとテクノ・ポップの距離についても教えてくれる。そもそも、テクノという言葉が広く流通する以前からリアルタイムでこの音楽を聴いてきた2人の語りに魅力がある。テクノ史もやや複雑で、電子音楽の流れを組むものや、パンクやニューウェーヴといったムーヴメントのなかから生まれたもの、あるいはデトロイトのように特殊な社会状況から生まれたものもある。こうした複数の流れの見通しが立つのはリスナーとしてありがたい。 それに今日ではYoutubeという《サブテクスト》がある。『テクノボン』を片手に検索をかけていくと、どんどん世界が広がっていくのが楽しかった。なかでも衝撃的だったのはDAF。リエゾン・ダンジュルースが大好きな私であるから、これがハマるのは当然な気もするけれど、今すぐ中古盤屋とかに駆け込みたくなる衝動に駆られる音。私の耳は、最近の音楽にはまったくハマれない可哀想な耳になってしまったようなので、こうした方面に新たなステップを踏み出して行きたくなる。 あと、カール・クレイグって名前だけは聞いたことあったけど、超カッコ良い~、と思った。学生時代、ニューウェーヴ大好きなヤツは周りにいたけれど、こういうのを聴いている人はいなかった。そういう友人と出会ってたら、今とは随分聴いている音楽が違っただろうなぁ、というほどに、カール・クレイグの音は自分のツ

2011年7月17日に開催されるクラブイベント「現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」のフライヤーができました

フライヤーは ナナタさん に依頼しました。来月、都内の現代音楽関連のイベントで配ったりすると思います。もらってあげてください。 イベント詳細「夜の現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」

桑木野幸司 『叡智の建築家: 記憶のロクスとしての16‐17世紀の庭園、劇場、都市』

叡智の建築家―記憶のロクスとしての16‐17世紀の庭園、劇場、都市 posted with amazlet at 14.07.30 桑木野 幸司 中央公論美術出版 売り上げランキング: 1,115,473 Amazon.co.jpで詳細を見る 本書が取り扱っているのは、古代ギリシアの時代から知識人のあいだで体系化されてきた古典的記憶術と、その記憶術に活用された建築の歴史分析だ。古典的記憶術において、記憶の受け皿である精神は建築の形でモデル化されていた。たとえば、あるルールに従って、精神のなかに区画を作り、秩序立ててイメージを配置する。術者はそのイメージを取り出す際には、あたかも精神のなかの建築物をめぐることによって、想起がおこなわれた。古典的記憶術が活躍した時代のある種の建築物は、この建築的精神の理想的モデルを現実化したものとして設計され、知識人に活用されていた。 こうした記憶術と建築との関連をあつかった類書は少なくない(わたしが読んだものを文末にリスト化した)。しかし、わたしが読んだかぎり、記憶術の精神モデルに関する日本語による記述は、本書のものが最良だと思う。コンピューター用語が適切に用いられ、術者の精神の働きがとてもわかりやすく書かれている。この「動きを捉える描写」は「キネティック・アーキテクチャー」という耳慣れない概念の説明でも一役買っている。 直訳すれば「動的な建築」となるこの概念は、記憶術的建築を単なる記憶の容れ物のモデルとしてだけではなく、新しい知識を生み出す装置として描くために用いられている。建築や庭園といった舞台を動きまわることで、イメージを記憶したり、さらに配置されたイメージとの関連からまったく新しいイメージを生み出すことが可能となる設計思想からは、精神から建築へのイメージの投射のみならず、建築から精神へという逆方向の投射を読み取れる。人間の動作によって、建築から作用がおこなわれ、また建築に与えられたイメージも変容していくダイナミズムが読み手にも伝わってくるようだ。 本書は、2011年にイタリア語で出版された著書を書き改めたもの。手にとった人の多くがまず、その浩瀚さに驚いてしまうだろうけれど、それだけでなくとても美しい本だと思う。マニエリスム的とさえ感じられる文体によって豊かなイメージを抱か