クリント・イーストウッド監督作品『ミリオンダラー・ベイビー』

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俺内映画祭の最後に『ミリオンダラー・ベイビー』を。『ミスティック・リバー』の次の年にこんな作品を撮ってたとは……と、この時期のイーストウッドはどうかしてたのではないか、という超弩級のドンヨリ具合。心に傷を負った人間同士の交流によって傷が癒されていく、凡庸なサクセス・ストーリーかと思いきや、ええ……と背中の方から声を出したくなる欝展開。素人目にボクシングって「要するに殴って倒したほうが負け」というすごくシンプルな原理の上に成り立つスポーツのように見えますけれど、その原理は選手の強さが身振りの洗練によって演出上分かりやすく画面に現れるのにも機能しているように思われ、主人公の女性ボクサー、ヒラリー・スワンクの身振りがどんどん洗練されていく様子は、彼女が自信を失った状態から少しずつ生き生きとした生を取り戻していく過程と重なって見える。しかし、それがこんな風になってしまうなんて……。『ミスティック・リバー』も、生の脆弱性が暴き出されるような映画だったけれど(たまたまある事件の被害者となった人間のその後の人生が悲惨なものとなる)、これもまた《何か》が起こって人生がメタメタになってしまう話として解釈できる。それが何気なく、平凡な人生であっても《何か》が起こりうる。その可能性は普段は隠蔽され、そして我々の側でも忘却しているのだ(それを忘れられない人間は神経症的、と呼べるだろう)。こうして、どんな人間も綱渡りのような生活をしている、という恐ろしい真理を見せつけられると、文字通り魂消てしまう。そういえば、先日同じ職場に勤めている人が『ミスティック・リバー』を観て「今の時期にあの映画はキツい……」とこぼしていたが、そのキツさとはもしかしたら人生の綱渡り性を見せ付けられ過ぎて食あたり状態、みたいに言えるのかもしれない。あんなに大きな地震が起こるとは普通の人は考えてなかったはずだし、原発が壊れるとは普通の人は思ってなかったはず。そうした「起こるかもしれない」という可能性に対する不安に対してどのように振舞わなくてはならないのか。忘却すれば楽だけれど、教訓もまた忘れてしまう。なるたけ不安を抑えつつ、教訓を得るようなやり方が上手いリスク・コントロールなのだろう。人間の尊厳の問題よりも、リング上にズギャーンと現れる生の裂け目を見せ付けられて、そんなことを考えた。





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