アレクサンドル・ソクーロフ / ファウスト

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アレクサンドル・ソクーロフの『ファウスト』を観ました。これは彼が取り組んできた「権力者」四部作の最終作にあたる映画だそう。ヒトラー、レーニン、ヒロヒトときて、最後にファウスト。四部作では一つ前の『太陽』しか観ていませんが、それとはまったくテイストが違うごっついザ・文芸映画でした。なんかすごかった。

タイトル・ショットの際、但し書きとして「ゲーテの原作から自由に翻案」とでてきましたが、おおむね原作の第一部を映画化している、といってよいのでしょう。私が原作を読んだのはずいぶん前だったため、中身をほとんど覚えていなかったんですけれども「原作がどんな風に映像化されているか」を確認するための映画ではありませんし、正直、原作を読んでなくても平気。個人的には原作よりもむしろ、15-16世紀のヨーロッパの雰囲気であるとか、あるいは哲学とかの知識を持っていたほうが楽しんでみれるのでは、と思いました。

映画は基本的にファウストと誰かの対話劇として進むんですが、冒頭から異様にガヤガヤしていて情報量が多く、画面上には二人しかいなくてもポリフォニー感というかカーニヴァル感があって、とても字幕に情報が乗りきっていませんし、セリフで状況を丁寧に説明してくれる訳でもない。説明されていない情報は、観客が教養として持っているしかない。当時の外科医の地位であるとか(ファウストの父親が外科医で登場)、また当時の哲学者がどのような存在であったのか、とか、ホムンクルスってなに? とかね。

ただし、そういうのも別に必須ではありません。実際、一緒に観にいった人はゲーテも読んでないし、映画の背景的知識もなかったけれど「つまらない瞬間がなかった」と言っていました。これはぎっしりとした密度を緊張感を保ちながら最初から終盤まで保持して、終盤で解放するような構成のおかげだったのかも。

原作を暴力的にまとめてしまえば
  1. 勉強ばっかりしてきた非リアのおっさんが、悪魔と契約して、リア充へ。
  2. 美少女とデキちゃったりするんだけど、調子に乗ったおっさんは結構ろくでなしになってたので美少女は殺されちゃう(ここまでが第一部)。
  3. 凹んだおっさんはその後、ファンタジーの世界に旅立ったりするんだが、なんとなく満たされない。
  4. もうこんな人生いやん! みたいな感じになり、悪魔がおっさんの魂を奪いにくる
  5. しかし、そのとき、おっさんの魂をかつてヒドい目にあわせた美少女の霊が救済してくれる!(どっとはらい)
みたいな感じ(『結局女の子に助けられるんかい! マザコンか!』という)。

一方で、ソクーロフ版『ファウスト』は、生の充足感を得られない「魂の放浪者」として描かれます(冒頭から死体を解剖して『魂はどこだ!?』とか言っている)。このファウストの性格は原作よりも、ずっと現代に近いように思われ、実存的な悩みを抱えた人物のようです。彼は、単に快楽を手に入れたくて悪魔と契約するわけではなく、生の充足を埋めてくれるサムシングを求めて悪魔に近づいていく。その後、美少女をヒドい目にあわせたりするのは一緒なんですけれど、映画はファウストが契約した悪魔とも手を切って、荒野をさまよい続けるところで終わります。救済なし! このさまよう魂の主題は、ドイツ・ロマン主義っぽい! ラスト・シーンは「なんか『ホーリーマウンテン』みたい!」という感じで素敵です(アイスランドの間欠泉とかがでてくる)。


その後、原作を手に取ってパラパラめくってみたら「あ、意外に原作から拾ってるんだな」と思いました。映画を観終わった直後は「全然違うじゃん!」と思ったけども。あと池内紀の訳(集英社)と高橋義孝の訳(新潮社)、二種類もってて比べてみたら池内訳のサラサラ読める感じに改めて驚いたり。

追記:
一緒に観にいった人からFBのほうでコメントをもらって、なるほど! と思ったので、転載。
私は最後に博士は救済されたと認識しました。博士が悪魔を始末したのちに、最後のシーンでマルグレーテの声に導かれるように明確に自分の向かうべき場所を明言していたからです。それと博士自身の表情ですかね。ベタな解釈ですが。

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