ヴァルター・ベンヤミン 『パサージュ論』(1)

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パサージュ論 (岩波現代文庫)
W・ベンヤミン 今村 仁司 三島 憲一
岩波書店
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来月またパリへ旅行にいくので、それに備えて(?)ベンヤミンの『パサージュ論』を読み始める。全5巻、まとまった論考が収録されているのは、この第1巻での「パリ — 19世紀の首都」のみで、それ以外はすべてさまざまなテーマにしたがって未完の「パサージュ論」のための膨大なメモや引用などをまとめた、というなかなかの奇書であって、ベンヤミンの主著でもなんでもない、ビートルズのアンソロジー以下の品物といっていいのだが面白い。

『ベンヤミン・コレクション3 記憶への旅』の感想にも書いたとおり、私はベンヤミンを「出来事の一回性と記憶、そして記憶のなかにある出来事への憧憬とその反復について書き続けたエッセイスト」として読んでいて、一見難解に思える衒学的な近代都市論・文化批評も、ベルリンからでてきた小難しいことを考えがちの批評家が「花の都」に取り付かれてしまって書き始めたモノ、つまり「おのぼりさん」の文章として読むと、親しみが湧いてくるのだった。現代の日本で喩えるならば、東北の片田舎からでてきた人が初めて渋谷を訪れ、センター街やパルコの広告都市感に圧倒されてしまった感じ……と勝手に思っており、ベンヤミンが、資本主義の弁証法的運動! 物神化された商品によるファンタジー! とか言うのも「おのぼりズム」と「マルクス主義へののぼせ」なのでは、と感じる。

いやみったらしいことを承知で書くと『パサージュ論』で言われていることは、実際にパリに行って、パリを観てみないと感じられないものだと思う。前述の喩えから言えば、パリを渋谷に読み替えて『パサージュ論』を読むことは不可能だし、ギャラリー・ラファイエットを新宿の伊勢丹と比べることもあまり意味がない。街なかのどこで写真を撮っても絵はがきのようにできあがってしまう街に自分がいた、という実感(=おのぼりズム)が「遊歩者(フラヌール)の視線」を理解させるのだ。

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知っている通りや建物の名前が喚起するイメージは「はやく旅行にいきたい!」という気持ちを刺激する。

あと、引用のなかでゲオルク・ジンメルの文章があって「こういう社会学的文化批評の流れって、ジンメル → ベンヤミン、みたいな系譜があるのかなあ〜」と思ったりした。

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