橋本 毅彦
岩波書店
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我々が生きる現代社会につながる技術を発明した人たちのストーリーは、船上でも正確に動く航海時計の開発者、ジョン・ハリソン(1693-1776)によって封切られる。しかし、船上で動く時計がどうして現代社会につらなる発明なのか。多くの人がここで意表を突かれるかもしれない。そこには航海における経度測定とのつながりがあった。太陽の高度から測れる緯度に対して、経度は時差によって測れる。時差を測るためには基準となる時間を刻む時計が必要だ。しかし、当時、湿気や温度の変化、そして海上での揺れに耐えられる時計は皆無だった。イギリスにおいて経度測定法の研究は莫大な賞金がかけられたが、信頼に足りる方法はなかなか見つからなかった。
ハリソンが航海時計を開発したのには、こうした背景がある。当然「列伝」として語られるぐらいだからスムーズにうまくいったものではない。執念さえ感じさせるトライ & エラーな実験の歳月に生涯の半分以上をかけて(時計の調整だけに2年以上かかったりしている)、彼の時計はようやく「実用的で有用な経度測定方法」として認められることになる。彼が最後に手をかけた時計は、懐中時計型のとても小型なものだ。その小さな機械によって、正確な航海が可能になったところに技術が世界をダイナミックに変動する面白さがある。
蒸気機関を作ったワット、新しいテクノロジーを用いて交通網を作ろうとしたブルネル、発明家兼経営者としてのエジソンなど、ハリソンに続く発明家たちが辿った人生もまた一筋縄ではいかない。多くが貧しい出自であったり、本業のほかに自分のひらめきで何事かをなそうとした人たちである。なかでも電話の発明者、アレクサンダー・グラハム・ベル(1847-1922)の経歴はもっとも意外性に富んでいるように思われた。聾唖教育の専門家であったベルは、生粋のエンジニアとかではない。彼は発話法や発音矯正を教える家系に生まれ、その父親は『可視的発話』という「あらゆる発音を記号によって表記しよう」というアイデアを考案していた(新しい体系によってなにかを表現・記録しようとするこの試み自体に心が惹かれるし、これを1876年にボストンで学んでいた日本人がいたという事実も興味をそそる)。
ベルの父親は「この記号の電信への応用も想像した。電信オペレーターが外国語を知らなくとも、この記号を使えば正確な発音を復元できると考えた(P.87)」そうな。著者ははっきりとその影響関係について明示していないものの、ベルが電話の開発に取り組んだ根本に、父から引き継いだこの「発音への興味」があったのでは、と想像するにかたくない。遠くに音そのものを届けられるのであれば、特殊な記号がなくとも正確な発音が伝わるのだから。
航海時計という小さな機械から始まった本は、後半ゆくにつれ、ガソリン自動車のベンツ、飛行機のライト兄弟、そしてロケットのフォン・ブラウン……と大きな機械へと進んでいく(フォン・ブラウンで思い出したが、ピンチョンの『重力の虹』の新訳は今年中にでるのだろうか……)。科学史の本、というにはちょっと違っているかもしれないけれど、労苦や奮闘のなかに大きなロマンスを感じてしまう良書。ライト兄弟が実験中に大量の蚊と格闘した、などの小ネタも楽しいです。
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