というミーハー根性でかつて『論理哲学論考』を読んだ記憶があるが、これはまったくもってよくわからず、今となってはなにが書かれていたか思い出せないし、読み終えたかすらも怪しい。これでヴィトゲンシュタインはわかんない、と諦めていればむしろ救われていたのだろう。『哲学探究』の新訳が出た、と知って、よし、チャレンジしてみるか、と思ったのだから、救われないのである……が、これは大変面白く読んだ。ああ、これは哲学っぽい本であるな、なんか久しぶりに哲学の本を読んでいるぞ、と思いながら。
「はじめに」でヴィトゲンシュタインはこんな風に書いている。「私の書いたものによって、ほかの人が考えなくてすむようになることは望まない。できることなら、読んだ人が刺激され、自分の頭で考えるようになってほしい」。これはすごく的確な表現で、この本を読んでも「わかったぞ!! 世界のことが!!!」とユリイカ感を与えられることはないであろう。言葉がどんな風に通じているのか、とか、言葉をどんな風に使っているのか、とかを平易な言葉で記述され、さながら思考実験の学習ドリルのようだが、一向に「This is 真理!」みたいな感覚に陥らないのである。
けれども、そこが面白い。それまで当たり前だった世界が、言葉によって解体されていき、どんどん不思議に見えていく楽しさは、スリリング、と言っても良いのではないか(読んでいて統合失調症の世界ってこんな感じでは、とも思ったし、そういう意味では危険な本なのかも)。旧訳を見比べたわけではないけれど、新訳の日本語は、淡々としているのに、そういうスリルがスッと入ってくる良い日本語になっているのも良いのかも。この『哲学探究』はヴィトゲンシュタインの遺稿をまとめた本で、いろんなヴァージョンがあり、まだ「決定版」がないのだそう。そういう研究事情を知ると「めんどくせー本だな」と思わずにはいられないが、ひとまず、日本語版なら、コレになるのかな。野家啓一による解説もあわせて読んだら、高校生でも充分にこの本の面白さを味わえそうである。
なお、どうでも良いことだが、本書に出てくるある言葉から、このブログのタイトルは取られている(ただし新訳では、別な言葉になっていた……)。
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