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新しいスピーカーとプレイヤーを買ったんだ日記

当ブログを長らく読んでいただいている方々におかれましては、拙宅のオーディオ・システムのスピーカーが塩ビ管で自作したものであることはご存知かと思う(関連エントリー。このエントリーからその後、収音材を貼ったり、仮想グラウンドを取り付けたり色々手をいれている)。これは4年ぐらい使用していて、音も気に入っていたんだけれども、見た目のジャンク感が不評であった。また、お掃除ロボットルンバ導入後、によって度々破壊される、という悲しい状態に置かれていた。それで、今回、夏のボーナスで新しいスピーカーを買ったのである。
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「次買うなら、JBLとかのフロア型のヤツが良いなあ〜……」と夢見ていたんだけれど、現実的に置く場所ないよね、あと、そんなデカい音で聴かないよね……というわけで、結局購入したのは、ONKYOのD-212EXというブックシェルフ型の機種。あわせて、上京のときに買ってもらったミニコンポ(MDもCDも故障で聴けず、PCから出力した光デジタル信号を再生する機器と化していた)も買い替えた。
 
(設置した様子。スペースの都合で、プレイヤーが左のスピーカーの前に来ているのはいずれなんとかしたい)結果、すごく気に入って聴いている。自作の塩ビスピーカーが放つ、コンサートホールで生楽器が鳴っているような低音も良かったけれど、こういう形でスタジオ・モニターみたいな聴き方ができるのは、改めてブックシェルフ型の良いところだなあ、とは思う。とにかく解像度と分離が気持ち良いんだけれども、中低音もしっかり鳴る。山下達郎の「SPARKLE」とか聴くと感激するぐらいにハマるので最高。

購入したプレイヤーはオプションのWiFi受信機をつけると無線でネットワーク再生やネットラジオが聴ける(デフォルトだと有線LAN接続となる)。そのへんのPC・ネット環境の拡張性の高さも良いなあ、と思ったし、DSDとかFLACとか所謂ハイレゾ音源も再生できるのも魅力だ。ただし、オプションの受信機も買ってなければ、ハイレゾ音源も試していない。iPhoneに保存してる音源をUSBでつないで聴けるのはとても便利(なお、同じ音源を、Macから光デジタルでつないで再生するのと、iPhoneからUSB再生とで比べたら後者のほうが音が良かった……)。

総計して6万円強の出費。どちらの製品も発売から時間が経っているため、割引率がスゴい。自分はオーディオ・マニアでもなんでもなく「ちょっと良い音でリーズナブルに音楽を聴きたい」というタイプの人間であるため、この買い物は大変有意義に思った。

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