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3年以上かけて旧約聖書を読んだ

聖書―新改訳
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おそらく史上最大のベストセラーであり、今後、世界を席巻する新宗教でも生まれない限り、その記録を塗り替えられないであろう書物『聖書』のうち「旧約聖書」と呼ばれている部分をこのたび読み終える。ずいぶん長いことかかった。厚めの辞書ぐらいのサイズと重さなので持ち歩くわけにもいかず(小型版もあるけれども)、寝る前やなにかこれといって読みたい本がない時ぐらいしか読み進められなかった。Amazonの注文履歴をみたら、2011年1月22日に注文、とある。そういえば、その年に大きな地震があった日の晩、自宅で妻を待ちながら聖書を読んでいた記憶がある。とくに信心深い気持ちになっていたわけではなく(そもそも信仰があって読みはじめたわけではかった)、当時はテレビを見ても不安に駆られるばかりだったから、ほとんど意味がわからない旧訳聖書のテキストを読んでいると、不思議と安心したからだった。

しかし、その「ほとんどなにが書いてあるかわからない」というところも、このテキストに向き合う気を失わせる理由のひとつである。あまりに気が向かないので「聖書がらみの本」のほうにやる気をだして読んでしまっていた。
いろいろ読んでいても旧約聖書の大部分は何が書いてあるかわからない。「モーセ五書」と呼ばれる創世記や出エジプト記が含まれている部分は、ある民族の歴史なんだな、ということぐらいはわかり物語的にも読める。他にも物語的な部分はあり、そういうのは割とスムーズに読めるのだが、問題は「それ以外の部分」が多すぎるのだ。また、わたしは大きな勘違いをしていて「聖書」のなかで「旧約」と「新約」は同じぐらいの分量のものだと思っていた。


実際はこれぐらい分量が違う(右側が旧約部分。聖書の大半は旧約聖書だというのは世間の常識なんだろうか……?)。永遠にこのなにが書いてあるかわからない文章が続くのでは……と思うと、何度も投げ出したくなった。聖書 = 牧師さんや神父さんの説教のときに参照するテキストと思い込んでいると、さぞかしありがたいことが書かれまくっている自己啓発本みたいなものかと思うじゃないですか。全然そんなんじゃないんだよ。「主(=ヤハウェ)」が、目にかけてやっている民草を裁きまくることばかり書いてある。このは大変嫉妬深い存在で、目にかけてやっている民草が他の神を崇めたりすると怒り狂い、一族根絶やしにしたり、イナゴの大群をよこしたりと大変に行動が激しい。あまつさえ、サタンにそそのかされて大変信心深い男の信心深さを試すために、その男に山ほど災いを与えもする。民草は争いばかりしているし……。

なぜ、こんなテキストが読み継がれてきたのか不思議だが、なにが書いてあるかわからないからこそ、読み継がれてきたのかもしれない、とも思う。バッハの作品に隠された謎が人を惹き付けるように(たとえば、新約聖書に書かれた内容はすでに旧約聖書で予言されていた! みたいな『ムー』かよ、みたいな読みが歴史上マジにおこなわれていたわけで……)。

なお、いくつかある聖書の翻訳のうち「新改訳」を選んだのは、当時住んでいたところの近所にあった教会の牧師さんが「これが聖書の原典に一番近い訳だから」とオススメしてくれたから。「外典」と呼ばれている部分は収録されていない。どうせ信仰と無関係に読んでいるのだから「外典」を含んでいるものを買った方がお得だったかもしれない、と今になって思う。

旧約聖書 新改訳
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聖書重すぎて持ち運べない問題は、すでにKindleによって解決されていた……(めっちゃ安いし、プライム会員なら無料で読める……)。

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