スキップしてメイン コンテンツに移動

3年以上かけて旧約聖書を読んだ

聖書―新改訳
聖書―新改訳
posted with amazlet at 14.07.16
日本聖書刊行会
いのちのことば社
売り上げランキング: 77,160
おそらく史上最大のベストセラーであり、今後、世界を席巻する新宗教でも生まれない限り、その記録を塗り替えられないであろう書物『聖書』のうち「旧約聖書」と呼ばれている部分をこのたび読み終える。ずいぶん長いことかかった。厚めの辞書ぐらいのサイズと重さなので持ち歩くわけにもいかず(小型版もあるけれども)、寝る前やなにかこれといって読みたい本がない時ぐらいしか読み進められなかった。Amazonの注文履歴をみたら、2011年1月22日に注文、とある。そういえば、その年に大きな地震があった日の晩、自宅で妻を待ちながら聖書を読んでいた記憶がある。とくに信心深い気持ちになっていたわけではなく(そもそも信仰があって読みはじめたわけではかった)、当時はテレビを見ても不安に駆られるばかりだったから、ほとんど意味がわからない旧訳聖書のテキストを読んでいると、不思議と安心したからだった。

しかし、その「ほとんどなにが書いてあるかわからない」というところも、このテキストに向き合う気を失わせる理由のひとつである。あまりに気が向かないので「聖書がらみの本」のほうにやる気をだして読んでしまっていた。
いろいろ読んでいても旧約聖書の大部分は何が書いてあるかわからない。「モーセ五書」と呼ばれる創世記や出エジプト記が含まれている部分は、ある民族の歴史なんだな、ということぐらいはわかり物語的にも読める。他にも物語的な部分はあり、そういうのは割とスムーズに読めるのだが、問題は「それ以外の部分」が多すぎるのだ。また、わたしは大きな勘違いをしていて「聖書」のなかで「旧約」と「新約」は同じぐらいの分量のものだと思っていた。


実際はこれぐらい分量が違う(右側が旧約部分。聖書の大半は旧約聖書だというのは世間の常識なんだろうか……?)。永遠にこのなにが書いてあるかわからない文章が続くのでは……と思うと、何度も投げ出したくなった。聖書 = 牧師さんや神父さんの説教のときに参照するテキストと思い込んでいると、さぞかしありがたいことが書かれまくっている自己啓発本みたいなものかと思うじゃないですか。全然そんなんじゃないんだよ。「主(=ヤハウェ)」が、目にかけてやっている民草を裁きまくることばかり書いてある。このは大変嫉妬深い存在で、目にかけてやっている民草が他の神を崇めたりすると怒り狂い、一族根絶やしにしたり、イナゴの大群をよこしたりと大変に行動が激しい。あまつさえ、サタンにそそのかされて大変信心深い男の信心深さを試すために、その男に山ほど災いを与えもする。民草は争いばかりしているし……。

なぜ、こんなテキストが読み継がれてきたのか不思議だが、なにが書いてあるかわからないからこそ、読み継がれてきたのかもしれない、とも思う。バッハの作品に隠された謎が人を惹き付けるように(たとえば、新約聖書に書かれた内容はすでに旧約聖書で予言されていた! みたいな『ムー』かよ、みたいな読みが歴史上マジにおこなわれていたわけで……)。

なお、いくつかある聖書の翻訳のうち「新改訳」を選んだのは、当時住んでいたところの近所にあった教会の牧師さんが「これが聖書の原典に一番近い訳だから」とオススメしてくれたから。「外典」と呼ばれている部分は収録されていない。どうせ信仰と無関係に読んでいるのだから「外典」を含んでいるものを買った方がお得だったかもしれない、と今になって思う。

旧約聖書 新改訳
旧約聖書 新改訳
posted with amazlet at 14.07.22
いのちのことば社 (2014-05-21)
売り上げランキング: 972

新約聖書 新改訳
新約聖書 新改訳
posted with amazlet at 14.07.16
いのちのことば社 (2013-11-26)
売り上げランキング: 1,426
聖書重すぎて持ち運べない問題は、すでにKindleによって解決されていた……(めっちゃ安いし、プライム会員なら無料で読める……)。

コメント

このブログの人気の投稿

石野卓球・野田努 『テクノボン』

テクノボン posted with amazlet at 11.05.05 石野 卓球 野田 努 JICC出版局 売り上げランキング: 100028 Amazon.co.jp で詳細を見る 石野卓球と野田努による対談形式で編まれたテクノ史。石野卓球の名前を見た瞬間、「あ、ふざけた本ですか」と勘ぐったのだが意外や意外、これが大名著であって驚いた。部分的にはまるでギリシャ哲学の対話篇のごとき深さ。出版年は1993年とかなり古い本ではあるが未だに読む価値を感じる本だった。といっても私はクラブ・ミュージックに対してほとんど門外漢と言っても良い。それだけにテクノについて語られた時に、ゴッド・ファーザー的な存在としてカールハインツ・シュトックハウゼンや、クラフトワークが置かれるのに違和感を感じていた。シュトックハウゼンもクラフトワークも「テクノ」として紹介されて聴いた音楽とまるで違ったものだったから。 本書はこうした疑問にも応えてくれるものだし、また、テクノとテクノ・ポップの距離についても教えてくれる。そもそも、テクノという言葉が広く流通する以前からリアルタイムでこの音楽を聴いてきた2人の語りに魅力がある。テクノ史もやや複雑で、電子音楽の流れを組むものや、パンクやニューウェーヴといったムーヴメントのなかから生まれたもの、あるいはデトロイトのように特殊な社会状況から生まれたものもある。こうした複数の流れの見通しが立つのはリスナーとしてありがたい。 それに今日ではYoutubeという《サブテクスト》がある。『テクノボン』を片手に検索をかけていくと、どんどん世界が広がっていくのが楽しかった。なかでも衝撃的だったのはDAF。リエゾン・ダンジュルースが大好きな私であるから、これがハマるのは当然な気もするけれど、今すぐ中古盤屋とかに駆け込みたくなる衝動に駆られる音。私の耳は、最近の音楽にはまったくハマれない可哀想な耳になってしまったようなので、こうした方面に新たなステップを踏み出して行きたくなる。 あと、カール・クレイグって名前だけは聞いたことあったけど、超カッコ良い~、と思った。学生時代、ニューウェーヴ大好きなヤツは周りにいたけれど、こういうのを聴いている人はいなかった。そういう友人と出会ってたら、今とは随分聴いている音楽が違っただろうなぁ、というほどに、カール・クレイグの音は自分のツ...

土井善晴 『おいしいもののまわり』

おいしいもののまわり posted with amazlet at 16.02.28 土井 善晴 グラフィック社 売り上げランキング: 8,222 Amazon.co.jpで詳細を見る NHKの料理番組でお馴染みの料理研究家、土井善晴による随筆を読む。調理方法や食材だけでなく食器や料理道具など、日本人の食全般について綴ったものなのだが、素晴らしい本だった。食を通じて、生活や社会への反省を促すような内容である。テレビでのあの物腰おだやかで、優しい土井先生の雰囲気とは違った、厳しいことも書かれている。土井先生が料理において感覚や感性を重要視していることが特に印象的だ。 例えば調理法にしても今や様々なレシピがインターネットや本を通じて簡単に手に入り、文字化・情報化・数値化・標準化されている。それらの情報に従えば、そこそこの料理ができあがる。それはとても便利な世の中ではあるけれど、その情報に従うだけでいれば(自分で見たり、聞いたり、感じたりしなくなってしまうから)感覚が鈍ってしまうことに注意しなさい、と土井先生は書いている。これは 尹雄大さんの著作『体の知性を取り戻す』 の内容と重なる部分があると思った。 本書における、日本の伝統が忘れらさられようとしているという危惧と、日本の伝統は素晴らしいという賛辞について、わたしは一概には賛成できない部分があるけれど(ここで取り上げられている「日本人の伝統」は、日本人が単一の民族によって成り立っている、という幻想に寄りかかっている)多くの人に読んでほしい一冊だ。 とにかく至言が満載なのだ。個人的なハイライトは「おひつご飯のおいしさ考」という章。ここでは、なぜ電子ジャーには保温機能がついているのか、を問うなかで日本人が持っている「炊き立て神話」を批判的に捉え 「そろそろご飯が温かければ良いという思い込みは、やめても良いのではないかと思っている」 という提案がされている。これを読んでわたしは電撃に打たれたかのような気分になった。たしかに冷めていても美味しいご飯はある。電子ジャーのなかで保温されているご飯の自明性に疑問を投げかけることは、食をめぐる哲学的な問いのように思える。

2011年7月17日に開催されるクラブイベント「現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」のフライヤーができました

フライヤーは ナナタさん に依頼しました。来月、都内の現代音楽関連のイベントで配ったりすると思います。もらってあげてください。 イベント詳細「夜の現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」