アリストテレス 『魂について・自然学小論集』(岩波書店 新版 アリストテレス全集 第7巻)

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魂について 自然学小論集 (新版 アリストテレス全集 第7巻)
アリストテレス
岩波書店
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先日、とある人から「アヴェロエスの『霊魂論大注解』を一緒に読みませんか?(ラテン語で)」という誘いを受けた。先日よりラテン語の勉強を再開しているのだが、細々とキケロでも読もうかと思っていたところに「キケロは難しいですよ! 逆に、中世のラテン語はほぼ英語みたいなものなので易しいです。折角だからアヴェロエスを読み解くのを目標にしてみたら?」という誘いであった。普通の会社員がアヴェロエスの『霊魂論大注解』を読んでどうするのか、という根本的な疑問は解決できないものの(いや、普通の会社員がラテン語読解能力を習得しようとするのも意味不明だが……)面白そうなので、手をつけようと思っている次第である。

と言っても、その誘いを受けた時点でわたしはアヴェロエスが註釈をつけているアリストテレスの『霊魂論』を読んだことがなかった。誘い主は「ひとまず軽く邦訳を読んでおくと良いかもしれません」という。素直さには定評があるわたしである。ちょうど岩波書店の新全集が出ていたこともあって、大変高価な本だがこの『魂について・自然学小論集』を買い求めた。函入の本を買うのは勢いが大事だ。果たしてこんなもの読み切れるのか……と半分不安になりながら、高揚しながら書店のレジに本を持っていった。しかも、今回の全集ではアリストテレスが用いるテクニカル・タームの訳語を全面的に再検討している、というではないか。こういう試みが果たして、成功しているのかどうかも不安だった。

まず、本の内容に触れる前に、新版全集で試みられているそのへんの試みについて触れておく。不安だったテクニカル・タームの再検討だが、これはぶっちゃけて言うと再検討したからと言って、劇的になにかが変わったわけではない、と思う。例えば「エンテレケイア」というギリシア語には「終極実現状態」という訳語が当てられているけれど、従来の「完成態」という訳語と置き換えられても、結局のところ読みながら「終極実現状態(エンテレケイア。エンテレケイアとはこれこれこういう状態である)」と意味を変換しながら読まなければ、意味はよくわからないわけで、正直なところ、新しい訳語の登場は従来の文献との齟齬を産むだけで良いことが一切ないのではないのではないか。

今後に出るアリストテレス関連本すべてがこの全集の訳語を全面採用、これがアリストテレス業界におけるJISである、というならば、あと100年ぐらい訳語再検討の評価を待たなければならないだろう。しかし、現時点では文字コードで喩えると、JISとS-JISが入り交じっているような状態であり、本業でも文字コードで「めんどくせえ、マジで文字コードを揃えなかった過去の技術者は地獄に堕ちろ」と呪詛めいた気持ちを抱きながら生活している人間にとっては、大変煩わしく思わざるをえない。

しかしながら、その煩わしさが極端な読みにくさを産んでいるわけでない。逆に、この新版で初めてアリストテレスを読む、というような若い(?)読者にとってはとてもリーダブルな本の作りになっているのは間違いないだろう。読み進めるための注が左ページの半分に収まっているので「なにを言っているんだ、お前は?」的な箇所については、この注を参照することでつまづきを最低限にしながら読み進められるようになっている。『魂について』(『霊魂論』の新タイトル)の解説でも、これ以前に出ている西洋古典叢書版との違いが語られているが(訳者は同一)、訳語の再検討だけでなく「研究者向けとも言えるギリシア語の細部の読み方に関わる注や補注を減らしたが、読者が読み進めるのに参考になりそうな注などを追加した」とある。
魂について (西洋古典叢書)
アリストテレス
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要するに研究者はこれまでの翻訳で良いのでは……? ということになるのかもしれないが(注によって、テクストの解釈が訳者の読みに寄せられてしまう、ということもあるわけだし)、結局のところわたしはこの翻訳をとても楽しく読んだ。『魂について』など「魂はどういう風に分析しなければいけないのか」とか「一体、魂はどういう性質のものなのか(勝手に動いたりするのか? それとも動かされるものなのか?)」とか、抽象的な話が続いて、これを読んでも「魂」がなにかはよくわからない。しかし、注とともに読み進めていくことによって、この前4世紀の哲学者が語っていることが、まるで現代の心の哲学の問題関心と重なって読めてくるのが面白い。

続く『自然学小論集』はそれ以上に面白かった。ここには


  • 感覚と感覚されるものについて
  • 記憶と想起について
  • 眠りと目覚めについて
  • 夢について
  • 夢占いについて
  • 長命と短命について
  • 若さと老いについて、生と死について、および、呼吸について
という小論考が収められているのだが、抽象的な話で終わり、あまりにも結論がないまま終わる『魂について』と違って、もう少し具体的な魂の働き(というか、知性や認識力の働きか)について語られている。もちろんアリストテレスの記述は、現代の科学的な知見からすれば、大間違いにもほどがあり、これを読んでもなんの訳にも立たないのだけれども。

例えば、アリストテレスは「眠りと目覚めについて」のなかで「ご飯を食べると眠くなる」という現象に着目する。曰く、栄養物が摂取されると、それは体内で蒸発する。蒸発して熱いものは自然本性的に上に運ばれる(熱いものは上に向かう、というのが彼の世界観である)。この熱いものが頭部でとどまると、重くなって、人をうとうとさせる、と。食後の眠気に関しては、現代の科学においてはは血糖値の問題として説明されることは多くの人がご存知だろう。でも、上記のアリストテレスの説明を読むと、感覚的にはアリストテレスの方がしっくりとくるような気もするのではないか、と思う。

血糖値は体感できない。体感できるとしたら、血糖値の変動が身体に及ぼす影響を知っていて、その影響を感じたことによって「血糖値の変動」を理解しているだけである。これに対して、アリストテレスは、ご飯を食べて頭がボヤーっとする感覚を「熱が頭にとどまっている!」という風に理解しているように思われる。こういうところに、アリストテレスが実に世の中だとか感覚だとかを観察して、そこから理論を起こしている感じが伝わってくる。『動物誌』を読んだときも思ったけれど「検証とかできてないけど、感覚とか見た感じ、こういうことなんじゃないの!?」というノリで理論を作っているのではないか、と思われるのだが、個人的にはそれこそがアリストテレスの面白さなのだった。

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