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植島啓司『官能教育: 私たちは愛とセックスをいかに教えられてきたか』

文化人類学者による愛とセックスをめぐるエッセイ。文化人類学的に性愛が語られる部分はごく一部で、近代のロマンティック・ラヴ・イデオロギー的な社会制度から見れば奇異に見える風習の紹介が最初のほうにあるだけ。あとは『ボヴァリー夫人』などの文学作品を引用しながら、思いつきじみた考察が続いていく。「◯◯の文化史」みたいな内容を想像していたらちっともそういう本ではなかった。途中で挿入される40代女性と著者(70歳近い)のインタヴューはとても現実感がなく、そのリアリティのなさは、著者が現代の40代女性のリアルなナラティヴを知っていたとしても、エクリチュール化しえない老化現象によるものなのか。「自分は男性だけれども、女性の気持ちがわかる進歩的な男性ですよ」的なポーズをとりながら「慣習だとかに縛られないで、自由に恋愛だとかセックスだとかすれば良いんじゃない!」的な発言を繰り返しているだし、大きな結論もない。ほとんど読む価値はないと思われる。ただ『ボヴァリー夫人』のあらすじを初めて読んで、ああ、面白そうじゃんか、とか思ったし、引用されている文学作品を面白そうに紹介しているのは良かった。

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テクノボン posted with amazlet at 11.05.05 石野 卓球 野田 努 JICC出版局 売り上げランキング: 100028 Amazon.co.jp で詳細を見る 石野卓球と野田努による対談形式で編まれたテクノ史。石野卓球の名前を見た瞬間、「あ、ふざけた本ですか」と勘ぐったのだが意外や意外、これが大名著であって驚いた。部分的にはまるでギリシャ哲学の対話篇のごとき深さ。出版年は1993年とかなり古い本ではあるが未だに読む価値を感じる本だった。といっても私はクラブ・ミュージックに対してほとんど門外漢と言っても良い。それだけにテクノについて語られた時に、ゴッド・ファーザー的な存在としてカールハインツ・シュトックハウゼンや、クラフトワークが置かれるのに違和感を感じていた。シュトックハウゼンもクラフトワークも「テクノ」として紹介されて聴いた音楽とまるで違ったものだったから。 本書はこうした疑問にも応えてくれるものだし、また、テクノとテクノ・ポップの距離についても教えてくれる。そもそも、テクノという言葉が広く流通する以前からリアルタイムでこの音楽を聴いてきた2人の語りに魅力がある。テクノ史もやや複雑で、電子音楽の流れを組むものや、パンクやニューウェーヴといったムーヴメントのなかから生まれたもの、あるいはデトロイトのように特殊な社会状況から生まれたものもある。こうした複数の流れの見通しが立つのはリスナーとしてありがたい。 それに今日ではYoutubeという《サブテクスト》がある。『テクノボン』を片手に検索をかけていくと、どんどん世界が広がっていくのが楽しかった。なかでも衝撃的だったのはDAF。リエゾン・ダンジュルースが大好きな私であるから、これがハマるのは当然な気もするけれど、今すぐ中古盤屋とかに駆け込みたくなる衝動に駆られる音。私の耳は、最近の音楽にはまったくハマれない可哀想な耳になってしまったようなので、こうした方面に新たなステップを踏み出して行きたくなる。 あと、カール・クレイグって名前だけは聞いたことあったけど、超カッコ良い~、と思った。学生時代、ニューウェーヴ大好きなヤツは周りにいたけれど、こういうのを聴いている人はいなかった。そういう友人と出会ってたら、今とは随分聴いている音楽が違っただろうなぁ、というほどに、カール・クレイグの音は自分のツ...

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