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ホメロス 『イリアス』

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クラシック中のクラシック、ホメロスの『イリアス』を読み終える。まだ読んだことがない人のためにいくつか書いておくと、この『イリアス』はトロイア戦争がはじまってから10年目のところからはじまっているので事情を知らない人には「えっ? えっ?? なんでこの人たち戦争してんの??」という疑問が当然浮かぶ物語のなかに投げ込まれることになる。なので、読む前にWikipediaのトロイア戦争のページを読んでおくと状況把握には役立つだろう(なお、トロイア戦争のはじまりについて語ったホメロスのテクストは、現代にほとんど伝っていない)。

ただ、雑な読み方をしていても充分楽しめるので、そういうのを真面目に捉えなくても良い気もする。登場人物もかなり多いけれど、一生懸命覚えて読む必要はない。重要人物以外は結構バンバン死んでいくので。まあ、とんでもない話なんですよね。人間が一生懸命戦争をしているのだが、それはオリュンポスの神々の代理戦争であり、神のなかの最強の存在であるゼウス(刃牙でいったら範馬勇次郎)は人間たちが殺し合いをしているのをゲラゲラ笑いながら見ていたりする。そこに「なんなの? ひどくない?」と思うのだが、アカイア勢(ギリシア)とトロイア勢は、男のプライドをかけて一生懸命殺し合いをする。人間たちにはそのへんの神々の事情とかよくわかってない。

神々の戦い(これもゼウスとその妻ヘレの夫婦喧嘩みたいなしょうもない争いがあるんだが)は、人間のレヴェルでは女を取った取られたとか、戦友を殺されたとか、そういう話になっていて、ちょっとヤクザ映画みたいなのでとても楽しい。また、神々はアカイア勢、トロイア勢どちらかの味方にはついているのだが、直接人間に手を下すわけではなく、あくまで人間を助ける立場であり、神は神同士でしか戦わない、というルールが見えてくる。そういうルールがわかってきたあたりで、アカイア勢の総大将アガメムノンに女を取られて不貞腐れ、戦闘に参加しなかったアキレウスのもとにその戦友パトロクロスが「なんとかこらえてつかぁさい」的な感じで宥めにくるあたりから、物語がどんどん加速していって最高。アキレウスが動くようになってからはRPGっぽさも全開になり全く退屈しなかった。戦っている人間も、半分は神様(神々の子供たち)であったりして、失われた武器をなんとかするために母親の神様が息子のために「伝説の最強の武器」みたいなのを授けたりするんです。『ロトの紋章』をなぜか思い出す。殺し合いのルールで言えば、倒した敵の武器は剥がして(あとで部下に配ったりする)、死体は晒し者にする、というルールもあるみたいだった。

殺し合いの描写はなかなかゴア表現に富んでいる。たとえば、槍で腹を突かれて内臓が飛び出るのを手で必死に受け止めようとしている、とか、槍で突かれて地面に倒れたところを戦車で轢かれて頭がグシャグシャ、とか。とても映像で観てみたくなった。アキレウスが本格的に動き出すまではわたしもややツラい読書だったのだが、前半は戦の前とか後に、牛を屠ってみんなでバーベキューをして食べる、といった牧歌的な情景も描かれ、その様子がワイルドで美味そうだったのが良かったな。古典を読むときって大抵「退屈なんだろうなあ……」とかなり期待薄に読み始めるのだが、面白かったです。良い意味で裏切られた感じ。

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