G.W.F.ヘーゲル『歴史哲学講義』(上)

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歴史哲学講義 (上) (岩波文庫)
長谷川 宏 ヘーゲル
岩波書店
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 「ヘーゲルの難解な著作を読みやすい日本語に!」と孤軍奮闘する長谷川宏の訳で『歴史哲学講義』を読む。「ヘーゲルは実はそんなに難しくない。翻訳が悪すぎるのだ」というようなことを彼は『新しいヘーゲル』のなかで語っているんだけれども、そういうだけあってものすごく読みやすい本に仕上がっている。といっても、旧訳がどんなだったか知らないので、元々日本語に置き換えやすい内容の本なのかもしれない。


 この講義録でヘーゲルは序盤に「歴史とは?」という話をしていて、この部分は哲学っぽいとても観念的な話が展開される。でも、その後は世界のさまざまな地域(上巻は中国、インド、ペルシャ)で、どんな風に歴史が動いてきたのか、また、どうしてそういう風に歴史が動いたのかを文化や宗教、それによって形成された人々の精神構造によって説明付ける……という感じの内容である。で、この部分はあんまり難しい話がない。昔の歴史っていちいち大げさだけれど、そういう話がいっぱい読めるのも楽しい。



侮辱をうけたものは、復讐をまっとうするために相手を殺したりはせず、犯罪者の家族全員を死刑に追いこもうとする。どうするかというと、侮辱されたものが自殺をくわだてることによって、相手を破滅につきおとすのです。多くの都市では、人びとの投身自殺をふせぐために井戸の口を小さくする必要があったほどです。(P.215)



 どこまで本当なのかよくわからないけれど、こういう話がとても好き。あらゆる歴史はフィクションである、というのを感じなくもない……とこんな風に単なる「歴史読み物」として読める一方で、ヘーゲルは各地方によって歴史の扱い方にどんな違いがあるのか、という分析もおこなっている。この部分はとても刺激的である。ヘーゲルによれば上巻で語られる中国・インド・ペルシャのうち、もっとも歴史にこだわり「事実」をもとにした歴史書を作っていたのは中国であるらしい。


 中国では、歴史が国家という共同体が持つ地盤のひとつであり、支配者の正当性を支える物語として考えられ、だからこそ秦の始皇帝は焚書坑儒で歴史書の類を焼き尽くし、歴史に詳しい儒家学者を虐殺して、自分に都合の良い歴史を新たに書き直させたのであーる、という説明はなかなか説得力があるように読めた。


 こういう話は、現代に生きる個人に置き換えても通じる話であると思う。中国における歴史は、アイデンティティを支える個人史と共通している。思い出したくない記憶には蓋をし(焚書)、知られたくない過去を知る人物からは遠ざかる(坑儒)ことで、都合の良い「自分語り」をおこなうことはかなり日常的なことであろう。そこで語られる個人史的事実は、始皇帝が役人に命じたものと同じように、いわば捏造されたものであろう。





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