スキップしてメイン コンテンツに移動

クリント・イーストウッド監督作品『硫黄島からの手紙』




硫黄島からの手紙
硫黄島からの手紙
posted with amazlet at 08.05.10
ワーナー・ホーム・ビデオ (2007-12-07)
売り上げランキング: 1418



 『父親たちの星条旗』と『硫黄島からの手紙』のどちらが良く思えるか、というのは完全に趣味の範囲の話だけれど、映画としての分かりやすさとか上手くできている感じは断然こちらの『硫黄島からの手紙』だったと言えると思う。どちらも文句のつけようが無い傑作で「どうやったらこんなにポンポンすごい映画を続けて作れるんだ!」と唸らざるをえないが、前者が徹底したアンチヒロイズムを映画のなかに敷衍しているのに対して、後者は渡辺謙演じる栗林中将を中心とした正攻法のヒーロー映画として撮られている。だから、後者に分があるように感じられるのは自然である、と思う。しかし、イーストウッドって映画の外でも中でも超人じみているな……。


 面白いのは二宮和也の存在感だった。ジャニタレが映画に出ると「演技がヘタ!」とか酷評されるけど、この映画での二宮の演技もそういう評価をされても仕方が無いものだったと思う(周りに上手い役者がいるので、余計それが目立ってしまう。とくに加瀬亮がすごい……)。


 冒頭からひとりだけヘラヘラしていて、その軽さがむちゃくちゃに浮いている。テレビを観ないのでそんなに知らないけれど、バラエティ番組に出てるノリのままで出演している感じさえする。でも、その浮き方が観ていて本当に面白かったのだった。周りが「フィクション」に馴染んでいる(現実的にはありえないけれど、フィクションのなかでは生き生きしている、ような)のに、二宮ひとりだけが「現実っぽい」(それはフィクションのなかで映えない)という映画のキズがこの映画のなかで描かれた問題を、現実へと地続きなものとさせているような感じもする。



『木村拓哉が見事に貧乏武士を演じている』っていう評価を聞いたコトもあるけど、それはちょっと違うよなぁ・・・と思ったっす。木村拓哉が演じる人物は、自分の仕事について非常に客観視をしていて、自分の仕事にバカらしささえ感じているし、本当は剣術道場を開きたいと思っている。しかも、侍の子だけでなく、農民の子も町民の子も分け隔てなく、その上、お仕着せの型にはまった教え方ではなく、一人一人の個性にあった教え方をしたいとまで考えていて・・・つまるところ、心性は、ほとんど現代人だとワスには思えて、木村拓哉が演じたのは、侍社会に迷いこんだ現代青年だったんじゃないかと・・・(マトモ亭 後だしジャンケン連敗録の『武士の一分』レビューより)



 つまりはこういうことだ。このキズがなかったとしたら「栗林中将を美化しすぎ!」、「玉砕を美化した危険な映画!」とか批判されてたかもしれない。渡辺謙の演技は、なんかフィクションとしてやりすぎだと感じられるし。


 典型的な(歴史の中で恥ずべきものとされている)精神性を重んずる帝国軍人が指揮する部隊へと着任した栗林が部隊の非合理性をバッサバッサと合理性へと置き換えていく……この手腕から導き出される組織管理の方法とは!――みたいな啓発本が出ているんだろうな、と思って調べたらやっぱり何冊か出ていた。こういうのはちょっと複雑である。





コメント

  1. 映画のなかに描かれた問題、とかいいつつ何が問題なのかいまひとつはっきりしないのですが……。

    返信削除
  2. 二宮さんの演技は才能あると評価されています。
    そういうふうに上から言うのは何様という感じがするのですが・・・

    返信削除
  3. Geheimagentさんのブログは才能あると評価されています。
    引用されているブログも素晴らしいですね!さっそくアンテナ登録しなくっちゃ!!

    返信削除
  4. ��引用されているブログも素晴らしいですね!
    おっしゃるとおりでございます。***さんも、早速お読みになって勉強されたらいかがでしょうか?(いけない!また上から目線に!)

    返信削除
  5. ��***さん

    こんにちは。
    二宮君もステキですが、ここの管理人もステキですよ。この下の方にあるプロフィール写真をご覧ください。

    返信削除
  6. ��下のほうにあるプロフィール写真
    あ……デザインが崩れる環境でごらんになってますね。IEだと崩れるみたいなので変えようかな。

    >***さん
    私のブログで気分を害されたようなので、「ココロ社」というブログをお読みになってはどうでしょう?きっと早起きした朝みたいにすがすがしい気持ちになりますよ!(あ!また上から目線になってしまいました!)

    返信削除
  7. 凄い分析ですね.勉強になりました.

    返信削除
  8. 「才能あると評価されています」と言っているのはどなたでしょう?そのように「才能がある」と評価した人も含めて「上から言うこと」になりませんか?どうですか?

    返信削除
  9. 「冒頭からひとりだけヘラヘラしていて、その軽さがむちゃくちゃに浮いている」が,逆説的にそれだからこそ,二宮さんが「この映画のなかで描かれた問題を、現実へと地続きなものとさせているような感じ」を与えるから,「才能があると思われる」のではないか,ということを Geheimagent さんは示していると思うのだけれど.

    返信削除

コメントを投稿

このブログの人気の投稿

石野卓球・野田努 『テクノボン』

テクノボン posted with amazlet at 11.05.05 石野 卓球 野田 努 JICC出版局 売り上げランキング: 100028 Amazon.co.jp で詳細を見る 石野卓球と野田努による対談形式で編まれたテクノ史。石野卓球の名前を見た瞬間、「あ、ふざけた本ですか」と勘ぐったのだが意外や意外、これが大名著であって驚いた。部分的にはまるでギリシャ哲学の対話篇のごとき深さ。出版年は1993年とかなり古い本ではあるが未だに読む価値を感じる本だった。といっても私はクラブ・ミュージックに対してほとんど門外漢と言っても良い。それだけにテクノについて語られた時に、ゴッド・ファーザー的な存在としてカールハインツ・シュトックハウゼンや、クラフトワークが置かれるのに違和感を感じていた。シュトックハウゼンもクラフトワークも「テクノ」として紹介されて聴いた音楽とまるで違ったものだったから。 本書はこうした疑問にも応えてくれるものだし、また、テクノとテクノ・ポップの距離についても教えてくれる。そもそも、テクノという言葉が広く流通する以前からリアルタイムでこの音楽を聴いてきた2人の語りに魅力がある。テクノ史もやや複雑で、電子音楽の流れを組むものや、パンクやニューウェーヴといったムーヴメントのなかから生まれたもの、あるいはデトロイトのように特殊な社会状況から生まれたものもある。こうした複数の流れの見通しが立つのはリスナーとしてありがたい。 それに今日ではYoutubeという《サブテクスト》がある。『テクノボン』を片手に検索をかけていくと、どんどん世界が広がっていくのが楽しかった。なかでも衝撃的だったのはDAF。リエゾン・ダンジュルースが大好きな私であるから、これがハマるのは当然な気もするけれど、今すぐ中古盤屋とかに駆け込みたくなる衝動に駆られる音。私の耳は、最近の音楽にはまったくハマれない可哀想な耳になってしまったようなので、こうした方面に新たなステップを踏み出して行きたくなる。 あと、カール・クレイグって名前だけは聞いたことあったけど、超カッコ良い~、と思った。学生時代、ニューウェーヴ大好きなヤツは周りにいたけれど、こういうのを聴いている人はいなかった。そういう友人と出会ってたら、今とは随分聴いている音楽が違っただろうなぁ、というほどに、カール・クレイグの音は自分のツ...

土井善晴 『おいしいもののまわり』

おいしいもののまわり posted with amazlet at 16.02.28 土井 善晴 グラフィック社 売り上げランキング: 8,222 Amazon.co.jpで詳細を見る NHKの料理番組でお馴染みの料理研究家、土井善晴による随筆を読む。調理方法や食材だけでなく食器や料理道具など、日本人の食全般について綴ったものなのだが、素晴らしい本だった。食を通じて、生活や社会への反省を促すような内容である。テレビでのあの物腰おだやかで、優しい土井先生の雰囲気とは違った、厳しいことも書かれている。土井先生が料理において感覚や感性を重要視していることが特に印象的だ。 例えば調理法にしても今や様々なレシピがインターネットや本を通じて簡単に手に入り、文字化・情報化・数値化・標準化されている。それらの情報に従えば、そこそこの料理ができあがる。それはとても便利な世の中ではあるけれど、その情報に従うだけでいれば(自分で見たり、聞いたり、感じたりしなくなってしまうから)感覚が鈍ってしまうことに注意しなさい、と土井先生は書いている。これは 尹雄大さんの著作『体の知性を取り戻す』 の内容と重なる部分があると思った。 本書における、日本の伝統が忘れらさられようとしているという危惧と、日本の伝統は素晴らしいという賛辞について、わたしは一概には賛成できない部分があるけれど(ここで取り上げられている「日本人の伝統」は、日本人が単一の民族によって成り立っている、という幻想に寄りかかっている)多くの人に読んでほしい一冊だ。 とにかく至言が満載なのだ。個人的なハイライトは「おひつご飯のおいしさ考」という章。ここでは、なぜ電子ジャーには保温機能がついているのか、を問うなかで日本人が持っている「炊き立て神話」を批判的に捉え 「そろそろご飯が温かければ良いという思い込みは、やめても良いのではないかと思っている」 という提案がされている。これを読んでわたしは電撃に打たれたかのような気分になった。たしかに冷めていても美味しいご飯はある。電子ジャーのなかで保温されているご飯の自明性に疑問を投げかけることは、食をめぐる哲学的な問いのように思える。

2011年7月17日に開催されるクラブイベント「現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」のフライヤーができました

フライヤーは ナナタさん に依頼しました。来月、都内の現代音楽関連のイベントで配ったりすると思います。もらってあげてください。 イベント詳細「夜の現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」