《断片――静寂、ディオティーマへ》/《夢見ながら進まねばならない》

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Luigi Nono: Fragmente; Hay que caminar

Montaigne Naive (2003-11-18)
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 80年代に入ってからのルイジ・ノーノの作品を聴きかえした。演奏は、アルディッティ弦楽四重奏団のもの。このCDには、《断片――静寂、ディオティーマへ》と《夢見ながら進まねばならない》という作品が収録されている。これらの作品では、60年代から70年代にかけての彼の作品に伴っていた雄弁で、怒りに満ちた「悲劇的なテキスト」の発音は存在せず、沈黙のなかで敏感に発せられる音が並んでいる。とても言葉は少ないが、凛々しい音の連なりにはいつも、濃淡だけで描かれる水墨画のような印象を受ける。


 これがどのような理論に基づいて書かれているか、これが何を表現した音楽なのか――そういったことについて、私はほぼ何も知らない。ただ、こういった作品は「聴く」という行為をとても注意しておこなわなければならない、ということ感じる。聴く環境は、静かであればあるほど良い。発せられる音を細やかに耳で受け止めていくこと。これはとても気力が必要なことだけれども、こういった生真面目な態度をもたなければ、晩年のノーノ作品における情報の多さ(少ない音の数に込められた、豊潤さ)を汲み取ることはできないのだろう。


 そういった意味では、とてもシンプルな作品である。作曲家の晩年(後期の作品)には、「より複雑なものを書いていく」というのと、「よりシンプルなものを書いていく」という2つのタイプがあると思う。前者は、ベートーヴェンなどがまさにそうだったし、シベリウスは後者にわけられるだろう。難解なもの、複雑なものが書ける、ということは素晴らしい。しかし、シンプルなものの無駄の無さも魅力的である。シンプルな分、そこには言葉を寄せ付けない力強さみたいなものを感じる――晩年のノーノは、このシンプルな音の並びによって、意味づけを拒むような音の強度を作り上げることに成功しているように思うのだ。


 これらを左翼的な政治性の面から「読んでいく」のは、とても貧しい聴き方なのではないか、と感じる。





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