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読売日本交響楽団 第495回定期演奏会 @サントリーホール 大ホール




指揮:シルヴァン・カンブルラン


ピアノ:児玉桃





フォーレ/付随音楽〈ペレアスとメリザンド


ドビュッシー/ピアノと管弦楽のための幻想曲


メシアン/鳥たちの目覚め


デュティユー/5つの変遷



 読響定期、今月はカンブルランが今季2度目の登場。フランスの近現代モノで固めた「お国モノ」プログラムでした。カンブルランは現代音楽に定評がある、ということだからもっとも得意な分野の曲目が並んでいたのかもしれない。一曲目のフォーレの《ペレアスとメリザンド》は細部がやや粗い演奏だったが(私のなかで読響というオケの立ち上がりの悪い印象が定着しつつある)、雰囲気は充分な好演奏だったか。初めて聴く曲だったが「前奏曲」のドリーミーな美しさは彼の《レクイエム》を彷彿とさせる。たっぷり音の余韻を楽しませるような意図を感じ、思惑通りにハメられた感がある。





 しかし、続くメシアンの《鳥たちの目覚め》にはがっかり。ソリストにメシアンのスペシャリストであるという児玉桃を迎えてだったため期待していたのだが、異様に退屈な演奏だった。ピアノは「鳥の鳴き声」が延々と連続し、高速パッセージが聴き手を圧倒するのだが「ただそれだけ」に終始していた印象がある(そもそも曲が悪いのか?)。オーケストラもなんか雑……。 休憩後、同じソリストによるドビュッシーはまずまず良かったが、ここでもオーケストラとピアノのギアが噛み合っていなかった印象がある。ただ《ピアノと管弦楽のための幻想曲》も初めて聴く曲だったが「おお、ドビュッシーってこんな曲も書いてたのか」と感心を抱かせる水準の演奏ではあった。ドビュッシー唯一のピアノ協奏曲(未完)……という謳い文句がまず魅力的だ。





 メインのデュティユーはかなり良かった。前回のカンブルランの指揮の際もメインのシェーンベルクが良かったことを思い出すと、この指揮者の演奏会は最後まで聞いてみないとわからない人……なのかもしれない。これまで何度かデュティユー作品を聴いているが今回の演奏でようやく「ピン!」と来た。《5つの変遷》は彼の最高傑作であるという。これで「ピン!」と来なかったら「縁のない作曲家」のまま終わっていただろう。この幻影的、というかエロ~い感じの弦楽のトーンは、20世紀フランスの作曲家のなかで伝統化していたのだなぁ、とか思った。



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 ちなみにこんな曲。CDを買って聴きなおしたい。





 なんだかんだ言いつつも発見がいろいろとあり、満足な演奏会でした。次の定期は9月、ヒンデミット特集だ!





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