米林宏昌監督作品『借りぐらしのアリエッティ』

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借りぐらしのアリエッティ サウンドトラック
セシル・コルベル
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 スタジオジブリ最新作。寡黙な父、愛想の悪い猫、見晴らしの良い風景といった形象は『耳をすませば』を彷彿とさせ、また、父は炭鉱夫のようでもあり、また優れた技術者でもある。そこで描かれる技術はもはやファンタジックともいえるノスタルジックな技術のように思える。『天空の城ラピュタ』の蒸気機関、『紅の豚』の飛行機……と一緒に並べられるように。こうした過去のジブリ作品を想起させる数々のポイントは、宮崎駿によりかかりながらも「宮崎駿ではないジブリ映画」の方向性を示すものなのだろうか。これもまたひとつのセカイ系映画なのだろう。すごく小さな世界のなかに世界が投射されたような、そういうお話。





 小人のアリエッティがはじめて「借り」にでかけるところからストーリーは動きだす。「借り」とは、小人たちが人間に気がつかれないように、自分たちの生活に必要なものをちょっとずつ拝借する営みである。どうやら小人たちにとって、この行為が仕事のようなものであり、これには大人になるための儀式的な意味合いもあるようだ(このあたりは『魔女の宅急便』みたいなものか)。しかし、アリエッティは最初の「借り」の時点で、人間に話しかけるという決定的な失敗をおかしてしまう。禁を犯してしまったアリエッティの一家は、今住む家から移動しなくてはいけない目にあう。物語上、小人たちはディアスポラする種族として描かれている。アリエッティの一家は、自分たち以外に生きている小人たちの存在を知らない。親戚を頼って暮らす土地を変える、というわけにはいかない。一家にとっての引越しとは、ほとんど流浪を意味している。その旅路の先にはもちろん滅びの可能性がある。





 「それまでの暮らし」が破綻するきっかけとなったアリエッティと、アリエッティを目撃した少年が真っ向から退治する場面では、その滅びの可能性が「暗示」から「明示」へと変わる。小人にとって人間は圧倒的な存在であるからなのか。少年は「君たちはいずれ滅びゆく種族なのだ」ということを、ずけずけとアリエッティに言い始める。そして、その滅びのきっかけを作ってしまったのは、すべて自分が悪い、と謝罪する。この謝罪は人類代表としての大きな謝罪でもあるだろう。小人たちは人類によって、その生活圏を奪われきた。その大きな行為に対する謝罪をも彼はおこなっているように思える(どんだけ思い上がってるんだ、このガキ!)。





 ただし、彼は最後に言う。自分も死にゆく人間なのだ、と。小人に対して「生まれつき心臓が弱くて……」と難病設定をいきなり語りだし、もうすぐ手術なんだ、でも助かる可能性はそんなにないのだ……という不安を吐露しはじめる少年には戸惑いを隠せないのだが、このときアリエッティと少年とは「滅びるかもしれない者同士」という共感によって結ばれる。ここで少年=人類代表とするのであれば、人類もまた滅びゆく存在なのだ、というお説教になるのだろうか(おいおい、またジブリ的なお説教がはじまりましたか……)。ここからの小さな冒険はふたりの傷の舐めあいともとれるだろうし、しかし、その冒険の結果如何によってひとつの種族の運命が決定される、という大きな物語ともとれる。ただし、描かれた展開はごくごく小さな世界であるため、起伏の幅が限りなく狭い。『崖の上のポニョ』とおんなじような話なんじゃないの? と思わなくもないのだが、超ダイナミックだったポニョに比べると、アリエッティは地味すぎた。





 またスタジオジブリの近作では「老い=醜悪なもの」として、ほとんど悪意をもって描かれてるんじゃないか!? と疑いたくなるところがあるのだが、今回もそれが全開。見ていて結構ジリジリと嫌な気分になる老い描写が展開されており、年を取ってちょっと非常識な感じになってしまったババアを見ていると、そのたるんだ肌に焼き鏝でも押し付けたくなるゼ! という方は超イラッとすると思います。





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