イアン・エアーズ『その数学が戦略を決める』

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その数学が戦略を決める (文春文庫)
イアン エアーズ
文藝春秋
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 タイトルだけ読むとろくでもないビジネス本のような印象を受けるのだが、中身は「絶対計算」と呼ばれる意思決定をうながすような統計学的分析の世界を紹介する大変勉強になる本。昔と違って、計算に使えそうなデータが莫大な量となり、かつ、コンピューターの発達によりその莫大な量の計算が可能なものとなってきたため、絶対計算の進歩も目覚しくなっている。その成果として、計算式によって「今年作ったワインが、ヴィンテージになったとき、どのぐらいの価値を持つか(どのぐらい美味しいか)」を導き出せたり、将来性のある野球選手のスカウトの仕方までわかってしまう、という。本書がまず紹介しているのは、こうした驚くべき事実だ。





 これにより、ワイン評論家や野球のスカウトマンの地位は失墜する。コンピューターによる計算結果のほうが、彼らの直感に基づく判断よりもずっと正解に近い確率が高いのだ。これは「直感」というものの本質が、その直感者の経験から導き出せる(バイアスがばりばりにかかっていて)なんだかよくわからない判断のことだ、ということを明らかにする。人が経験できることの数なんてタカが知れている。有名なスカウトマンが一日20人の選手を見ていたとしても、年間で365×20人。彼のスカウト人生が40年あったとしても、その40倍で29万2千人しか見れない。しかも彼は人間だから忘れてしまうし、誤解してしまうことも多い。人間の直感の基盤となる経験なんか、そんなもの。けれども、コンピューターが扱うデータは忘れられないし、存在すれば存在するだけ扱える。分析に優位な要素が発見できれば、コンピューターによる計算結果が人間の直感に勝るのは当たり前のようにも思われる。絶対計算者たちは、むちゃくちゃに強いのだ。





 こうした絶対計算の優位は、美学などにも影響を及ぼしている。ハリウッドでは脚本をコンピューターで分析して、その脚本を映画化したらどれぐらいの興行収入が生まれるのか予測する会社もあるそうだ。これには当然製作サイドも、それまでそういう予測を立ててきた予想屋の人も猛反発。「コンピューターになにがわかる!」、「コンピューターに俺が書いた脚本がわかるか!」などと批判されるのだが、算出された予想興行収入の正答率たるや、予想屋をコテンパンにするぐらい立派なものだった。この事例が浮き彫りにしているのは、人間の信頼、っていうのはホントに無根拠なものである、といったことだろうか。絶対計算の優位を実際に目をしても、ハリウッドのスタジオには大した影響は生まれなかった。ご託宣のような予想屋の直感はいまでも信じられている。





 本書では、絶対計算の恐ろしさにも触れられており(プライバシーの問題や、計算結果が間違っていてもそれがその人にとって望ましい結果であれば使われてしまう、といった問題)、フェアな紹介のされていると言えるだろう。それから訳者である山形浩生も解説で述べているとおり、統計学的の初歩の初歩の知識を最後に紹介してくれるところも素晴らしい。単なる雑学本としてでなく、本書がもつ啓蒙書としての価値がここで発揮されていると言えよう。統計分析の知識は全然広まっていない。賢いお医者さんだって統計学の知識はちんぷんかんぷんだし、新聞記者も統計をわかっていないで記事を書いている。こうした統計オンチの世のなかでは「統計? それってなんか陰謀の一派なんじゃないの?」という不信さえ生まれる、という。これは、それまで慣れ親しんできた専門家システムとは違ったシステムに対するアレルギーみたいなものだろうか(統計だって専門家システムなんだけれど)。写真を撮られると魂も抜かれる、的な。そういう江戸時代の人みたいなことは、やめましょうよ、というのが筆者の願い。上手く使えば、統計はとっても役立つんだから。





 その一例として90年代のメキシコで実施された貧困撲滅プログラム、プログレッサ計画の事例が紹介されている。メキシコという国は、大統領が変わると「これまでの政策は全部だめ!!」といって政策が全部やりなおしになっていた。効果がありそうなものでもなさそうなものでも、全部やりなおし(第一、効果があるかどうかの分析も適当だった)。当時のメキシコの大統領、ゼディロさんは貧困撲滅に本気だったので、そういう「一からやりなおし」は避けたかった。で、利用したのが無作為抽出(統計とるときに一番最初にならうアレ)で計画をテストし、計画の効果を厳密に測った。そして運良く計画は良い結果を出し「この計画は効果があるんだ!」という確固たる証拠をだした。その甲斐あって、ゼディロさんの次の大統領にも計画は引き継がれ、メキシコの貧困問題はちょっとずつ良い方向に向かっているらしい。これ、学問が政治と超うまく噛み合ってる感じが感動的だよね~。電車のなかで読んでて、ちょっと涙が出てしまいました。





 学生時代に統計学の講義は受けていたけれど、全然興味を持てずなんとか単位をもらった、という感じで卒業したのを後悔したくなる。あのときこの本に出会っていたら「ヤバい! 統計、超面白い!」と思って必死で勉強したかもしれない。それぐらい良い本です。





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