アレクサンドル・ルリヤ『偉大な記憶力の物語 ある記憶術者の精神生活』

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偉大な記憶力の物語――ある記憶術者の精神生活 (岩波現代文庫)
A.R.ルリヤ
岩波書店
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 記憶力には自信があるほうだ、という自負をもっていきてきたけれど、最近になって「むしろ自分は記憶力がすごく悪いんじゃないか」と思うようになってきた。とにかく言われたことを忘れてしまうし、自分がしなくてはならないことを覚えていられないので「やることリスト」化したメモが手放せない。読んだものも片っ端から忘れていくし、曖昧になった記憶同士が奇妙に結びつきあって、存在しない記憶が捏造されていたりする。





 例えばこんな具合に。それは友人とたまたまナボコフの『ロリータ』について話していたときのこと。私が「あれ? 女の子とグルグル回っているうちに気持ち良くなっちゃうのは『ロリータ』だっけ?」と友人は「それはプルーストでしょ」と訂正する。そう言われればそんな気がする。友人は続ける。「『ロリータ』は女の子とじゃれあってるうちに気持ち良くなるんだよ」。そうだっけ……なんか、登り棒に登っているうちに気持ち良くなっちゃう小説ってなかったっけ……?





 しかし、こういう風に記憶が混濁するのも、文章が《理解》された証でもあるのかもしれない。ドストエフスキーを読んだあとに「ああ『罪と罰』なら○○という話だったよ」などと感想を言うことがある。それはその読者が『罪と罰』というテキストを○○という形で《理解》した証明となる。『罪と罰』のテキストを、読者はまるまる覚えているわけではないし、ことによってはそのテキストを一切覚えていない可能性だってある。もしテキストの一切を覚えるような読書をしていたら、記憶の混濁などおこらないはずだ。私は、記憶というものをそうした《理解》の貯蔵庫として理解してきた。





 しかし、本書で紹介されるシィーという人物はそうではなかった。彼は様々な数列や様々な文章を、テキストそのままにいくらでも記憶することができた。その特殊な能力を活用して、彼は「記憶術師」になった。彼はステージに登り、観客の目の前で長いテキストを覚え、そしてそれを暗唱して見せた。そうした覚えたテキストを十数年後であっても暗唱しなおすことができた。こうした特殊能力を、著者であるアレクサンドル・ルリヤ(彼は世界的に有名であったソ連の心理学者だった)、直接記憶が共感覚と結びつきあった結果だと分析した。シィーには観たものの像を写真のように記憶に焼き付けることできた。数字や音から様々な感覚をイメージする共感覚者であった彼は、そうした湧き上がるイメージを記憶のなかにある地図に配置するなどして、覚えていたのである。





 こうした記憶の方法はなにも目新しいものではない。こうしたイメージを場所に配置する記憶術とはとても古典的なものである(それについてはイエイツの『記憶術』にあるとおり)。またNHKを観ていた際に、中国で記憶術が流行しているというニュースが流れていたけれど、そこで紹介されていた手法とも一致する。驚くべきなのは、こうした驚異の能力の持ち主がソ連において輝かしい業績なども残せず、単なる見世物として生きてしまった、ということだ。





 どうしてシィーは見世物で終わってしまったのだろうか。それはまさに彼の記憶力が問題だった。彼が聞いたり読んだりした言葉が、彼の頭のなかにすでに存在しているイメージと一致しない場合、それらは一種のコンフリクトを起こして、彼の文章理解を拒んだ。そうしたコンフリクトを回避するために、彼は脳内のイメージを取り払ったり、理解できるものに置換する作業をしなければならなかった。「マーシャ」という名前の女性の実際と、その言葉が持つイメージ(すこし若く、バラ色の衣服を着た、やわらかい婦人)の齟齬は、彼の理解を困難なものにした。また、彼にとっては詩の理解も困難なものだったという。それは詩のなかにある言葉と言葉の関係によって生まれるイメージよりも、彼が持っていたイメージのほうが強かったからだ。「記憶術師」になる前の彼は、こうして驚異的な記憶力の持ち主でありながら、物分りのいまひとつよくない人物として振舞わざるを得なかった。





 シィーの事例はちょっとした宝の持ち腐れだったのかもしれない。しかし、本書が与えてくれるのは、こうした特殊な人物がどのように物事を理解し、どのように生活していたか、という視点である。著者が残したものは客観的に記録されたものであるが、この記録から読者はシィーという人物の主観を、擬似的に体験することができるだろう。仏教には「一人一世界」という言葉がある。字の通りに理解をすれば、これは世界はひとそれぞれで見えているものが違う、ということになる。ここでシィーの主観を擬似体験することは、彼の世界を擬似体験することでもある。本書を読んでいて特別な感覚を受けるとしたら、そうした「いつものとは違った世界」を覗き見る感覚なのではなかろうか。





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