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イェイツの『ジョルダーノ・ブルーノとヘルメス主義の伝統』を読む(原書で) #2




Giordano Bruno and the Hermetic Tradition (Routledge Classics)
Frances Yates
Routledge
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さて、予告どおり今回は本文に入りまして第1章「ヘルメス・トリスメギストス(Hermes Trismegistus)」について見ていきましょう。この章ではヘルメス・トリスメギストスとは何者か、どんなことをした人物なのか、そしてこの人物がルネサンス期までに西欧においてどのように扱われてきたのか、についてまとめられています。その前置きとしてイェイツは、ルネサンスとは一体どのような価値観の運動だったのか、について触れている。イェイツは、歴史の発展とはつねに過去を振り返ることで前進していくものである(そこでは原始的な生物がいきなり劇的に進化する、みたいなことはおこらない)、という風に言っているのですが、これはルネサンスという運動にも当てはまるのです。古いものは良いものだ、大昔は自分たちよりも人間味が溢れていたんだねえ……と昔のテキストを再評価し、自分たちの発展を生み出していく、みたいなね。





こうした価値観にもとづく運動は、ルネサンスの魔術師たちにも言えることでした。彼らは初期キリスト教の書物に立ち返ったりして「魔術の本当の黄金期」を復興しようとしたんだそう。彼らが参照した書物は、実際には2, 3世紀に書かれたものであり、その辺の認識は間違っていたらしいんだけど、その初期キリスト教の教義にはグノーシス派的なギリシャ哲学の影響があったりしたんだと。ルネサンスの魔術師は、エジプトの叡智やらヘブライの預言者、プラトンとかギリシャ哲学に立ち返ったわけではなかったのだけれども、色々と影響はあったみたい。





さて、ここからヘルメスについてのお話のはじまり。エジプトの神さまであるトート神は知恵を司る神さまであってギリシャ人からはヘルメスと同一視され「三重に偉大」というあだ名をつけられていた。これがローマ時代に入るとヘルメスとメルクリウスとトートが同一視され始める。キケロの『神々の本性について(De natura deorum)』によれば、メルクリウスは5人いて、その5人目がアルゴスを打ち倒しエジプトを解放して、法律と文字を授けた、と説明されているのだそう。このとき、メルクリウスの五男坊はそのエジプト名である「トート」という名前を得たんだって。





また、ギリシャにおいてはヘルメス・トリスメギストスの名前のもとに膨大な量の文書が作られていたそうです。それらは占星術やオカルト科学についてのもの。そこには哲学関連の文章も含まれていて『アスクレピウス(Asclepius)』や『ヘルメス文書(Corpus Hermeticum)』と呼ばれているものは、ヘルメス主義の最も重要なものとして伝わっている。でもこれらも2世紀から4世紀ぐらいに書かれたものであってエジプト時代から残るホンモノはごく限られているらしい。でも、そこにはホントのエジプトでの信仰の影響もいくぶんあって全智のエジプトの神官が書いたものではないにせよ、おそらく当時のギリシャ人が書いたであろうことは間違いない。興味深いのはこのテキストに、当時の宗教や哲学もいろいろ混じっている、という点で。プラトニズムやらストイシズムやら、ユダヤ教やらペルシャの影響さえ認めるんだとか。こういうものをルネサンスの人は神話的人物であるヘルメスが書いたもの、と信じ込んでいたんですね。





これらの文書が作られた2世紀ぐらいの空気感をイェイツは、Festugièreによる『La Révélation d'Hermès Trismègiste(ヘルメス・トリスメギストスの発見、的な意味で良いのかな)』を引きながら説明しています。当時はバリバリのパックス・ロマーナ。活発な侵略戦争により帝国内は色んな人種・文化がおりました。このとき帝国内は厳しい法律で統治されおり、文化的にはグレコローマンが優勢。しかしギリシャ哲学のほうは「ギリシャ哲学とか進歩ないよな……」という風にちょっと落ち目だったそうで。理屈ばっかり捏ねててさぁ、みたいなね。こうした停滞を打破するために「大事なのは理由じゃない、人間の本性だべ!」という人が盛り上がってきて、神秘的なもの、魔術的なものへの関心が高まった、というわけ。





「直観によってこそ、神を理解することができるんだよ!」というこうした動きはグノーシス的だと言います。ヘルメスの書物は師であるヘルメスがその弟子に教えを授け、その結果、エクスタシーに達して世界の予見を得る、というものが多いらしいのですが、これはそうした潮流が反映されたものだ、とされているそうです。これらはギリシャ人の思考へとまたたくまに、そして秘密裏に広まっていきます。ヘルメス主義のなかでそれは寺院を持たない宗教的哲学、哲学的宗教へと発展したのです。こうした発展はローマ帝国は当時宗教的には肝要だったからこそ生まれた、とされています。また当時のローマの知識人のあいだでは一種のエジプト・ブームがあったそう(エジプトこそすべての知の源! ギリシャの哲学者もエジプトの神官に会いに旅をした! とか)。これもエジプトの魔術とヘルメス主義が同一視される要因となっていた模様。





以上の説明により、どのようにしてヘルメスの書物がルネサンスの魔術師たちに「最古のエジプトの叡智と哲学と魔術を、神秘的かつ明白に説明する書物」として読まれるに至ったか、について理解できるハズ、とイェイツは言います。ものすごく簡単にいうと時間がたったらいろいろ混じって、いろいろ尾ひれがついちゃってエラいことになっていた……という感じなのでしょう。ルネサンス期の読者たちは、プラトンやその他偉大な哲学者たちもヘルメスから派生したのであーる、と主張していたそうですから。しかし、「この大きな歴史的過ちが驚くべき結果を引き起こしたのだった」とイェイツは話を進めます(ゴクリ)。





だいぶ長くなってきました。まだ一章の途中ですが、続きは次回にいたしましょう。次回は初期キリスト教の教父たちがヘルメスについて書いていたことに触れていくところからです。





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