指揮:読響によるブルックナーの交響曲第5番を聴くのはスクロヴァチェフスキが数年前に定期で振って以来か。そのときの演奏がもとでブルックナーが好きになり、こうして3年も読響の定期会員になったりしてるので、個人的に思い出深い曲でもある。あまり好みではない下野竜也が読響の正指揮者としての最後の定期で振るとは……と思うとますます勝手な思い入れも深くなると言うもの。この指揮者のブルックナーは第4番を振ったときもやはり全然良い演奏とは思えず正直期待しておりませんでしたが、いやいや、ようやく私もこの指揮者の面白さがわかってきたかも〜、という快演でした。
下野竜也
曲目:
ブルックナー:交響曲 第5番 変ロ長調 WAB.105
御大スクロヴァチェフスキとはもちろん違う、いや、どこまでもまとまりがよく締まったブルックナー。言うなれば、スクロヴァチェフスキのブルックナーには理性を超えた神々しさがあるわけですが、言い方を変えると、それは理性を忘れた老人性痴呆みたいなものでもあるわけです。どうなったらあれだけスケールの大きな音楽が描けてしまえるのか、聴衆もまた理性を忘却した境地へと連行されてしまうので打ちのめされるしかない。
一方で下野の今夜のブルックナーは理性の領域で目一杯音楽を操作し、乗りこなしたものだったように思います。そこにはひとつひとつ丁寧に物語を紡ぐプロセスさえ見える。ゆえにフィナーレにおける大きな解放さえも、最後だから何かをすべてブチまけて終えてしまおう、というものではなく、文末にピリオドをスッと置いてペンを置くように聞こえました。あと人がここは流すだろう、みたいな箇所にチャーミングな色付けをしているのも面白かったな。基本的には選曲以外はアクが強くないところにアクがある、ぐらいの人だと思うんだけれども、ハマり方でスゴく面白く聴ける。
オーケストラも素晴らしかったですね。前回のマーラーに引き続き、ホルンとラッパはお見事。ホルンはエキストラなのか契約団員かわかりませんが若い人がトップを吹いてて音色のブリリアントな感じが良かったです。このまま、ホルン首席の座が埋まったりするんだろうか?
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