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問い続けるための技法




バッハ:フーガの技法
バッハ:フーガの技法
posted with amazlet on 08.02.16
エマール(ピエール=ロラン) バッハ
ユニバーサル ミュージック クラシック (2008/01/23)
売り上げランキング: 252



 相変わらずエマールが演奏するバッハの《フーガの技法》を聴き続けている。ここまで聞き返すことができる(聞きごたえがある)録音は、年に一枚あるかどうか……。極めて端正に整えられたこの演奏の造形を追っていくと、音楽の道のりを一歩も踏み誤ることが出来ないような緊張感を味わうことができる。特にラストの「未完のフーガ」については、ちょっと気が違いそうになるくらいだ。ほとんど放棄されたように中断されるこの曲のラストについて、私は知っている。しかし、この演奏ではその中断がまるで見えない。この見えなさが、一層中断の衝撃を強めている。


 演奏とは関係ないところでは、バッハの「技法の用い方」についても考えさせられた。ごく大雑把に言ってしまうと、この作品は第一曲の冒頭主題の変奏/発展によって作り続けられた「問い直し」の作品である。これをバッハがおこなった「この主題は、この(あの・その)ような対旋律/この(あの・その)ようなハーモニーをあてても綺麗に響く……」という検証の結果と考えても良いかもしれない。これは「あるひとつ」の確定をおこなうための技法とは性格が異なっている。


 これを技法と技術との違いとして置いてみると、少し面白いと思うのだが……時間がないのでまた今度だ……。なお、《フーガの技法》についてはこちらのサイトがすごすぎる。バッハが主題を書き直していくところを、読み直していく試み、というか。こういう暗号を読み解いていくような愉しみもバッハの魅力のひとつなのだろう、と思う。





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