黒沢清監督作品『トウキョウソナタ』

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トウキョウソナタ(竹書房文庫た1-1) (竹書房文庫 た 1-1)
田中 幸子
竹書房
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 黒沢清の最新作『トウキョウソナタ』を観た。「素晴らしかった!」の一言でこの感想を締めくくりたいぐらいの傑作で、ラストシーンで号泣してしまった。出演している役者の演技(主演の面々はもちろん、津田寛治のセリフがグサグサ刺さってくるところも良かった……)、演出、舞台、脚本、すべてがうまく作用して、ものすごく純度の高い映画になっていた気がする。観ていてドキドキするような絵も多く、とくに夜のシーンで延々とスクリーンの真ん中に白波が水平線のように走っているのを背景に、小泉今日子の背中が……という構図などにビリビリくる。また、抑制された音楽(メロトロンっぽい音が鳴っているのがツボ)と現実音のバランスも素晴らしい――劇中、テーマソング的なものが聴こえるときはほとんどないのだが、本当にスクリーンのなかで起こっている音としての音楽、例えば、テレビ画面から一瞬だけ聴こえるグリーグや、ショッピングモール内で流されているチャイコフスキーなどがとても印象的であった。音楽に関しては「ヘタクソなピアノの演奏」が本当にヘタクソに聴こえるところなどにも、細かなリアリティへのこだわりみたいなものを感じてしまう。物語は冒頭から、主人公の家庭のなかへと不穏な要素が徐々に徐々に溜まっていき、それがある瞬間に爆発――ここまでのジリジリと家庭がどうしようもない状況に落ち込んでいく描き方もとても嫌な感じで良い――、その後、家族4人にそれぞれ振りかかる「仮死体験」的経験によって、再び、家族にそれ以前とは違った紐帯が生まれていく……というところで終わる。この締めくくりも「絆の回復」という、単純なもの、目が覚めるようなお話的なものではなく、「それまで違った紐帯が生まれている」という点が重要だと思われた。家庭のなかには古い傷跡のように、破壊の後が残っている。一度、前に進んでしまったものを前とまったく同じように修復することは現実的にも不可能な話だ。それを踏まえて、また新しい関係性を結ぶことによって家庭は再出発しているのであるように思われ、その再出発は、改めて家庭の構成員たちがお互いを「他者」として認め合うことによって生まれているようにも思われた。


(追記)以下は、mixi日記に書いていたこと(そのまま引用)。





『トウキョウソナタ』すごかったなー。印象的な言葉も多かったけど、もっと身体的なレベルで、どっと来た。ブログには書きそびれたけど、他者性あるいは、他者とのコミュニケーションの難しさみたいなところがポイントになってるような感じがし、それは冒頭の子役とアンジャッシュ児島との関わりにおいても明示される。他者の論理と自分の論理との齟齬、そして他者の論理から外れることによりなされた疎外。この疎外は、主人公の香川照之も味わうのだが(「俺たちは何でも受け入れるつもりなのに、何でヤツらは受け入れてくれないんだ!」)、子役は権力関係から、疎外された父からも疎外される。そこに父による子殺し……というお決まりの神話的要素を見いだせるのだが、そこで疎外された子を母が回収するというのがある。しかし、この回収が父と子の権力関係をも逆転させている。またこの直後に家庭は崩壊する(なんか静かな戦争状態みたいになる)。で、その後色々あるのだが、ラストシーン。それまで無視され続けて来た息子がラストシーンで、やっと他者からの承認を得られる(再度獲得する)ところは最高に泣けた。






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