グレン・グールド;録音と映像

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バッハ:ゴールドベルク変奏曲(1981年デジタル録音)
グールド(グレン)
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 グレン・グールドのバッハを聴き返している。「20世紀最高のバッハ弾き」と謳われることもあるこの演奏家のバッハ演奏について、私はすべてを手放しで賞賛するわけではないが、いくつかの演奏は素晴らしい、と思う。なかでもやはり《ゴルトベルク変奏曲》(81年の録音)は、何度聴いても飽きない。最近は、これを聴くと必ず映画『時をかける少女』の映像が脳内にフラッシュバックしてしまうけれども……。



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 1955年に最初の《ゴルトベルク変奏曲》の録音でデビューした後、1964年にコンサート活動から一切手をひき、スタジオのなかに篭った……と言われている彼だが、その隠者のようなイメージとは裏腹に、残っている映像の本数はとても多い。ドキュメンタリのほかに、音楽的啓蒙を行ったテレビ番組への出演なども数えれば、おそらく彼ほど多くの映像が残っているピアニストなど存在しないだろう。



Bach: Partitas BWV 825-830; Preludes and Fugues

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 《ゴルトベルク変奏曲》のほかには「パルティータ全集」、そのなかでも第2番と第6番の演奏は素晴らしいと思う。これについてもグルードが演奏している映像が残っている。第2番は練習風景を記録したもの、第6番はスヴャトスラフ・リヒテルとも親交があったブルーノ・モンサンジョン(彼を介して、グールドとリヒテルの間には交流があったらしい)が撮った映像。



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 残されている録音と映像の両方に触れて気が付くのは、どの映像についても録音とは明らかに違った演奏である、ということだ。録音についてはかなり細かい編集が加えられていることもあるだろうが、ときに(録音と映像とがほとんど同時期のものであっても)基本的なテンポ設定からしてまったく異なる場合も存在する。これらはグールドという演奏家が、かなり反ピアニスト的である、と思う所以でもある。また、それは反解釈者であることを同時に意味する。


 通常、演奏家(楽譜の解釈者)は「ひとつの楽譜解釈」を聴衆の前に提示する。しかし、グールドはそれをしない。グールドが提示するのはあくまで「ある・ひとつの・楽譜解釈」なのであり、そこには「別な楽譜解釈」の可能性が常に残されている。その可能性をグールドは隠蔽しない。録音と映像の間に存在する差異は、単なる気まぐれなのではなく、むしろ別な可能性の提示なのである。同じ演奏家がおこなったさまざまなな解釈のうち、どれが「正しいものなのか」、これを聴衆に判断することは不可能であり、選択はほとんど好みによってでしか行われない。その判断不能な状況は、突き詰めれば「正しい解釈が存在しないこと」もまた明示しているように思う。これによってグールドは「ピアニスト=解釈者」である前提を覆す。


 「解釈の光をあてる」という隠喩は、グールドの場合、楽譜に対してはっきりとしたスポットライトをあてた結果ではなく、光をあたられた楽譜の乱反射なのだろう。残された録音は、そこで生まれた多様な光の筋から偶然に選ばれた一本の筋に過ぎないのである。



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 とか言ってみているが、グールドの録音ではバッハよりも、ワーグナーのピアノ編曲集や、ヒンデミットのソナタ、イギリスのバロック以前の作曲家の作品集のほうが好きだったりする。



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Glenn Gould plays his own Transcriptions of Wagner Orchestral Showpieces

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ヒンデミット:ピアノ・ソナタ集
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