マイケル・ジャクソン

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 今朝、マイケル・ジャクソンが亡くなった、というニュースを聞いて、瞬間的に「もしかしたらグレン・グールドが死んだとき、グールド・ファンが味わったショックとはこのようなものなのかもしれない」と思った。奇しくもふたりは同じ50歳で、「日常的に服用していた大量の薬が死因」と噂され、あまりにも急に死んでしまった。


 


 同時に、両者はメディアというものと切り離して考えることができない人物であると思う。一方は、録音メディアを使用して、解釈を伴った演奏行為を脱構築してしまった(いわば最もピアニストから遠い)ピアニストであり、もう一方はゴシップ・メディアを通してのみ人前に現れるように晩年を過ごしたアーティスト。彼らはどちらも何かに伝えられることによって、現れる。だから、死んだ、という実感が沸かないのは当然なのかもしれない。その実感のなさが余計に不気味だ――三沢が死んだときに味わった実体が失われてしまった! という強烈なショックは存在しない。


 


 もちろん、こんな感じ方は1985年に生まれた私に限った話かもしれない。現に、同じ職場で働いている、リッチー・ブラックモアが大好きなバカテクギタリストのおじさん(洋服はギャルソンの服にしか着ない)は「カッコ良かったよね。同い歳だから、ショックだよ」と言っていた。結局のところ、大好きだったのに「現役」であることをリアルタイムで感じる経験が一度もないまま、マイケルが亡くなってしまった。この点は、とても残念だ。





 そのおじさんと話していて、フレディ・マーキュリーが亡くなったとき「君たちにはわからないかもしれないけれど、僕がどれだけ彼のことを羨ましく思っていたか……」というような(意味深な)追悼メッセージを、マイケル・ジャクソンが残していたことを思い出す。「なにが羨ましかったんだろうね」。「フレディ・マーキュリーが自分の性格とか性癖だとかをオープンにできて、そのうえで存分に自己表現ができたことじゃないですかね。マイケルって、たぶん、そういうのができないタイプの人だった、と思うんですよね。開放型じゃなくて抑圧型というか」というような会話をする。たぶん、マイケルがプリンスのことを嫌いだったのは、そういうやっかみがマイケルの方にあったからではないだろうか、とも思う。





 冥福をお祈りいたします。





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