プラトン『ソクラテスの弁明』ほか

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ソクラテスの弁明―エウチュプロン,クリトン (角川文庫)
プラトン
角川書店
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 積読がなくなったので、なんともなしに「そうだなぁ、プラトンの未読のものでも全部読んでみるか」と思い、先日一挙購入したのだが、せっかくなので買ったものを読み進める前に既読の『ソクラテスの弁明』から再読することにした。購入したものは、岩波文庫のものであるが、私がすでに持っていた『ソクラテスの弁明』は角川文庫版。こちらには岩波だと『プラトン著作全集』に入っていない(?)、『エウテュプロン』が収録されているので、ちょっとお得かもしれない。ざっくり収録作品を紹介しておくと、『エウテュプロン』が、ソクラテスが裁判にかける直前にエウチュプロンと「敬虔なもの」について議論を重ねる対話、『ソクラテスの弁明』ではかの有名な「無知の知」について語られ、そして『クリトン』では脱獄を勧めるクリトンに「悪法もまた法なり」と説く……といったところだろうか。





 久しぶりに読んだら今になって面白く読める。ソクラテスの論法は、論理学のそれに則したものなので、結構頭を使わないと読み飛ばしてしまいがちになるのだが、しっかりと読むとちゃんと理解できるように書かれているので、読んでいてとても楽しくなってくる。なかでも『エウテュプロン』は面白かった。この文庫版に収録された三篇のなかでは、もっともマイナーな部類に属するのかもしれないが(というか、『ソクラテスの弁明』や『クリトン』がメジャー過ぎるのか)一番面白く読んだ。





 上述したとおり、ここでソクラテスとエウテュプロンの間で取り交わされる議題は「敬虔なもの」についてである。ソクラテスはここでエウテュプロンにしつこく問いを投げ続けることによって「敬虔なもの」の定義不能性へとたどり着くことになる。この過程がとてもしつこく、いやらしいので、これを読んでいると「ソクラテスって嫌なやつだなぁ……そりゃあ反感を抱く派閥も生まれるよ……」とか思う。エウテュプロンは言う敬虔なものについて、それは「神に愛されるもの」で、かつ「敬虔だから神に愛されるもの」だ、という。それに対して、ソクラテスは「神に愛されるもの」と「敬虔なもの」とはまるで別なものだ、と返す。





 曰く、神に愛されるものは、神に愛されているからこそ、神に愛されるものだ、と言える(神に愛されるものである、という本質がそのもののなかに含まれているから、愛される、のではない)。エウテュプロンは、敬虔なものは敬虔なものだから、神に愛されている、と言ったが、それでは神は敬虔なものが「敬虔である」という本質を持つものを、その本質のゆえに愛することになってしまう。だから、別なものなのだ、と――これを聞かされたエウテュプロンは、用事を思い出した! とかなんとか言ってそそくさと帰ってしまうところがまた良い。





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