藤子・F・不二雄大全集 『ドラえもん』(2)

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 昨日のエントリにいただいたブクマコメントで「ドラえもんって意外と読んだことない人多い印象。僕も含めて…」というのがあったけれど、今日会社で「『ドラえもん』読んでたらボロボロ泣けちゃってさぁ……」という話をしていたら「実は読んだことないんですよねー」という返事が帰ってきた。まぁ、そういうものだと思う。『コロコロコミック』や『小学○年生』を毎月買ってもらえるこどもなんて、きっと裕福で贅沢なおうちのこどもだったんじゃなかろうか。自分の家のことを考えると決して裕福な家ではなかったから、そんな風に思う。





 『ドラえもん』の第二巻には、名作「赤いくつの女の子」を収録。これは懐かしかった。「夏休みだよ!」や「大晦日だよ!」の『ドラえもん』アニメ・スペシャルで毎回放送されていた記憶がある。恐ろしいのはそういう風に懐古的な気持ちになるだけじゃなくて、この古い漫画が本当に今でも笑える、ということなんだ。F先生はどうしてこんなスゴいアイデアを何年間も続けてだせたんだろう? 本当に驚異的としか言いようがない。描かれた時代の大らかさみたいなモノがあるから、スゴい表現がでてきたりする。現代と過去とのそういった表現倫理のズレから生まれてくる面白さはもちろんある。





 でも、それだけじゃないんだな。勧善懲悪・因果応報的なオチを毎回つけながら、でもそのオチが読めない。これってスゴいことだと思う。ある決まったフォーマットに乗りつつ、独創的である。それでいて教訓らしきものがかすかに感じられる。その教訓らしきものは、こどもには読み取れないものかもしれない。でも、今になって読めばそれが手塚的なメッセージ性を持っていることがわかる。ただ、手塚漫画のように説教臭くないんだ。そこが良い。「ヒューマニズムが……」云々で片付けられないものが『ドラえもん』にはあると思った。





3 件のコメント :

  1. もしかして「デュルケーム」「西田幾多郎」の人ですか>Geheimagentさん?
    そうでしたらおひさしぶりです。
    そうでなければはじめまして。

    >『コロコロコミック』や『小学○年生』を毎月買ってもらえるこどもなんて、きっと裕福で贅沢なおうちのこどもだったんじゃなかろうか
    小さいころの友達が3兄弟の力をあわせて全巻揃えてました。僕はそこで本棚に並べられている本は全部読めるものだという当たり前のことがわかったようです。僕自身は大長編シーズンの半年間だけコロコロを買ってました。

    >「ヒューマニズムが……」云々で片付けられない
    「流血鬼」とか「ミノタウロスの皿」とか描けちゃいますからね。生きるために一生懸命になる(ことを描くことを重視する)手塚治虫とはちょっと違うのかも。

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  2. こんにちは。「デュルケーム」「西田幾多郎」の人という自覚はさっぱりありませんがコメントありがとうございます(ブログに書いたことはすぐに忘れてしまうのです……)。

    >「ヒューマニズムが……」云々で片付けられない
    というのには、手塚漫画が「ヒューマニズム」という一言で片付けられてしまいがちなことへの批判的な意味合いもあります。手塚もいろんなことを書いているし、藤子Fもいろんなことを書いていて、そこには手塚的な大きなメッセージも含まれている。しかし、藤子F作品は「ヒューマニズム」といった大きな言葉で語られないし、手塚のさまざまなメッセージは「ヒューマニズム」という大きな言葉で回収されてしまう。古い漫画を読むうえで、そのことはあまり意識されていないように思います。

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  3. >「デュルケーム」「西田幾多郎」の人
    5年ほど前にコメントの書き込みがあったのですよ。別名義でしたが、もしや?と思ったものですから。

    >手塚漫画が「ヒューマニズム」という一言で片付けられてしまいがちなことへの批判的な意味合い
    なるほど。たしかに手塚作品のリメイクは、話の引き伸ばし方がそんな感じですね。

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